この本の中で、印象に残ったのは、『家族という病を持たない人はいない。・・・・重い症状が
出て初めて気づく前に、自分の家族と、一人の人間として対してみよう。 今まで起きたトラブ
ル、家族についていやだと思っていたこと、気になった出来事、少々しんどくはあるが、思い
出すのもいいだろう。・・・・・・すでに亡くなった人についても、その人を思い出すことだけが、
今の世にその人を生き返らせる方法だと思う。・・・・』 それが供養にもなるって書いてあっ
たとこや『幸せな家族なんて存在しない。・・・・人と人との思いの方が、家族という形より大切
なものなのではないか。恵まれていない家族だから、心の通じない家族だからといって落胆
するのは早すぎる。・・・・・』とか、『家族は最初からあるのではなく、家族になっていくの
だ。・・・・・一人ひとりが力を合わせて、初めて出来るはずだ。何もしなければ、崩壊していく
のは当然である。』
っていう文章のところかな~
過去の嫌なこと、あまり思い出すのってよくないかな~って躊躇する気持ちもあったけど、
別に悪いことでもなさそうな気がしてきたよ。これ、読んで。
くすぶってる思いがあるんだったら(膿みを出し切ってしまうみたいに)
出しきった方がすっきりするし、治りも早くなる傷と一緒じゃないかな
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2000年の家計簿のメモ欄に読書して気になった文章や好きな文や言葉なんかを写してたり
私が感じたりしたことを書いてるのがあったんでちょっと書きます
笑顔の下の恐怖・恐怖の下の放心・放心の下の諦め・諦めの下の居直り・居直りの下の
優しさ・優しさの下の冷酷さ・・・・
これ、多分、私の20代ごろからの愛読してる曽野綾子さんのどれかの本の中にあった言
葉だと思うよ深いでしょう~意味がそして言葉、面白いでしょ~
家庭でしかできない教育: 敬語と、どのような人間に理想を見出すかってこと。
どんな人にも丁寧な態度と言葉遣いをするように
どんな人の前に出ても礼儀を失ったり、すくんだりすることのない人にって曽野綾子さんは
言ってるよ。(o^-')b
性悪説(人間の本来の性質は悪であるとする説・中国の荀子が唱えた)と
性善説(人間の本来の性質は善であるとする説・中国の孟子などが唱えた)で
曽野綾子さんは性悪説派なんだって~その方が楽に生きられそうだって。・・・興味を持った
方は読んでみて下さいな~だいたい想像つくか~
そして、トマス・アクイナスって人も言ってる”すべて存在するものはよきものである”って言葉
これにも同感だっていってる人デス。私もそう思う。
2000年12月のとこに
要求せず、非難せず、期待せず、思うままにさせておこう
違いを認め、受け入れ、許そう 美点をみつけ、評価し、感謝しよう
自分は自分
一つのことは2つ以上の意味を持つ~って書いてあったよ。
それでよく思い出すのは、曽野綾子さんのエッセイの中で、高校生だった息子に、些細な人
間関係の文句を話したら、息子が『言いたい奴には言わせておけばいいさ』って言ったので
それを聞いて心が落ち着いたって話。
ほんと、この一言は、雨雲の空がぱあ~と開けて、青い空に虹がかかったように、心が
スーと晴れてきてキラっとするね。
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塩野七生著の本の中で、題名は忘れたけど
不幸な男について~
① 原則に忠実な男・・・相手がどう感ずるかには関係なく、自分の立派な考えを押し通そうと
しても、なかなかスムーズにいかないのが人間社会。人間社会では相手が存在する。
② 完全主義者・・・完璧を期すということ自体は、主観的な基準によって決められること。
千差万別なるものをいちように他人にも強いるのは、人間性の多種多様を無視した行
為。
③ 迷い続ける男・・・自分がしたいと思ってきたことを、満足いく状態でしつづける立場を
もてた男は、世間の評価にかかわりなく幸福である。
っていってるよ~
3番の迷い続けるっていうのは別にそれでもいいと思うけど私は。男ってか、女も同じよね。
それでは~ぜんぜん関係ないけど、今日お店で見つけたマイクラの・・・
こんなのあったよ~
可愛い~
あとお店のこの部分がポケモンジムになってて息子が戦ってた~