小学校の時、算数の時間などに、席順に、当てられて答えを言うと、クラスのみんな全員に、その答えが
あってるか、どうか、『いいで~す』とか『ちがいま~す』とか言わせる方式。
なんのメリットがあるっていうんだろう~
娘のトラウマになってる。『いいで~す』が続いてる時、自分の番になったら、ちょっと、間があって、みんな
が『ちがいま~す』って言ったことに、自尊心を傷つけられ続けてたという。
3年生の担任に、不思議な答えを書いてるって言われたことがある。娘は、独特な感覚を持ってる。
答えが決まってる算数でも、独特な感覚でもって違うふうに答えてたかもしれないのに、なぜ、そう答えた
のか、先生は理由を考えて正しい導き方をしてくれようとはしなかったのだろうか?
違った答えは、その子の能力不足、努力不足で、仕方ないって切り捨てにしてたってこと?
みんなにちがいま~すって言わせて、当の本人にとっては、耐え難い辱めを受けた思いで、なおかつ、
みんなができることが自分はできないって思わされて、自信喪失してしまうだけだ。
なんのメリットがあるっていうんだろう~
先生がひとりひとりでなく、クラス全体をまとめてひっくるめて教える方式でしか、ないように思えるんだけ
ど・・・・・
息子は算数で、『1千万』って答えたとき、みんながそれまで『千万』というような答え方をしていたので
みんなは『ちがいま~す』と、言ったそうな・・・・さすがに、そこは先生が、千万も1千万も同じことだと
説明してくれたようだけど・・・・
集団の答えなんて、そんなもんだ。誰かが最初に、大きな声で言うと、それにつられて、他の人も
たとえ、間違っていたにしても同じように発言ったりする。
授業参観なんかでも、そういう、『いいで~す』『ちがいま~す』方式をしてるのを、何度か、見たことあっ
た。・・・そういう教え方って、先生の人格さえ、疑ってしまいそうになるよ。