『日本製』広島・山口の旅1泊2日
3回、無事終了いたしました。
ありがとうございます
相変わらずのバタバタで
ご報告が遅くなりました
広島原爆の語り部
梶矢さんのお話を聞くという
夢のような事が実現でき
梶矢さんはもちろん
ご協力いただいた町内の方々にも
感謝でいっぱいです。
町内会の方達との
嬉しい交流はまたご報告するとして
今回は梶矢さんとのことを。
HARUTOUR『日本製』広島山口の旅は
3回行いました
三浦さんとのお話 + 原爆のお話を
私は幸運にも3回聞いたわけですが~
原爆のお話は。。。3回とも違う内容でした。
同じところも、ありましたが
毎回違う内容が盛り込まれ
梶矢さんのカッコいい
バリバリの広島弁での
80代とは思えぬ滑舌のいいお話に
どんどんひきこまれ
。。。
ときたま
三浦さんもこんな感じで聞き入っていたのかな〜
なんて想像しながら時間がすぎてゆく。
梶矢さんの原爆のお話は
私が今まで聞いてきた
耳を覆いたくなるような悲惨なお話
とは大きく違い
中学の修学旅行の長崎平和学習での
2度と戦争はしてはいけない
のテーマにのっとった
映像や写真を交えての学習は
もちろん正しい平和学習なのですが
平和学習=悲惨な戦争の爪痕を学ぶ
ということが
胸が苦しくなりすぎて
避けて通りたい分野になっていた私に
すーっと、入ってきました。
「私は原爆投下時、玄関にいて助かりました。
大体、玄関やトイレにいたものは助かっとる。」
から始まる梶矢さんのお話
当時、小学1年の梶矢少年が体験した原爆を
時には手作りの絵を見せながら
実際の目でみたそのままを語ってくださってる。
自分が体験したことを
できるだけ忠実に伝えてくれようとしてくれる
そんな風に感じました。
自分達が体験した『事実、実相、実感』を語ることによって、
肌身で『平和というものはありがたいんだ。大事にしないといけないんだ』
と思ってもらえるような語り継ぎ方をしようじゃないかと。
それが『語り継ぐ会』の方針です。
注目されよう、面白おかしくやろうと思ったらいくらでもやれるんじゃが、
面白くなかったとしても作り話でなく、
事実や実感を伝えていかなければいけないと思う。
~『日本製』梶矢さんの言葉より抜粋
今までは想像するのも怖かった
原爆投下の景色が
梶矢さんのお話を聞いて
現実として
受け止められた気がします。
私の頭の隅っこ
~すっごく隅っこに
おいてある原爆に関する小さな箱。
中に入れていたのは
白黒の資料だけだったのが
カラーも加わり
箱も少し中央に移動した
そんな気がしました。
梶矢さんありがとうございます。
語り部梶矢さんのことがよくわかる記事があったのではっておきます。
集会所では
そんな語り部さんとしてのお話と
梶矢さんと奥様が永遠のゼロで
「いい俳優じゃのう〜」
と絶賛していた
俳優三浦春馬に会えた喜びのお話
とを交えながら
涙と笑いの時間となりました。
そしてそして
三浦さんから梶矢さんへのお手紙に書かれていた
最後の2行
追伸 セーターの件お手数をお掛けしました。
送ってくださり有難うございました。
の文章に
「このセーターとは何のことですか~?」
の質問が参加者さんからでまして
「いい質問です」
と答えくださった梶矢さん。
『日本製』の取材の後
見覚えのない赤いセーターがポツンとあり
誰かの忘れ物
てっきり、女性のだと思った梶矢さん。
色々聞いてみるも、持ち主が出てこない。
で、ワニブックスさんの方に伝えると
持ち主。。。
はい、三浦さんでしたー
それで、追伸がそんな文章だったのねー。
その日、朝から『日本製』山口、栄ふくさん
の取材を経てから
こちら広島に来た三浦さん。
あーー、
その時のセーターを忘れたのかー
忘れ物王だものねー。
納得〜
この翌日、栄ふくさんに訪れた私たちは
もちろん栄ふくさん親子に報告しておきましたー