家族の中で、

「しっかり者」

というレッテルを貼られた私は
物心ついた頃から長年、その

「しっかり者」という役割をこなさなければ!
と生きてきた。

 


でも、つらくなった。


何故、わたしが何もかもを担わなければならないのか?

何故、わたしが背負わなければならないのか?

 

でも、言えなかった。

 


「お前はしっかりしてるからな」

という一言で、
私は、家族に対して、

支えや助けを求められなくなった。

 


常に

 

わたしががんばっていないと!

母を守らないと!

父を支えないと!


でも、わたしを支えてくれる人がいないぐすん

 

という状態。。。

 

そんな中では、がんばるのには限界があった。

 

 

でも、実は、がんばらなくてもよかった。

背負わなくてもよかった。

 

「がんばっている自分」じゃないと 価値がない

「しっかりとお役目を果たせる自分」じゃないと 価値がない

と思い込んでいただけだった。

自分で背負いたいから背負っていた。

 

 

がんばれなくても いい

背負えなくても いい

 

ここに居るだけでいい

 

それに気付き、

そう思えるようになるには、

時間もステップもかかったけれど、

 

合気道仲間の存在に助けられながら

何年もかけて学び、向き合い、

ようやく、ようやく

ガッチリと背負っていたものを手放せた時


そこには、
わたしが支えて守らなければ生きていけない人

は居なかった。

わたしががんばらなくても大丈夫だった。

 

目の前の霧がパーッと晴れるように

そう思えた時、

それが、「寂しい」とは、まったく感じず

ただただ

「ありがたい」という想いがあふれた虹キラキラ

 


誰かを支え、誰かを守ることで、

自分の存在価値を実感し、

自分をこの世につなぎとめておきたかった

だけ

 

そのお役目を課せられたわけではなくて、

私がただ、そうしたかっただけ

 

それもまた、

自分の『こころ』を守る為だった。

わたし、がんばったよね合格


それに気付くと、

そこには、あったかいものが溢れていた黄色い花

 

がんばらなくても いい

背負わなくても いい

このまんまで居て いい

 

うまく言葉にできないけれど、

なんとなく


ちゃんとあったよ虹キラキラ

だいじょうぶ

 

「 家族関係の仕事は大事業である!」

これは、心理学者である河合 隼雄先生の著書
「心の処方箋」
の本にある言葉。

 

「家族関係のことよりも、

仕事や社会的なことの方が大変だ」

という思い込みがあるが、

実は、家族関係のことの方が

仕事や社会的なことよりも大変で

『大事業』なのではないか

というようなお話。

 

私は十数年前、

家族関係に苦しさを感じていた時に
この文章を読み、
まさに
「ハッ」
とした。

 

 

そして同じ時期

合気道の師範が

「真剣は抜いてはいけないんだぞ!」

というお話をされた。

 

真剣を抜くのは、相手を死に至らしめる時

むやみやたらに抜いてはいけない

 

皆、日常生活の中で

よかれと思って

自分が正しいと思って

真剣を抜き過ぎだ

 

というお話をされた。

た、確かに・・・

 

 

「 家族関係の仕事は大事業である!」
「真剣は抜いてはいけない!」

 

私は、この二つの言葉のお蔭で

 

「はぁーーーーー!
私は、『大事業』である 家族関係において
『真剣』を抜きまくっていたな!
そりゃぁ、うまくいかなくて当然だ。
傷ついて当たり前だ!

と、腑に落ちた。

 


私は正しいはずなのに
こんなにがんばっているのに

 

という思い込みがあると、
苦しくなっていくよね。
そして、それでうまくいかないと、


つらくなったり、
時には、絶望感を味わうこともある。

 


でもそれが、
(大切な取引相手と思って接しなければいけない)
『大事業』において、

真剣を抜いていたから起こったこと、
だとわかると、

 

私には、
改めるべき 在り方 がある
改善できるポイントがある

まだ、試せるやり方がある!

まだ、やれることがある!

という希望になった。

 

 

そんな気付きや、

コツコツとしたセルフケアのお蔭で、

あの頃と比べると、家族関係は楽になっている。

 

 

必要な言葉や人・物には、

ちゃんと出会えるようになっているな~

と感じた出来事のひとつだった。

 

 

「死ぬこと以外かすり傷」

って、ちょいちょい聞くけれど、

私はその度に、

心が少し

 

ザワザワする。。。

 

 

ずっと

消えてなくなりたかった

私としては、

そう思わなくなった今でも、

まだ、こういう言葉はスッとは受け入れられないみたい(笑)

 

 

「消えてなくなりたかった」頃は、

合気道の師が

 

「朝、目覚めるということは、

今日も一日、生きていいということだ!」

というお話をされる度に、

 

「朝、目覚めると、

今日も生きなくてはならないのか・・・

って思う人も いるけどね。

一日が又始まることに 絶望感を味わう朝

もあるけどね。

なんで、『人は皆、死にたくない!と思っている』

という前提なのかね~ガーン

なんで、『生きられる=良いこと』って

決めつけられるのかなぁ。」

 

と、斜に構えて聞いていた。

なんだか

ものすごい正論で、理不尽に攻撃されている

ような、複雑な気持ちにすらなっていた。

 

 

当時のそんな複雑な心境を、

最近、「死ぬこと以外かすり傷」という言葉を

連続で聞いた時に思い出し、

そして、

気付いたことがあるひらめき電球

 

 

実はその師は、病を克服されて、

今の「生」がある。

なので、おそらく

「朝、目覚めるということは、
今日一日、生きていいということだ!」

という言葉には、

心底、その実感がこもっている

のだろう・・・ ということに!

 

 

いやね、その当時もそれは

頭では、文字通りに

「情報」としては、わかってはいたの。

 

「あー、だからそういうお話をされるんだなぁ」

とは、わかってはいたのよ。

頭では!

でも、その当時の私の心には、

その心情を察するゆとりはなかった。

 

頭じゃなくて、心で感じる

その、もっともっと手前の段階で

その言葉をシャットアウトしていた。

受け付けなかった。

(自分の心を守る為にね。)

 

「おー!

そういや、そういうことだったのね!」

と、今更ながら、初めて『わかった』

みたいな衝撃(笑)

 

 

それに気付いて、当時の私の心境に

ちょっと寄り添ってみた。

 

そして気付いた。

 

 

当時の私は、

 

「生きづらさをなくしたい!」

とは思っていたけれど、

 

「生きたい!と思えるようになりたい!」

とは思っていなかった。

 

だから、

「どうやったら生きたいと思えるようになるのか?」

という方法を、考えようともしていなかったショック!

(いやまぁ、その方法がすんなりわかったら、こんなに苦労してないんだけれどね。)

 

 

「生きづらさをなくしたい」

と、

「生きたいと前向きに思えるようになる」

は、違う。

 

 

う~ん、でもね、

そもそも、その時は

積極的に「生きたい!」などど、思えるようになれる

とは、思っていなかった!

そんな前向きな気持ちが湧くのは、

まずこの目の前の「生きづらさ」を解消してからだ

と思っていた。

でも、「生きづらさをなくしたい」時点で既に

「死にたい」と思ってないかも!?(笑)

ある意味、前向き!?

 

でも、その当時はほんとに

まずは「生きづらさ」をなくすことだと思っていた。

 

 

そしてねー、多分、

「生きたい!」って思ってしまうことが、

前向きにこれからの人生を掴みに行く感じで、

それがなんかちょっと

面倒臭い

と思っていたことにも気付いた(笑)

疲れてたんだね・・・。

 

 

それでも

あの時の私は、

必死で一生懸命に

「生きよう」ともがいてた。

 

「今の自分にできること」を探して、

こつこつと続けることでしか

生きづらさは解消できないと思い込んでいた。

 

一生懸命で

もうそれ以上、傷つきたくなくて、

ゆとりがなくて、

だからこそ、一生懸命に自分を守っていた。

 

ふふっ、ガチガチの「思い込み」も

いっぱいあったねー(笑)

(今でも、いっぱいあるけれど・・・)

 

 

多分、そんな自分が

ほんとに駄目な人間のような気がして、

今まで、その時の自分に向き合えなかった

のだと思う。

 

でも、そのちょっとした「怖さ」を乗り越えて

思い切って向き合い、寄り添ってみたら、

そこまで駄目じゃない『わたし』が居たね。

めちゃくちゃ不器用で、健気ですらある(笑)

 

そんな自分に出合って、

ちょっと、ほっDASH!とした。

 

そしたら、

「死ぬこと以外はかすり傷」だろうと、

「朝、目覚めるということは、
今日一日、生きていいということ」

だろうと、

人がなんと言おうが別にいいかっ

って思えた。

 

わざわざその言葉を、

自分が傷つく方向に受け取り、解釈する必要はない。

そんな「選択」をするのはやめればいいか、

って、改めて思った。

 

 

もしかしたら、そのうち、

「死ぬこと以外はかすり傷ー!」

って言いながら、

何があっても、ケラケラ笑っているかもしれない音譜

 

さて、

「ありがとう」ワーク。

 

三か月間、毎朝、10個の「ありがとう」を、

メールで講師に送るという課題。

 

 

毎朝、三か月も続けると、

感謝の念がどんどん湧いてきて

 

自分の存在にも感謝

 

できるようになった。

 

 

でもなぜか、

自己存在否定が

スッキリとは消えてなくならず

むずむずと顔を出す。。。

 

なぜ?

 

まだまだ 感謝が足りないのか?

 

まだまだ 私が未熟なのか?

 

そして再び始まる、

自己存在否定

 

 

もがいた挙句、気付いた。

その原因は、

講師の方の

 

「自分に対して、自分が感謝しなくてどうするのですか!

よくそれで、今まで無事に生きてこれましたね!

 

という言葉にあったということに!

 

 

 

確かに、これを言われたことで、

 

それまでの自分に対して

深いふかい感謝の念が湧くようになった。

 

 

『わたし』は、今まで長年

こんなにも がんばってきたのに、

私が『わたし』に対して

 

「よくがんばってるね!」

「いつも ありがとうね!」

 

って、想えていなかった。

 

あー、なんてかわいそうなことをしていたんだろうえーんあせる

 

と気付き、

 

それなのに、

よくぞ今まで、

私の為に、がんばり続けてくれたね!

健気だね。がんばったね。

 

本当にありがとうキラキララブラブ

 

 

と、自分自身に深くふかく感謝

するようになった。

 

それは、すごくいい合格

すごく良かったOK

 

 

 

でも同時に、擦りこまれてしまっていたもの。

それは

 

自分に対して、長年、

申し訳ないことし続けていた

 

という、自分に対する後悔の念。

 

 

「よくそれで(自分に感謝しない状態で)

今まで生きてこれましたね!」

の言葉が、強過ぎて。。。

 

自分への罪悪感も生まれてしまっていた。

 

 

自分への

罪悪感 > 感謝

 

いくら感謝が湧いても、

罪悪感も比例して大きくなる。

こうなると、苦しいよね。

 

 

でも、その罪悪感は、

ある気付きにより

ウロコがはがれるように

わたしから、ぽろぽろと

剥がれ落ちて行った。

 

 

それは、

私が私に優しくできなかったのは、

本当は

 

自分のことが

『大切』だったからドキドキ

 

 

それまで私は、

自分の存在を否定したり

ダメ出ししたり

心に鉛を流し込んだり

自分に優しくないことを

いっぱいしてきた。

 

でもそれは、

自分で自分を

傷めつけたくてしていたのではなく

 

自分の心を守る為に、

私自身を守る為に、

していたこと。

 

そうするしかなかった。

他に方法を知らなかっただけ。

 

 

だから、

その根っこには、

ちゃんと

 

わたしが『大切』ドキドキ

 

という想いがあった。

 

 

それに気付くまで、

自分が落とし穴に落ちていることにすら

気付いてなくて、

自分を責めていた。

 

でも、

ものすごいステップを経て

ようやく、ようやく気付き、

腑に落ちた時、

 

ほっとしたDASH!

 

安心した虹

 

あー、私、

ちゃんと『人』だったんだ!

 

と、素直に想えた(笑)

 

 

そして、それに気付けたのは

 

私に寄り添い

見守り

導いてくれる人

に巡り合えたから。

 

そして勿論、

「ありがとう」ワークの講師の方が

いらっしゃったから。

 

全ては、私に必要なステップだったあし

穴に落ちていないと、この気付きへの

感動はなかった!

 

 

心の底から

ありがとう、ありがとう、ありがとうラブラブドキドキラブラブ

空への穴

以前、ある講座を受講した時に

「ありがとう」ワークがあった。

 

毎朝、10個の「ありがとう」を、

メールで講師に送るという課題。

 

三か月間、毎朝!

 

これは、

実際に実践すると、

なかなかに、大変。

(毎朝、そのメールに返信くださる

講師の方も、すごい(笑))

 

 

このワーク、

単に、ある対象に対して「ありがとう」と

言うのではなく。

 

 

○○○:□□□で、ありがとう、ありがとう、ありがとう

 

という形で、

 ○○○:感謝の対象

 □□□:感謝の理由

まで必要。

 

まぁ、思いつかなければ、

毎朝、同じものに感謝 でもよいけれど、

できれば、

いろんなもの・ことに感謝してください、と。

 

 

道具は、そもそも

各々の「お役目」があるので、

「□□□してくれて、ありがとう」

と感謝し易い。

 

だから最初は

身の回りの物、

身に着ける物

家にある物

いろんなものへの感謝を綴った。

 

 

そうすると、しばらくして指摘される。

 

「ご自身への感謝がありませんねー。」

 

 

自分への感謝!?

 

おー、してない、してない!

 

なんなら、

 

まだまだダメだよ!

もっとがんばらないと!

私なんて笑い泣き

 

と、ダメ出しと否定ばっかりしてるよ!

 

 

「自分に対して、自分が感謝しなくてどうするのですか!

よくそれで、今まで無事に生きてこれましたね!

 

「もっと、ご自身に対して感謝してあげてください!」

 

と、言われ、自分への「ありがとう」探しが始まる。

 

 

四肢や目鼻口から、

ひとつひとつの臓器に至るまで

ありがとう

 

何かできたら、その

「できた自分」に

ありがとう

 

失敗しても、そこから学べたから、と

自分にも 出来事にも

ありがとう

 

優しくされたら、

優しくしてくれた人にも、

してもらえた自分にも

ありがとう

 

 

毎朝、三か月も続けると、

感謝の念がどんどん湧いてくるようになる。

 

 

もー、突き詰めれば

すべてに対して感謝!

 

 

「ありがとう」メールをうってるだけで、

「じぃ~ん」と感動して、

ほろりと涙がこぼれたり汗キラキラ

するようになる。

 

 

がんばって、良かったね~。

素晴らしい習慣だったね~。

続けてきたからこそ、の境地だよね~。

 

と、三ヶ月が経つ頃には、

「ありがとう」ワークに

心から感謝。

 

 

ところが!

 

そこには「 落とし穴」があって、

 

私は気付かないうちに、

しっかりと

 

落ちていた!

 

穴

(長くなるので、続きは次回に。。。)

私は、「生き辛さ」をなんとか解消したくて、

心のセルフケアをいくつか学んできたが、

その一番最初のきっかけは、

合気道仲間からの勧めだった。

 

 

2015年春。

私は、周りに何も言わずに
頑張り過ぎる位にがんばってしまっていた
らしく。

それでもまだ「がんばらなくては!」
と無理しているところを、

合気道仲間に発見されて


「もう、いいよ。
それ以上したら、回復できない位にぼろぼろになるよ!」
と言ってもらい、
ようやく

 

「私は、がんばらなくていいのか?」

 

と気づいた。


自分のことを、

あんなに人に話して
あんなにお世話になったのは、
人生で初めてだった。

 

「迷惑じゃないから、
そこまでの状態になる前に、

吐き出さないと!」


とも言ってくれて、


人に甘えていい、

誰かに吐き出していい、


ということを、体感し

合気道仲間の存在に

深くふかく感謝した春だった桜

 


それでも まだまだ私にとっては

 

「生きることは難しい。しんどい」

 

という思いが抜けずに過ごしていたところ、

 

「そういうことをお仕事としていらっしゃる方に
お話を聞いてもらったら?」

 

と、信頼できる人を勧めてくれた。

(しかも、合気道繋がりの身内の方)

 

でも、実は

すごーーーーく 抵抗があった。

 

私、心を病んでいるわけじゃないし。
性格的に、生きづらいだけだし。
そんな、わざわざ人様のお世話になるのぉ!?

わたし、自分で大丈夫になれるはずだからぁぁ!


でも、

 

元気な私も
元気じゃない私も
どんな私も、そのままを受け入れて
友達として「好き」で居てくれている。

 

そんな友達が


「どうしたら、あなたが、

毎日と未来を楽しみに感じられるだろうか

とずっと考えている。」
「セッションに一緒に行こう!」


とまで言ってくれている。

これは、きっと自分に必要なことに違いない!

 

「これも何かのご縁とタイミング。
この流れに乗らないと!


と感じ、セッションに一人で行った。
(一緒に行こうと言ってくれていたけれど(笑))

 


そして、
いっぱい話し、いっぱい泣いて、

いろんな気付きがあり、

少し楽になった。

 

 

ただ、今まで長年、
いろんな「思い込み」

に縛られて生きてきており、
生き方の「癖」がついているので


一回セッションを受けただけで、
生き辛さがスッキリなくなるわけではない!


ということを実感し、

(私の場合はね。)

 

その方が開講されている講座を

受講していった。

 

マインドブロック解除
リミットブレイクマスター

肯認学

など、セルフケアができるものを学び、

他者へのセッションができる資格も習得した。

 

中でも、「肯認学」という、

その方が独自に考案されたメソッド

を習得した時に

 

「独自にアレンジして、
是非、いろんな方を癒して差し上げてください!」

と言っていただき、

後に、ココナラというサイトで

私自身がセッションを提供させて頂くことになった。

 

 

五年前、

合気道仲間の一言がなければ、

私は今でも、

生き辛さを抱えていた

かもしれない。

 

こうして、自分や周りを癒せる術を

身に着けていなかったかもしれない。

 

素晴らしい合気道仲間に

出会えたこと、繋がれたことに

心より感謝している。

 

言葉では、伝えきれないけれど

 

 

いつも、ありがとうドキドキ

 

希望への道

 

 

新年明けましておめでとうございます。

本年も、どうぞ宜しくお願い致します。

 

今年は、

今までの感謝と

自分のエネルギーを

周りに還元し、

巡らせていきたいと

想いますビックリマーク

 

 

 

この数年、いろんなことを学び

こつこつと実践してきたけれど、

 

ひとつひとつは理解し、

腑に落とせてきたものの

なかなかスッキリとは

道が拓けなかった。。。

 

 

私は何か間違っているんだろうか?

私の何が悪いのだろうか?

がんばっても、がんばっても

どんなに心を尽くしても、報われないのか?

 

 

そんな気持ちを抱えながらも、

でも、

「今の自分」に出来ることを

ひとつひとつ

することしかできなくて、

それしかなくて、、、

 

とにかく

目の前のこと

今できることを

こつこつ こつこつ

 

心折れそうになりながらも

くじけそうになりながらも

 

自分を信じられなくなっても、

とめどなく涙がこぼれながらも、

 

こつこつ こつこつ

 

続けてきた。

 

 

昨年は、

それらの「点と点」が

ようやく

「線」に繋がる

兆しが見えてきた。

 

 

はぁ~

長かったぁ~しょぼん

 

 

ここまでくるのには、

ひたすら

こつこつで、

 

ここから飛躍するキッカケを掴む為には、

少し、『勇気』が必要だった。

 

 

こつこつと続けてきたからこそ、

その

一歩を踏み出せる自分

になれたのだと思う。

 

 

昨年の終わりがけに、

ようやくその「一歩」を踏み出せた。

 

 

だから、今年は本当に

『新しい年キラキラ

 

 

私の持つ特性が、

誰かの一助になれるようにドキドキ

 

そして、

私が わたしらしく 在れるように虹

 

そんな一年にしたいと想う。

 

 

本年も、どうぞ宜しくお願い致します音譜

 

子と黒米の稲穂

今年は、印象深い年だった。

 

人は、人生の「課題」があると、

それに気付き、乗り越えるまで、

 

手を替え品を替え、

形を変えて、

何度もやってくる

 

と言うけれど、

そのひとつを

強烈に突き付けられた年だった。

 

それは

 

「無理なものは『無理!』と言う」

 

こと。

 

強制的に、

「無理」と言わざるを得ない状況に

バッチリ追い込まれた。

 

「無理なことを無理と言う」

これって、

私にとっては、

結構、怖いことだった。

 

がんばれない私は価値がないんじゃないか?

出来ない私はダメなんじゃないか?

 

周りからそう思われるのも怖かったけれど、

なにより 私自身が、

出来ない私、

弱い私

ダメな私

を、受け入れられていなかった。

 

 

でも、

メンタルをやられまくって、

もう

「無理ーショック!ビックリマーク」ってなり、

そして、

特定の人以外の前で、泣かざるを得ない状況に

追い込まれた。

 

はぁ~、情けないしょぼん

 

 

そしたら、

周りはあったかかった。

 

「もう、がんばらなくていいよ」

 

「人それぞれなんだから、

あなたが辛いなら辛いでいいんだよ」

 

「人のこと、気にしなくていいから

自分のことを一番に考えて」

 

「いやいや、それは誰でも無理やで!」(笑)

 

 

誰も、私がダメだなんて言わない。

誰も、私が弱いからだなんて言わない。

誰も、私を責めない。

 

 

私を責めていたのは、

私だけ

だった。

 

 

がんばれなくなった私に、

周りは皆、
あったかかったドキドキ

 

 

はぁ~、

私は今まで、何をがんばっていたんだろ?

何を頑なに拒んでいたんだろう?

 

「ありがとうニコニコ」って

素直に受け取れば、
お互いが ハッピー音譜になれるものだったキラキラ

 

 

そんなことに気付けた年だった。

 

 

私の周りには、

まだまだ気付けていない

優しさや、あったかさが

きっとある虹キラキラ

 

 

私がそれに気付いて

「ありがとう」

って想えるようになるまで、

きっと、あったかく

見守ってくれている。

 

そう、

信じることにしたクローバー

 

 

ずっと生きづらかったけれど、

人生は、私が思っていたよりも

優しくてあったかいのかもしれない。

 

そう想えるようになった、

良い年だったキラキラ

 

 

本当に、

ありがとうございましたドキドキ

 

生き辛かった私は、ずっと

 

『消えてなくなりたい』

 

と思ってた。

 

昔は

「早くおばあちゃんになりたい!」

位だったのが、

大人になるにつれて、生き辛さが増し

「消えてなくなりたい・・・」と、

常に思いながら生きてきた。

 

とにかく、自己存在否定がすごかった。

 

 

それでも、死ぬことができなかったので、

仕方なく生きていたけれど、

さすがに、

 

「この状態のまま、

この先何年も生きなければならない」

 

と、想像すると、

つら過ぎて、しんど過ぎて

 

それで、

少しでも、その生き辛さを解消しようと、

心のセルフケアを学んだ。

 

こつこつとケアをしていると、

落ち込み方が変わっていったり

気に病むことが減ったり

ダメージを受けた時の回復が早くなったり

効果が出てきたけれど

 

それでも

 

『消えてなくなりたい』

 

という思いは、消えなかった。

 

 

相変わらず、

つらいものは辛いし、

「私は、生きている価値があるのだろうか?」

とぐるぐる考える。

 

そうなると、

 

「せっかく、心のケアを学んだのに、

まだ生き辛いって、

私は なんてダメなんだ!」

 

と、自己肯定感が更に下がるさがる・・・

 

学んだお蔭で、良くなった面もあるのに、

学んだせいで、「できない自分」を

更に責めることになる。

 

悪循環な上に、

更なる絶望感

 

なにやってるんだろ・・・

 

 

そんな中、

「あなた、エンパス体質ですよ」

と言われる。

 

「エンパス体質ってなに!?」

 

日本人の5人に1人がエンパス体質

と言われる時代なのに、

ブロック解除や、エネルギーワークを

学んでいても、なぜか知らなかった

エンパス体質(笑)

 

 

でも、自分がそうだとわかった時に

そういう人達が一定数居ると

わかった時に、

私は、

「あー、私は生きていていいんだ!」

とほっとした。

 

 

ずっと、

自分のような人間は、生きていてはいけない

ような気がしていたけれど、

「私だけじゃ、なかったのね」

と、市民権を得たような気持ちになった。

 

 

そして、自分で『欠点』だと思っていた面は

 

「それは、素晴らしい『特性』です!」

 

と力説される(笑)

 

 

そこからかな。

自分で自分を受け入れる

方向に心のベクトルが向き出したのは。

 

そこから、更に潜在意識を学びだして

腑に落とすのにはだいぶかかった(笑)

 

いや、まだ、その途中だけれど、

 

それでも、もう

「消えてなくなりたい」

とは思わなくなった。

 

 

それには、いろんな人のお蔭があるけれど、

長くなるので、それは又の機会に。

 

雪の結晶

はじめまして、yura♪と申します。

 

私はずっと「生きづらさ」を抱えて

生きてきましたが、いろんな学びや、

合気道で出会えた仲間のお蔭で、

ようやく、ようやく、

楽に生きられるようになってきました虹キラキラ

 

この数年の学びや気付きは、まるで

『青い鳥』を探す旅

に、何度も出ているようなものでした。

でも、探しに出たからこそ、

その青い鳥に気付けたのだと感じています。

 

そんな私の軌跡あしやセルフケア虹

ご縁をいただいた方々への感謝ラブラブ

日々のささやかな気付きひらめき電球や感動目

などを綴っていきたいと思います音譜

 

どうぞ宜しくお願い致します。