昔、ダメージを受けてはマイナス状態になっていた頃は、
落ち込む度に
「早く上がらなくては!」
と思っていた。

テンションが低いのはダメ
テンションが高くないとダメ

ネガティブでいるのはダメ
ポジティブじゃないとダメ

マイナスはダメ
プラスで居ないとダメ

誰が決めたのか知らんけど。。。
そういう価値観に振り回されてた。


一旦どん底まで落ちてしまえば後は上がるだけなので、
早く上がる為に、まずはとことん底まで落ちる↓↓↓
という作業を繰り返したりもしてた。

それで割と早く上がれれば、
自分はがんばれている!
と思っていた。

でも、しんどかったんだろうね~
(遠い目・・)

そんな時

テンションは上げなくていい!
ニュートラルでいいんだよ!


という発信を受けた。


えっ!上げなくてもいいの!?
プラスにならなくてもいいの!?
えーっ!わたし、『ニュートラル』ならできるー!

って思って、ほっとした。

ずっと自分にナニカ?を課してきた自分が
許されたような気にすらなった。


「ネガティブ」を「ポジティブ」に
「マイナス」を「プラス」に
変換させるって、
これって実は結構しんどい

無理にそれをすると、揺りかえしがきたりする。
そして、そうなると更に落ち込む↓↓↓

うん、悪循環だよね。。。

真面目でがんばり屋さんほど、そうなるよね。

そんな人は、
今、これ以上がんばることが苦しい人は、

無理してテンションを上げなくてもいい
がんばってポジティブになれなくてもいい
なんとか気持ちをプラスに持っていこうとしなくてもいい


ニュートラル=無
でいい

「がんばらなくていいんだよ~」って
自分をよしよししてあげて欲しい。



『ニュートラル』も、難しく考えなくていい

「はぁーーーっ」って息を吐いてみたり
あったかい飲み物で「ほっ」と一息ついたり
夜空に浮かぶお月さんを眺めてみたり
湯舟にぽちゃんと浸かって、ぼーっとしたり
鼻歌をうたってみたり


なんでもいい
ほんの一瞬でいい

息をしっかりと吐いて
頭をからっぽにして

まぁるく ぽっかり浮いている ような

そんな自分をイメージしてみて欲しい

 

もう10年位前。

 

私が生き辛くて、消えてなくなりたくて

でも、死ねない自分の情けなさに絶望していた頃。

 

食欲もなく、あまり食べていなかったけれど、

ふと「何か食べなきゃ」と思い立ち

たまたま頂いて冷蔵庫に入っていた

『しらす』

を食べようと思った。

 

食欲がないのに、なぜか

ミニ『しらす丼』を作って。

なぜか、食卓のいつもと違う席に座った。

 

そして、いざ「食べよう」と思って、丼を見下ろしたら

 

おびただしい数のしらす達 が私を見上げていて

目が合った

 

全員と目が バチッと合ってしまった!

 

 

皆、私を励ますようにこちらを見上げていて、

その瞬間、

 

「あーーー、

こんなにもたくさんの『生命』をいただくのなら

私は元気にならないとっ!」

 

と思った。

 

「食べるということは、いのちをいただくということ」

 

こんなにもたくさんの生命をいただくのなら、

それをいただく私は、

食べて元気にならなければならない!

 

と思った。

 

 

「そうでないとこの生命たちに申し訳ない・・・」

などという「思考」は一切なくて

 

ただ、「元気にならないと!」

そう思った。

 

 

そして、ぼろぼろ泣きながら

もう 『しらす』 も箸先も見えない位に泣きながら

それでも懸命に食べた。

 

しらす達のエネルギーが

わたしの中に入っていくのを感じながら

 

その「生命(いのち)たち」に感謝しながら

 

ぼろぼろ泣きながら食べた。

 

 

あの時の光景、

あの時感じた しらす達のエネルギー

あの体感

あの涙

 

忘れない。

 

 

何年も経った今でも時々思い出しては、

あの感覚が蘇り、涙がこぼれる。

 

 

今思えば

あれが私の

「生き直し」の原点

だったのかもしれない。

私は、精神的にキツくなってくると、感情が出なくなる人だった。

 

客観的に見れば、

「あー!一回、感情を出せば、ちょっと楽になれるだろうに・・・」

というところ、

一人で居ると、感情が出なくなる。。。

 

で、感情が動かないので、徐々に

「私、安定している。大丈夫だ」

と、思ってしまう。

 

そう

 

勘違い。。。

 

 

最近はそんなこともめっきり減ったけれど、

先日、仕事の忙しさと、環境の変化で、

久々に、この状態になっていた。

 

ん~、なりかけていた・・・位かな(笑)

 

 

久しぶりに

め~ちゃ~く~ちゃ~、しんどい夢を見て、起きた朝。

自分のセルフケアセッションをするものの、

どうにも「思考」が働いてしまって、癒せない。

 

そうこうしているうちに、

合気道仲間からLINEが来て、普通に返したら

 

「とりあえず、深呼吸して」

 

と来た!

 

 

ものすご~く鋭い人なので、雰囲気から、

私の様子が常ならざることを感じ取ったもよう。

 

 

で、私も

「もしやこれは、吐き出しポイントか!?」

ということで、とりあえず

 

「めちゃくちゃしんどい夢を見て、」

 

と打ってみたら、

ぽろぽろと涙がこぼれてきて汗汗汗

 

「なんか、泣けてきた」

と報告すると(笑)

 

「涙は出る時は出す!

出終わるまで出ーす!」

 

ときたもんだ。

さすが(笑)

 

仰る通り!

 

 

私に限らず、

自分一人の中で

ぐるぐる考えたり、思ったりしているだけだと

どうしても「思考」が優位になってしまって

「心」「気持ち」が出てこなくなることがあると思う。

 

そういう時はね、

私の場合は、もう

「一人では無理!」

とわかっているので、

安心安全で、信頼できる人に

「ごめん、吐き出しだけさせて!」

と前置きをしてから、

心情を吐露するようにしている。

(そう言っておくと、とにかく「受け取り」だけしてくれるので。)

 

そうやって、言葉に出してみると、

ようやく感情が出てきて、

思いっきり泣けたりして、

そうすると、

落ち着いていく。

 

感情は、とにかく出しきること。

その方が、心が落ち着くのが早い。

「捉われ」から解放されるのも早い。

それを、この数年で、とても体感している。

 

そして、

こうして、吐き出しをさせてくれる存在が居ること、

心の底から感謝している。

いつもありがとう虹キラキラ

 

心がガチガチで、どうにもならずに困っている方は、ご縁があればこちらをどうぞ。

涙

 

私は、社会人になってから、スギとヒノキの花粉症になり、

その症状の違いで、飛散する花粉がスギからヒノキに変わったことがわかる程だった。

 

でも、今年は、花粉症らしい症状は全然出ていない!

 

この半月程、仕事が忙しく、

又、結構イライラとストレスもあったので、

今までの私なら、こんな状態に陥ると、

花粉症も酷くなっていたけれど、

今年は平気ー!!

なんともないー!!

 

 

自転車通勤なので、一応、帽子とマスクはしているものの、

「あっ!花粉、飛んでるな!」と体感する日や、

翌朝の起きがけに、強烈に目がかゆくなることも、

鼻水が出ることもなかった。

 

これは、

『食』の力のお蔭と、

心と身体のセルフケアの賜物

だな、と実感。

 

 

生きづらくて、なかなか気持ちが前向かなかった時、

それでも、生きていかなくてはいけないので、

「健全な肉体に健全な心が宿る」

とよく言うし、

「心の状態は内臓の状態が影響している」

とよく読むし、

合気道の師範は、

「心が弱っている時は、身体でそれを助けてあげるんだ

身体が弱っている時は、心でそれを助けてあげるんだ」

というお話をされるし、

 

それで、

じゃあ、身体に心を助けてもらおう!

と思った。

 

それまでの体験で、私の場合は、

合気道の「呼吸法」や稽古だけでは、

身体が心を助けてくれる程にはならなかったので、

『食』 を変えていった。

 

 

私達の身体は、口から入るものでできている!

じゃあ、口から入るものを変えよう!

 

 

ということで、食を変えることを試してみた。

 

 

そうすると、それは、私の感覚的には、

「自分を大切にする」に繋がった。

 

 

そして、数ヶ月が経った頃に、その効果を実感し始めた。

気持ちがあまり落ちなくなっているし、

それまでよりも、心身共に前向きになっている。

そして年々、花粉症もましになっていき、

しょっちゅう飲んでいた胃薬と頭痛薬は、今は全く必要がなくなった。

 

 

そうやって、身体のセルフケアと、心のセルフケア、

両方を続けているお蔭で、

世界全体が大変な、今のこの状況でも、元気で居られる。

 

日々耳にするニュースに振り回されたり、

過剰に不安になることなく

「とにかく、自分の免疫力を落とさないようにしよう!」

「自分自身が周りの脅威にならないように、気を付けよう!」

と思えている。

 

不安になることが、一番、免疫力を落とすので、

そうならないように、心のセルフケアもできるようになっている。

 

これから先、どうなるかはわからないけれど、

でも、毎日を丁寧に、

自分のことも、周りのことも、皆を大切に過ごしていきたいと想う虹

(心のケアはこちらから)

花粉

 

今年に入ってから、連日「初めてのこと」を強いられる日が続いたことがあった。

 

これは一体、何かの修行!?

 

という程に(笑)

 

 

その中で、強烈にストレスだったのが

「できるかどうかわからない・・・」

ことを、限られた時間内で行わなければならなかったこと!

(仕事ではなく、プライベートで。)

 

未経験なので、完了までのイメージが描けないままやるしかなく

ものすごいプレッシャー!

ものすごいストレス!

ものすごい焦る!

ものすごい疲れる!

でも、絶対に今、しないといけないあせる

 

 

仕事の場合は、「お仕事スイッチ」が入っているので、

未経験のことでも

「どうすればできるのか?」

を考えてやるので、そこまで疲れないけれど、

プライベートでとなると、スイッチが入ってないからなのか?

珍しく、焦ってしまった(笑)

そして、めちゃくちゃ疲れたダウン

 

 

そして、無事に完遂してみて思ったのは、

 

 

これって、やったことがある事や

「その方法でできた!」という情報を得ているものなら、

「これで大丈夫」という確信を持ってできるので、

こんなに疲れないよね?

「できるかどうかわからない」から、疲れる。

(私は、そういうことにワクワクするタイプではないので。。。)

もしかして

「できる!」という前提でやっていれば、

完了までの「プロセス」を楽しめたんじゃないのか!?

 

 

「乗り越えられない壁はない」的な考えでいくと、

どのみち、やらなければならないこと、

私の目の前に与えられたお題は、「できる」もの!

のはず(笑)

 

 

なので、未経験のことでも、

やり方が手探りのものでも、

「できる」前提で臨めば、もっと気持ちにゆとりを持って

『完了までのプロセス』を楽しめる音譜

のではないか?ということで、今後、こういうお題に出くわした時は、

一呼吸おいて、

「できるかどうかわからない」→「できるはず」

に、気持ちを切り替えてやってみようと思う。

できる!

「気楽にいこー」
 
とある朝、合気道仲間から届いたLINE。
 
いろんなことが重なって、ちょっとゆとりがなくなっていた私を気遣って、朝一で送ってくれた。
 
 
昔の私なら
「あ~、気遣ってくれてありがとう」
と感謝しながらも、
その奥では
 
「だから、
『気楽にいく』その方法が、わからんねん!
それができたら、こんなにしんどくなってないわ!」
と、思ってた(笑)
 
言わないけれどね。
でも、どうしても、そう思ってしまってた。
 
そもそも「気分転換」というものが、
ものすごく下手くそだったからショック!あせる
 
でも今は
「そうだねーOK
って思えるようになっている。
 
そして、シンプルに
「はーい、ありがとう晴れ
って、返せるようになっている。
 
 
そして、
「この一言を人から言ってもらえないと、
なかなか自分だけでは力が抜けなかったなぁ~。
こうやって言ってくれることが、本当にありがたいね~。」
と、合気道仲間の存在に感謝し、
 
「ほーっDASH!
と深く呼吸をして、自分を立て直せるようになっている。
 
 
「でも」 という 『言い訳』  も
「だから」 という 『できない正当化』 もなく、
「そうだな!気楽にいったらいいかDASH!
って思えるようになっている。
 
 
 
そんな自分の変化に気づき、
ちょっと嬉しくなった朝だった音譜
 
 
小さなことでいい。
ほんのちょっとでいい。
 
こつこつと続けてきたことは、
知らない間に、花が咲き黄色い花、実を結ぶ虹
それを見をもって体感している。
大丈夫お月様キラキラ
気楽にいこう

 

 

 

小さな『快』を見つけよう を実践し、

こつこつと、日々の生活の中の「快」見つけていくと
気付いてしまったことがある。


それは

 


「不快」

「嫌い」

という 感覚・感情

 

 

私は、それまで

「嫌い!」と言うことは、あまりなかった。
あえて言わなければならない時は
「あまり好きではない」
と表現する程に
「嫌い」という言葉を口にすることはなかった。


多分、それは、「嫌い」と思うこと自体に、

罪悪感を覚えていたからだと思う。

 


だって、

 

あれも、これも、あの人も

私が好きではないだけで、
きっと、私が知らない良い面があるよね?

 

私には合わないだけで、
他の人には合う面があるよね?

 

だから、それを「嫌!」と思ってしまってはいけないよね~。


的な?

そう思ったり感じたりするのは仕方のないことなのに、

なぜか自分の中で「善悪」をつけて、

マイナス感情を抱くことは悪いことだ

だからしてはいけない

と、思ってしまっている面があった。

(そんな風に考えない人にとっては、驚きの思考回路らしい(笑))

 


でも、

「これは『快』」

「これは『好き』」

と、自分の「快」に敏感になっていくということは、

 

「これは『不快』」
「これは『嫌い』」
ということも、自ずとハッキリしてきて、

「不快」にも敏感になっていく


ということ。

 

そうなんだけど、一時期わたしは、
「わたし、最近、嫌いなことが増えてしまったぁ。。。」

「なんか、いやな奴になってきてるぅ~?」
と、若干、凹んだり、自己嫌悪に陥ったりしてたショック!あせる

 

そんな時、合気道仲間にそんな話をしたら

「なんじゃ、そら!?」

「嫌いなもんは嫌いでいい!仕方ないやろ!」

「『嫌い』に理由は要らん!」

と一蹴された(笑)

 

確かに!

 

「好き」に理由は求めないのに、

「嫌い」には、何か正当な理由を求めたくなっていた!

 

「あー、『嫌い』に理由、要らないんだぁ~」

という当たり前のことに気付いて

「嫌いなことが結構ある自分」

を受け入れたら、なんか楽になった。

 

そして、

今まで、無自覚に、というか頭で考えて

わざわざ『不快』『嫌い』の方を選択
していたことが、結構あるなぁ~と気が付いた。

(「楽してはいけない」という日本人らしい無意識かなぁ?)

 


最近は
迷った時は『快』の方を選び、
なるべく『不快』『嫌い』なことには近寄らない
という選択をするようになってきた。

 

 

自分の一番の理解者はわたし自身

自分を誰よりも一番大切にするのもわたし自身

 

だから、わたしは

わたしがちょっとでも「快」で居られるようにしてあげよう

って思うようになった。

 

 

ココナラのご依頼を受けていても、

 

「『自分を大切に、自分を愛してあげなさい』」って言われるけれど、

どうしたらそれができるのかがわからないんですぐすんあせる

 

と聞かれることがある。

そりゃそうだよね。

私もそうだったもん。

「その、具体的な方法を教えてくれよー!」

「それ言われてそう出来ていたら、こんなに苦しんでないって!」

って思ってたもん。

 

大したことはしなくてもいい。

こうやって、自分にとっての小さな「快」をみつけることも、「自愛」のひとつだと想う。

 

なるべく自分をご機嫌にしてあげることコーヒー

ちょっとでも、自分が居心地よい方を選択してあげること音譜

そういう日常の中のちょっとちょっとしたことで、

自分を大切にしていってあげられるラブラブ

日々の中でこつこつと続けられることこそ、自分の力になるアップ

私は、そう想う虹

違和感

心のケアを学んで、「ありがとう」ワークをしても、スッキリと「生きづらさ」がなくなったわけではなかった。
それで、潜在意識についても興味を持ち、実践したのが

 

小さな『快』を集める

 

ということ。

 

長い間、「消えてなくなりたい」と思って生きてきた私には、
それが「効果があるのか?ないのか?」を考えて
「やるかやらないか?」を検討する
というゆとりはなく、

 

とにかく実践 !!

 


日々の生活の中で、自分が『快』だと感じる瞬間を見つけていく。

 


チューリップ黄朝、きれいに晴れた晴れ


チューリップオレンジ自家製味噌で作った「重ね煮のお味噌汁」が、五臓六腑に沁みわたる


チューリップピンク玄米の塩おむすびおにぎりから、エネルギーを感じる

 

チューリップ赤前髪がキマッた


チューリップ紫雨予報だったけれど、通勤の間は降らなかった


チューリップ黄道を譲ってくれた人にぺこっと頭を下げたら、あちらもぺこっとして下さった


チューリップオレンジ仕事中のチョコが美味しいチョコレート


チューリップピンク「やばい!」と焦ったけれど、大丈夫だったぁ~


チューリップ赤木のテーブルやお気に入りの食器が心地よいラブラブ


チューリップ紫お笑い番組がおもしろ過ぎるゲラゲラ


チューリップ黄ふわふわもこもこのやわらか手触りのクッションとブランケットに癒されるヒツジ


チューリップオレンジあったかい湯舟につかると、ほっとできる温泉


チューリップピンク湯たんぽがぬくい~ぐぅぐぅ

 

チューリップ赤好きな果物やスイーツを差し入れでもらったいちごケーキ

 

チューリップ紫話をゆっくり聞いてもらえた

 

チューリップ黄ドラマを観て、感動してめっちゃ泣いた

 

などなど・・・

 

 

ほんとに 小さなことほんの一瞬 に焦点を絞ると、

 「あ~、よかった」

 「あ~、幸せ」

 「なんか嬉しい」

 「楽しい~」

 「面白い~」

 「気持ちいい~」

 「心地いい~」

 「スッキリしたぁ」

 「ありがたい~」

と感じる瞬間って、結構ある!

 

実は、日常生活は、思ったよりも、『快』 に包まれている

 

 

そして、この小さな『快』集めを続けていくことは、


自分で自分を

ご機嫌にできる手段を手に入れる音譜


ということ。

 

 

難しいことや、大層なことをしなくても、大丈夫OK

今 この瞬間からできること を、こつこつと虹キラキラ
小さな『快』

この数年で、父は私の言うことをよく聞いてくれるようになった。


老いを感じて、少し自分に自信がなくなったのかもしれないし、
私の「大人」としての実績を認めてくれるようになったのかもしれない。

 

私が言ったこと、伝えたことを、

「わかり易かった」

とか

「助かった」

と、
やたらと感謝してくれるし、

 

私がプレゼントした物を、
ひとつひとつ、よく覚えていて
大切に使ってくれている。

(私自身が、あげたことすら忘れているのに・・・)

 

 

それをね、私が、素直に

嬉しい
と感じるようになった。


ということに、最近気が付いた(笑)

 

 

前までは、
私がしっかりしなくては!
という、気負いがあったので、
何を言われてもプレッシャーでしんどかった

(※)家族との関係【わたし編】参照

https://ameblo.jp/yuraroad/entry-12575586064.html

 

 

でも、その
「お前に任せた、任せている」
という『期待』な感じから

 

「お前のお蔭で」
という『感謝』

 

に変わったように感じる。

 

 

父はずっと同じで、
私の受け止め方が変わっただけなのか?
私の心持ちが変わったことで、関係性が変わってきたのか?
どちらなのかは、わからない。

 

でも、ひとつ言えるのは、

人を変えることはできないけれど、
私が変わることで、そこにある関係性は変わる!

ということ。

 

思い込みや先入観や自己防衛なしに、

そのまんまを素直に受け取ることができたら

私が思うよりも、人生には、

もっともっと、

あったかい想い

やさしい愛情

があるのかもしれない。

 

私が思うよりも、

世の中はもっともっと

あったかくて優しい

のかもしれない。

 

もっと肩の力を抜いて、

楽しんでみよう音譜

感謝しようドキドキ

母を私が守らなければ!支えなければ!

の呪縛から解き放たれてから(※)

母の雰囲気が変わった

 

(※)家族との関係【わたし編】参照

https://ameblo.jp/yuraroad/entry-12575586064.html

 

 

以前は、私に対して批判的な面があったが

それは雪解けのようになくなった。

 

私の

母を守らなければ、支えなければ!

の意識は、

母にとっては、無意識に

私に監視・管理されているような心地

だったのかもしれない。


「いつもありがとう」と、私に言いながらも、

どこか息苦しくて、反発したい想いがあった

のかもしれない。


それが、私への批判という形となって、現れていた。


私はそれを、ずっと

母に愛されていない、

母に受け入れてもらえない、

そんな被害者のように感じていたけれど

違った。

私が自分で引き起こしていた

私起因の反応だった

 

 

そんな気付きがあってからは、

母がすることに対する受け止め方も変わってきた。


母は、年に何回か(?)、

突発的にものすごい「断捨離」をする(笑)

それが、威勢よく、いろんな物をご卒業させ過ぎて、

その後の生活で、物がなくて困ることがある。
以前は、そんな話を聞くと、

「また、熟慮せずにそんなことして・・・

だから困るんでしょ。」

と思う節もあった。

 

でも、実は困るのは一瞬で、

そこからまた、新しいものを揃えたり

工夫して使ったりするのを楽しんでいる音譜

 

呪縛が解けてからは、

そこまでをひっくるめて見て

問題は起こっていない」と思うようになった。

 

問題が起こっていないどころか、

母の運の良さは、

その思い切りのいい断捨離からきているのかも!

とすら、思うようになった。


かつて私が

「また、そんなことして」と、思っていたことは

実は、

空間を一掃して、流れを生み出す

ものすごいパワーのある営みだった


それを無意識に、考えこまずにやっている母はすごいひらめき電球

私も見習おう!と思うようになったヒヨコキラキラ