はーい、ゆらでーす。


昨日は体調不良で、一日中家の中で、ほぼほぼ伏せってた。


頭痛も出たりひっ込んだり、その合間合間で下書きしていたブログ記事を仕上げて、ようやく投稿できて、気がつけばもう夕方。


めだかにも餌をやらずにいたので、少し動いてみるかって、外に出てみたら、咲いててびっくり!


蕾の状態でしばらく見ていたら、もうそれが当たり前みたいになってて、それが開くっていうことも忘れていたよ!


夕方だったから、もう閉じかけていたけどね。



↑姫睡蓮、昨日8日の写真。


↑前にあげた蕾の写真。
これが6月1日だったから、開花まで一週間ほど。
ということは、蕾が形になってから開花するまでは、それ以上の日数があるってことだね。

今まで、なんとなく眺めるだけで、数字でみたことがなかったら、今回は、丁寧に日付も確認してみたよ。

そして、これが二番花で、あとは、今年中でいくつ咲いてくれるかだね。






↑9日に撮った。

この姫睡蓮は、この後数日の間、朝夕に開いて閉じてを繰返し、あとは水没して朽ち溶けていく。

こうやって蕊とかあるのだけれど、蓮の実を確認したことはない。
調べてないけど、雄花雌花があるのかな。
そんなことも、今まで気にしたこともなかったなぁ。

もう少しだけ、掘りさげて知る余地があるね。

❊❊❊❊❊
一昨日はめずらしく、数カ月ぶりで街に出かけた。

というのは、さらにその前日、テレビでデパートの物産催事の様子が写っていて、見ながら母さんが、
「この弁当は食べてみたいねー。」
などと言い出したからだ。

母さんもわたしのきょうだいも、どこかミーハーで、テレビの宣伝広告に弱い。
好きなタレントが広告すれば、今まで使っていた商品をおいてそれを買ってくるわけだから、ほんと、採用するタレントが誰かって、だからやっぱり、企業にとっては大きなことなんだろうなあ。

で、わたしの家族は、そうだからといって、流行りものがそのまま好きかっていうと、意外とテレビを見ながら、あれはここがよくない好きじゃないと、駄目だしばかりをしている。

横で聞いているわたしにしたら、ほんとうは好きなのか嫌いなのか、どっちなのかい?って、まあまあ呆れている。

話しは戻って、そのテレビに写っている弁当を食べるとするなら、贅沢なお昼ご飯を通り越して、何のお祝いですかってお値段だ。
しかも、母さんとわたしの二人分ともなれば、気軽に食べようよ!とは言えない。

で、それもあるし、こんな風に母さんがテレビを見てその気になって出かけるってことは、これまでも幾度となくあるけれど、いざその場でものを目の前にすると、なんだこんなもんかって感じで、あれだけウキウキいそいそしてたのに、急に冷めて、あれ嫌これ嫌のスイッチに切り替って、買わずに帰って、一体何しに行ったんだってことのほうが多い。

テレビで小さいものも大きく、タレントさんがわー素敵!って言ってると、ものも華やかに見えるし、そんな手法はどれだけでも生きてきて、じゅうぶんに解ってるはずなのに。

なので、今回もその口に終わるかもしれないけど、ここ最近では珍しく、ずっと「食べたら美味しいだろうな」って言っていて、本気そうにも見える。
ことに、母さんの好きな海鮮ものの弁当だからなぁ。

母さんもわたしもずっと家の中で、お付き合いもない今は、自分で決めて出かけなければ、外に出かけることはまずない。
そしてこの先、街に出るだけのことも出来なくなってしまうのだろうから、少しでも思い立った時に動かなければ、ささやかな後悔だけが募っていくばかりだ。

❊❊❊❊❊
そして一夜あけて、母さんはまだその気でいるのかわからず、洗濯が終わったあとにミシンすらかけ始めた。

わたしはわたしでやっぱり朝が遅くなり、出かけるなら母さんに声をかけなくては、約束していたわけではないし、だけど、世話ものを終えないと声もかけることができない。
とにかく急ごうと、ベランダの花に水をやりにいったら、こんな時に限って、いつの間にか繁殖してしまった虫を発見!

このコナカイガラムシは、どんな種類の花だろうが木だろうが、何処にもくっついて、あっという間に繁殖し、しかも、枯らすまでに至らしめる。

昨年の夏は、暑い日差しの中で、毎日毎日その虫取りに何時間もつかって、それでもほとんどの草花を駄目にしてしまい、冬にようやく枯れた草花と共に姿を消したのに、やっぱり卵で何処かに残っていたんだな。
今年も毎日これをやらなくちゃならないんだと思うと、うんざりする。
細かくて大変な作業ってこともあるけど、虫とはいえ、どれだけの殺生をしなくてはならないんだ。

一日でも放っておくと、被害は明日には隣の鉢にも移り、さらに大変さは増していく。
急いでいる時に、なおさら嫌気はするが、今やってしまわないと。

それで、二階からおりられなくなって、少しきりがついた頃には、もう十一時になろうとしていた。

慌てて降りて、母さんに尋ねたら、それじゃあ行こうかと。

母さんに声をかけながら、むしろわたしの方がもうすでに疲れていて、大丈夫だろうかとも思ったけれど、このまま家にいて、昼を作って出し、片付けて夕飯を作って出し、また片付けてのいつもの日常のことが辛く思える。

いっそ出かけて、食べるものを買ってきた方がいいかもしれない。
乗り換えさえ上手くいけば、弁当を食べて帰ってくるだけのことはできるだろう。えい、ままよ。

❊❊❊❊❊
そうして、運良く乗り換えも待たずしてデパートに着いた。
いざ、目的の弁当へ!

エスカレーターで上の階に、思ったより狭い催事場だけど、母さんは目に入るところから自由に動き、わたしの言葉すらもう耳には入ってなく、どう見ても弁当とは逆走してるなあって思うけど、言う事聞かない母さんについていくしかない。

せっかくここまで来たのだから、弁当だけでなくても、お菓子や惣菜とか特産品の土産を見てもいいのだけれど、お金がないから買う気もなく、それでなのか、はなから興味がないのか、母さんは急ぎ足でただただ素通りしていくので、ほんとうに何しに来ているんだという、もどかしくじれったく、嫌気すら感じてくる。


だったら、わたしの言葉に耳を傾けて、はじめから弁当のところへいけばいいじゃん!

疲れるだけだよ。

お互いに体力ないんだし。


ほぼ一周して、ようやく弁当のところに着いてさあどうなんだろうと、母さんの様子をうかがうと、やっぱり冷めているように見える。

わたし自身も、やっぱりテレビだと大きくて美味しそうに写ってたけど、思ったよりちょっと小さいなぁって思った。

もっとも、大きいなら大きいで食べ切れないだろうし、テレビ無しでただこの場にいただけのことならこのお値段だし、大きかろうが、買うことはないはずだ。


こういうのって、わざわざ出かけて来ましたよって特別感で食べるものだよね。


母さんは無表情でしばらく黙って、並んだ幾種類かの弁当を眺めている。


「あの弁当はどれ?」

「これだね。」

指をさすけど、これこれ!とはならない。

またちょっと黙り込む。

「他にないんかねえ。」

あー、やっぱりそっちかぁ。


母さんはわたしの手を引き他へと動き出す。


お高い弁当なので、わたしも無理には引き止めないけど、さあ、なれない街で、お昼は何処で食べられるかな。

わたし自身が外食は苦手で、食べるものがなかなか決まらないのに、加えて母さんもあれこれ迷ってうるさい。

この弁当に限らず、食事を決めるのにいつもこんな風に迷う。


母さんはわたしの手を引いて、というか、母さんを支えながらついていって、また会場を一周して、半ば諦めなのか、もとの弁当の前に戻って「どれだったっけ。」とまた尋ねた。


とにかく、お昼を探してうろつくことは免れた。


❊❊❊❊❊

そんな調子で食べた弁当だけど、食べる頃には母さんもご機嫌になり、自分の満足なのかわたしへの気遣いなのかわからないけど、笑顔で美味しいねってところへ落ち着いたから、良かった良かった。


❊❊❊❊❊

弁当を食べてもう目的は果たしたけれど、せっかく出てきた街なので、隣接のショッピングモールを覗くことにした。

だけど、ふたり買物の用事もなく、衣類雑貨もそうだけど、本屋すら若者向けだし、立ち寄ったのはやっぱり100円ショップという。

わざわざ街に出てまで寄らなくてもって、ふたりで突っ込みながら、結局の土産はここで。


あとはわたしが、最寄りの文具売り場には置いてないサイズの下敷きを二枚、気に入るデザインでもなかったけど、商品よりも送料のする通販で買う気にもなれないから、この機会に。


で、ふたり共通の趣味の手芸の店にも行ったけど、母さんは、街の材料は高いねって感じで買わず、わたしはレース編みのポーチが気に入ったけど、編んでも使わないし、そういうのもあって、もう一年は手芸もしていないし、引っかかるけどまあいいかってその場を離れ、夕飯の弁当も買っていざ帰ろうかとなった時に、やっぱり!って、母さんを休憩のソファに座らせて、わざわざ引き返して買いに走った。


会計で、店員さんが、

「2号かぎ針が必要ですけどお持ちですか。」

と聞いていた。わー、じれったい。

「大丈夫です。持ってます。」

「この糸、細めです。編むのにゆるくなりがちですが大丈夫ですか。」

「はい。大丈夫です。」


大丈夫も何も、細かめだからこそ買おうと思ったんじゃん!いやいやいやいや、細かさなら、40番レース糸だって、縫糸でだって編めるし。

何なら、見本品よりも綺麗に編めるかもしれないし。

だからだよ、今更こんなの編んだって、どうなんだってね。


「めっちゃ得意です!って言いたかったんだけどね。」って、母さんに、店員さんに丁寧にされたよって伝えたら、「先生ですって言えばイイのに。」って。


自分でもそれくらいの気持ちになるのに、それが言えないももどかしさ。悔しさ。

そんな会話くらいで本気に仕事の話になんかなりもしないだろうけど、そうなったとして、結局は身体がついて行かず、仕事にならないんですって言わなくちゃならないんだから、人まで巻き込んで、自分で上げて自分で落とすって自虐はもうたくさん。


ていうか、先生してて、お付き合いでもないのにこんなセットものを買うことってあるだろうか。


わたしだったら、どこかで見たような何気ない作品だとしても、やっぱりオリジナルを編んでいたいと思うしね。


❊❊❊❊❊

で、早速に編み始めないと、また直し込んでしまうって、その夜に疲れてたけど、出して少し編んでみた。


で、やっぱり思うんだ。

こんなもんだよねって。


母さんの弁当じゃあないけれど、母さんが手芸ものをしている横で、いいなあ楽しそうだなあ、わたしもやりたいなぁって思うし、手芸店のセットものだって作りたいなぁって、心はときめくんだよ。


だけどようやくできる時間をとったのに、いざ始めると、すぐに落ち着かなくなる。

これやってて何になる?

やってることは楽しいんだよ。

だけど、そうやって出来たものに、別に評価が欲しいってわけでもなくて、何か物足りなさを感じてしまう。


ずっと以前なら、誰に見せるわけでもなくて、ただただ身につけるだけで嬉しかったのに、今はそんな嬉しさもない。


ああ、出来あがった。

それだけの満足。


今回は、材料費もちょっと贅沢に、そんな物を久しぶりに作ってもいいんじゃない?そう思い直してわざわざ引き返して買いに走ったんだけど、やっぱり同じだけの満足で終わりそう。


❊❊❊❊❊



編み図を出すわけにはいかないけれど、この記号部分、この通りに編むと、表にひびく感じがするんだよね。

デザインした人もそれは解ってると思う。
買って編む人にとってわかりやすいって方を優先しなくちゃ、編み手の技量なんて様々なんだから。
技量が様々の複数相手に、編み図や動画だけではそんなに細かい作業のことは伝えられないよね。

で、わたしは、この部分は力がかかるところではないから、長編みの足ではなくて、長編みの頭の向こう側の糸だけを拾うことにした。

❊❊❊❊❊
そうそう、それと、無印良品の十二枚セットの綿布巾を買った。

ラベルには、台拭きや掃除にって書いてあるけど、食器拭きにどうかなって。

で、その夜に一枚、使う前に洗おうと出してみたんだけど、

くさい!

製法上のニオイなのか、店員さんかお客さんが触った移り香なのか、柔軟剤か合成洗剤なのかのにおいがする。

うわー、洗ってとれるだろうか。

❊❊❊❊❊
この布巾だけでなくて、バスや電車や食事や休憩の椅子に座っただけなのに、帰ってから服やカバンを片付けてたら、わー臭う!ってことはしょっちゅう。

最近の柔軟剤は、自分だけの香りなんて言ってコマーシャルしてるけど、嘘だよね。

使ってる人は、むしろ他人への気遣いくらいに思っているだろうけれど、ほんとうに迷惑。

やめてよ!って言ったとしたら、個人の自由でしょ!って返ってくると思うけど、個人の自由なら、こっちの自由を侵さないで欲しい。って気持ちなんだよね。

嗜好の問題だと思っている人が大多数だと思うけど、タバコの副流煙みたいなもんだよ。

近所の買物だけでもきついけど、街中はやっぱりすごかった。

食品の買い物で出た日のあとは、寝込まないにしても必ずっていうほどに頭痛になる。

覚悟して出掛けたけど、やっぱり翌日は一日を布団の上で潰してしまった。

そして、その布巾だけど、残りは二重にポリ袋に入れて口を縛って棚に入れ、出した一枚を一度石鹸で流し、過炭酸ソーダを溶かした水に一晩浸けてみた。
この手のにおいは、何度洗ってもとれなくて、それで食器を拭くのは躊躇されるけど、一晩で一応においはとれた気がする。

怪しいけど、そのまま使うことにした。
そしたら、水はよく拭き取ってくれるみたい。

あとの十一枚を、まだ使わないのにまとめて洗うのもなんだし、かといって、出すたんびにウンザリしなくてはならないのは、気が重い。

無印も、過包装なくしてエコとかサスティナブルとかのイメージを出して、このスタイルの売り方だろうけど、そうか、今どき食洗機や乾燥器使ってる人が多いから食器拭きのお勧めはしてないのかと思っていたけど、だから掃除にってことかな?
清潔感からすると、包装ないのはどうなのかってことになるのかな。

別に個包装なくてもいいんだよ。
衣類の合成洗剤がなくなればイイのに。

❊❊❊❊❊