あたし以外のうちの家族
夫、はむ太、こたろうは、9月生まれなんです。
それとあたしの20年来の友人が9月生まれなので彼女を招いて、毎年3人&1ワンの合同誕生日会をしています。
といっても。ただ食べて飲んで遊ぶだけなのですが
今年で5回目になりました
人生ゲーム、ここでも大活躍でした
今も新しいのがでてるんだね!と懐かしがっていました。
昔の話ほどよく覚えているよねーと毎年歳を取るたびに話してる気がします(笑)
中学高校よりも、小学校や幼稚園のころの方があたしは記憶があるんですよね。
特に高校は修学旅行もどこに行ったのか、写真が出てくるまで思い出せなかったというほど記憶から欠落してます
整理していた時に見つけた写真は速攻捨てました(笑)
まぁそれだけ楽しくなかったから忘れたのでしょうね。今も連絡取り合っている親友は一人しかいません
大学は楽しかった思い出ばかりのせいか、最近でも(といっても20年前に驚くばかり)よく覚えているのですがね。
人は嫌なことは記憶から消してしまうというのは聞きますが、自分自身を振り返ってもその通りだなと思います。
自分で実証できるほど歳を重ねたことにも驚きますが
これを無理やり難聴療育につなげてしまいますが、
幼少の時に厳しい療育(特に発音指導)を受けていたお子さんの中には、大人になった今、療育に通っていた頃のことが全く記憶にない人が結構いると、長年難聴療育に携わってきた先生から聞いたことがあります。
今も先生と親子でつながっているくらいですから親子関係は悪くないんだと思いますが、でも息子がそうだったら嫌だなというのを、その話を聞いてから思ってきました。
うちは言語訓練に週一回程度通っていましたが、聴覚支援学校へは通わず家庭療育だったので、そうなったら他でもないあたしに原因があることになるのでね。
言葉育てをしていても言葉を教えているとは思わせないようにと声かけをベースに療育してきたつもりですが、
さてうちはどうでしょうか。
確かめるほど息子はまだ歳をとってないので分かりませんが、
将来療育してもらっていた実感すらないという意味で「記憶にない」というなら、大成功なのかな