認知症サポーター | 円満離婚カウンセラーゆらこのわかりやすい離婚の話

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こんにちは。シングルマザー行政書士のゆらこです。


今週、認知症サポーター養成講座に参加しました。

認知症サポーターとは、何か特別なことをやる人ではありません。

認知症について正しく理解し、偏見を持たず、認知症の人やその家族に対して温かい目で見守ることからスタートできる、認知症のことを理解した応援者ということです。

認知症サポーター100万人キャラバンというのが実施されており、認知症サポーター養成講座を受講すると、認知症サポーターと認定され、オレンジリングがもらえます。


認知症サポーター養成講座は、主に自治体などで実施されています。

講座の内容は、認知症とはどういう病気かといったことや、認知症の人と接するときの心構えなんかのごくごく基本的なことで、時間は1時間~1時間30分程度、子どもから大人まで誰でも無料で受けられます。


私の母は60歳前くらいで認知症になりましたが、その後症状が進み、今は70代になっていますが、もう意味のわかる言葉もほとんど話すことができません。

一時期は医療施設にいたこともありますが、今は老人ホームで介護を受けながら暮らしています。

私は離れて暮らしていることもあり、親の介護にはほとんど参加していないため、偉そうなことは何も言えないのですが、実家に戻ったときには必ず母にも会いに行ってます。


認知症の人の心の中は、”だんだん日が暮れるジャングルの中に一人でいるようなもの”というお話がありました。

認知症の初期の頃には、情緒不安定になっている母から傷つくことをたくさん言われ、それが病気になる以前からあった母へのわだかまりと一緒になって、なかなか母のことが受け入れられませんでした。

母自身がどれほど辛くて不安だったのか、私も未熟で、それを理解してあげられなかったと思います。

それどころか、だんだんと変わり果てていく母の姿を見て、これは私の知っているお母さんじゃない、こんなになってまで生きていてくれなくてもいいのにと思ったこともありました。


何年か前、母に会いに行ったとき、しきりにホームの廊下を徘徊する母の手をとって一緒に歩いたのですが、そのときに握った手の感触は、確かにお母さんのものでした。

母と手をつないだのは子どものとき以来だったかもしれませんが、私はちゃんと覚えていました。

どんなにたくさんの人の中からでも、自分の母親の手はわかるんじゃないかなという気がします。

同じことを私は自分の子どもにも感じますが、不思議だなと思います。


母の手を握って歩きながら、「ここに私のお母さんが生きている」ということが非常に嬉しくなって涙が出てきました。

そして、どんな姿になってもずっと生きていてほしいと思いました。

母に対して持っていた長年のわだかまりも、そのとき以来なくなりました。


認知症サポーター養成講座では、認知症になっても嬉しいとか悲しいといった感情は残っているという話もありました。

この夏母に会いに行ったとき、スプーンを持てなくなっていたので初めて食事を食べさせてあげましたが、私が「おいしい?」と聞くとはっきりと「おいしい。」と答えました。

もう私が誰だかわかってないと思いますが、おいしいということはちゃんとわかるんだなと思いました。

言葉がしゃべれなくても、誰だかわからなくても、感情が残っているだけで、十分コミュニケーションができるということを実感しました。

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