裏切りと信じる気持ち。 | 優しく、楽しくなるための日々。

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この前、こんなツイートをしました。
「裏切り」って思ってしまうのは見返りを求めているからなのかもしれない。
人間はどうしても自分のした事に価値をおきたがるから。
信じる事をやめたり、疑う事は誰にでも容易くできる事。
だからこそ、そこで「信じ続ける」事は愛情なのかもね。


そうしたら、こんなリプライを頂いたんです。

裏切られても裏切られても信じてしまう時どうすればいいんでしょう
疑いたくても信じてしまうんです


私はまず「ああ、良かった。」と思った。
「疑いたくても信じてしまう」と、「信じたいのに疑ってしまう」は全然違うことだから。
まず、信じたいという想いを抱ける相手がいることが幸せであると。

「信頼」というのは相手がいないと成り立たないこと。
お互いがたいせつに、たいせつに育むことによって成たつこと。

それと同時に、信頼に値する姿は当方の信頼によってのみ実現できる事

誠実さが相手から欲しければ、自分が欲しい以上の誠実さで相手に接する。
愛情が相手から欲しければ、自分が欲しい以上の愛情で相手に接する。

全部、「自分から、自分から。」

ナイチンゲールの「無償の愛」が崇められるのは、見返りを求めて何かしているんじゃないから。
その人のためになることを無意識にできたり、純粋に「応援したい」という気持ちで彼女は動いていたから。

だから、結果的にそれが彼女の魅力に繋がっている。

優しく、楽しくなるための日々。


「裏切られてもいいから」という気持ちで動けるか。
裏切られてもいいから、思い切って相手を信頼したことがあるだろうか。
一度裏切られた後に、もう1度信頼する愚かさを実行しただろうか。