言葉の使い方 | 優しく、楽しくなるための日々。

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人の痛みが分かる人間に


10月13日、私にとって大事な子が主催するイベントに登壇してきましたー(`・ω・´)

優しく、楽しくなるための日々。
(みく、写真拝借しました♡w)



何を話そうか迷い続け、結局
①やりたいことをやる→やりきる
②自分と向き合う
③言葉の使い方

について自分なりには話したつもりだったのですが、ちゃんと伝わってるかなあ。(笑)


「言葉の使い方」について改めて自分で考えなおしてみました。

今まで何度も言っていますが、私は人の意見を受け入れる事ができない人でした。
「○○なんじゃないの?」という問いに対して、
「え~けど」「だって~」「だけど」
なんて言葉ばかり使っていました。

客観的にみた「事実」があるにも関わらず、
自己概念を変えようとしていなかった。

自分のことを守ろう、守ろうとしていたのかもしれません。
ありのままの自分の姿を恥じて、それを認めようとしないところから
この気持ちは生まれていて、
自分以外のものを非難し、言い訳をつくることによって
自分の本当の姿を見つめることを拒絶していた。


だからこそ意識するようになったのです。
これらの言葉を使い、事実や人の意見を拒否するのではなく
その前に1度受け入れてみよう。と。


これらに加え、「もし」「さえ」「だったら」という言葉も
意識して、使わないようになりました。
これらの言葉を使う時、その羨ましがる事に対して全力で挑んでいるかといったら
違うことに気づいたんです。

「甘え」があるときに言い訳はでる。
(ちなみに自分が思う「言い訳」についての記事はこちら

現実から逃避して、幻の世界に逃げたって
得られることは自己満足感だけ。
結局自分自身はなにも力がついていないから、
同じところでつまずき続けるのであろうと思います。

優しく、楽しくなるための日々。



また、使う言葉によって周りに集まる人も変わると思っています。

自分の感情を素直に表現することはそう簡単な事ではないかもしれません。
自分の感情を素直に表し、相手の立場に立って意見をちゃんと伝える
ということは、語彙力ももちろん必要ですが、
言葉の知識というよりかは、話す人の品性に繋がると私は思っています。

そして、自分の体験とその言葉が絡んでいるか否かによって、
その言葉の響き方も全く違うのです。

だからこそたくさんの価値観に触れて、たくさんの経験をして、
使う言葉に「経験」という重みをのせたいと常思っています。



私たちは、話す前は言葉を自由に扱えるのに、
口から発したり、文字として残した言葉に対しては奴隷になってしまう。

「嘘」をよくつく人に対してこの言葉は響くのではないでしょうか?



感情を適度にコントロールすることのできる自制力と
客観的に物事をみる判断力と、
一番大切な「個性」のある生活

これらを大切にして、いつも美しい言葉を使っていきたいと私は思っています。