批判 | 優しく、楽しくなるための日々。

優しく、楽しくなるための日々。

毎日誰かを笑顔に
人の痛みが分かる人間に

この記事の時にも少し「批判」については書いたんだけど
最近また思うことがあるから綴ってみる(´∀`)

重複する箇所もあると思うけど!



毒舌はきますってドヤる人はなかなか好きになれない。
私は感受性が豊かで、「コトバ」をすごく大切にしているからこそ、
人を刺すコトバが本当に好きじゃない。
汚い言葉ってよりも、とげとげちくちくした言葉。


批判する時に、人を打ち負かすことが到達目標になってて、
相手のことを想いやって言っているわけではない人。
論点がずれている人。
相手目線で物事を考えられていない人。
自分の利益のために相手を非難する人。

否定から入るんじゃなくて許容から入ろうよって思う。

価値観は人の数だけある。
それを全部受け入れられなくてもいいから
受け入れようと、わかろうと、努力することが必要なんじゃないかな?


優しく、楽しくなるための日々。


相手の事を認めたうえでの批判って、相手のためでもあるけど自分のためでもある。
そりゃあ人それぞれ思うことが違うからこそ、自分の労力をすっごい使うの。
「認める」って行為にはとても時間も労力も使う。
それこそ身を削るってことだと思う。
そしてそれが本当の「対話」になっていくんだと思う。



それに加えて、根拠もなにもない「非難」は意味をなさない。
本当に力のある人は、ある程度高い層の意見しか求めないし、
求めていないところからのフィードバックは眼中にいれていない。
無駄な時間も労力もまず割こうとしない。

私たちも、そんな力のある人に意見を求めるべきなんだ。

だからこそ、人に意見がしたいんだったらそれだけ力をつけなよ。
自分の意見に力をもたせたいんだったら、経験と実践を積むしかないよ。

少し世界が広がったからって、浸ってるんじゃないよ。
そんな世界に甘えていていいの?
そんな世界で満足していていいの?

押しつけの意見なんて、ただのエゴでしかないと思ってます。
ましてや、自分の価値観を押し付けた非難なんて、ただの迷惑。

もっと色んな価値観を受け入れたら、もっともっと人生はおもしろくなるのに。
どんな生き方も非難することないけど、
人生は本当に楽しんだもん勝ちだよ。

だからこそ、もっともっと、楽しくて、
自分の好きな時間を 24時間といった有限の時間のなかで
増やしていければいいのにな と思います。