動く人に批判はつきもの。
どんなに素晴らしい人生経験とか専門的なお勉強を得たんか知らんけど
クソくだらん自己流哲学をネットに晒すこと、恥ずかしいと思わんのかな。
このようなツイートを、ふとしたキッカケで見てしまったもので。笑
(もともと画像を貼ってたんだけどやめました)
哲学的なことを発信したいわけでもなく、哲学者になりたいわけでもなく、
私は、自分が思っていることを綴っているだけ。
例えば、「今日カラオケ行って楽しかったー!」とかって日記いくらでも書けるんです。
ただ自分はそういった表面的なものではなく、その、今日楽しかったー!
なら、「なんで」楽しかったのか?
について書いているわけなのです。
「なんで」を追求すると、私が書くようなエントリになってしまうだけ。
ただ、反感をもっている人・不快に思う人なんていくらでもいると思うんです。
私のことを元々知っている人とか、
中高・大1に関わりがあった、一面的な部分しか見てくれていない人なんて特に。
「あんなチャラチャラしてたやつがいまさら?」
とか
「よくこんなくさいこと書けるな」
とか。
だって、人間は足を引っ張りたがる生き物だから。
きっと、私の記事の書き方が少し押しつけがましいのかもしれません。
でも、不快に思うなら読まなければいい。
Twitterだって、フォローを外せばいい。
わざわざ「読む」とか、「不快になる」って感情を抱く労力が
もったいないよって思います。
ただ思う事は、不快に感じるあなたのために書いているわけではないということ。
100人いたとして、99人に批判されるとします。
けど、1人でも応援してくれる人や守ってくれる人がいるのなら
それでいいと思うんです。
なにより、他人を気にする時点でまだまだだとは思いますが。
私のブログは、「私のため」に書いています。
それが、誰かためにもなりえるからこそ 続けようとも思います。
最近はわざわざメッセージをくれる方が結構いて、素直に嬉しいです、ありがとう。
なぜ人は他人のことを批判したがるのでしょうか?
ただ単に、その活動が「善」ではないと思う気持ちからなら、本人に伝えるべきです。
周りの人が気付いていたとしても、本人が気付いていないことなんて 往々にしてあるものです。
もし、批判の気持ちが「嫉妬」や「ねたみ」から生まれるものであるのなら、
それはすべきではないと思います。
あまりにも醜いことです。
「嫉妬」するくらいなら、自分がその分大きくなるしかないのです。
自分が成長しない限り、その人に負の感情はまとわりつくからです。
人には有限の時間しかないのに、不快な気持ちで過ごす時間があるのはもったいない。
色々書いたけど、私は相変わらず私だし、まじめぶりたいわけでもない。
今回の件では「不快」になったというよりも、
自分が結果を残し、認められるぐらいに大きくなればいいのか、と喝が入りました。
その一方で、世の中はしょうもないことが溢れているなとも悲しくなりました。
プライベートで仲良い人も、誰でも、Twitterのフォローとか全然外してもらっても
かまわないんです。
外されたからといって、負の想いは抱かないし、そんなこと関係なく
大切なひとは大切なので^^
批判って、いいことないですよ。
全部 自分にかえってくると私は思います。
感想などお気軽に♪
Twitter: @yurachim