昨夜、そして、今朝のニュースでも報道されていましたけど、1974~1975年に発生した連続企業爆破事件で指名手配されていました〝桐島聡容疑者〟が、神奈川県内の病院で発見されましたようですネ。
 ふ~ん、永年に渡る逃亡で、もし生存しているのでしたら、いつの日か、郷里・福山で身柄を拘束されるかも…と思っておりました。
 と、言いますのも、この事件は、GONsanが社会人としてスタートし、2~3年後に発生しました事件で、当時は、よくテレビで事件の様子は報道されておりました。
 この事件から、20数年ばかり経ました頃でしたか…神辺町の知人に「連続企業爆破事件で逃亡中の〝桐島聡容疑者〟は、神辺の出身なんだ…」と教えられた事がありました。
 以降は、指名手配され逃亡中の〝桐島聡容疑者〟の動向は、神辺町の出身と言う事で、いつも気になっておりました。が、新聞・テレビでの「身柄拘束」の報道はありませんでしたネ。
 いつしか、〝まぁその内、生存していたら、ひょっとしたら郷里・福山で身柄拘束されるのかも…〟と思いながら現在にと至っておりましたけど、ふ~ん、神奈川県内の病院で発見されましたか…昨夜のテレビニュースで、チョッと驚きましたネ。
 WEB上には、こんな報道記事が…

 ◆桐島聡容疑者か DNA鑑定などで確認急ぎ 事情詳しく聞く 警視庁

 --- NHK NEWS WEB 2024年1月27日 6時11分 ---

 1970年代に起きた連続企業爆破事件の1つに関わったとして指名手配された「東アジア反日武装戦線」のメンバー、桐島聡容疑者(70)とみられる男が、神奈川県内の病院に入院していることが明らかになりました。これまでに容疑者の所在につながる有力な情報はなかったということで、警視庁はDNA鑑定などで確認を急ぐとともに、事情を詳しく聞いています。
 昭和49年から翌年にかけて過激派の「東アジア反日武装戦線」が起こした連続企業爆破事件のうち、昭和50年4月に東京 銀座にあった「韓国産業経済研究所」のビルに爆弾を仕掛けて爆発させた事件に関わったとして、メンバーの桐島聡容疑者が爆発物取締罰則違反の疑いで全国に指名手配されていました。
 捜査関係者によりますと25日、桐島容疑者を名乗る男が神奈川県内の病院に入院しているという情報が警察に寄せられ、連絡を受けた警視庁の捜査員が男に事情を聞いたところ「桐島聡」と名乗ったうえ、事件当時の詳しい状況などについても話をしているということです。
 桐島容疑者は、およそ半世紀にわたって逃亡を続けていて、捜査関係者によりますと、これまで所在につながる有力な情報はなかったということです。
 男は、末期がんを患っていて、ことしに入ってから入院していましたが、当初は偽名を使って入院していたとみられています。
 警視庁はDNA鑑定などで確認を急ぐとともに、事情を詳しく聞いています。

 改めて〝桐島聡容疑者〟をWEB上で確認してみますと、

 ◆桐島 聡

 --- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---

 桐島 聡(きりしま さとし、1954年(昭和29年)1月9日- )は、1970年代の日本のアナーキズム系新左翼過激派である東アジア反日武装戦線のメンバー。同派による連続企業爆破事件の容疑者として全国に指名手配されている。

 -- 人物・来歴 --

 広島県深安郡神辺町(現・福山市)出身。広島県立尾道北高等学校卒業後、1972年4月に明治学院大学法学部に進学。明治学院大学在学中に黒川芳正や宇賀神寿一と出会い、東アジア反日武装戦線に「さそり」班として参加し、連続企業爆破事件の複数のテロ事件に関与した。身長は160cm位で強度の近視、足が細い、広島弁、顔にニキビの跡がある、唇が厚いなどの特徴を持つ。
 1975年4月18日、東京の銀座の韓国産業経済研究所の入口に手製の時限信管付爆弾を仕掛け翌日に爆発させた。これによってビルの一部が損壊した。警視庁は本事件を中央区内連続企業爆破事件とも呼んでいる。爆弾は同グループが出版した腹腹時計に掲載したもので、同グループで薬剤師資格を持つ大道寺あや子が勤務先から横領した薬品などを使って製造したものが使われた。それ以外にも数々の爆破事件に関与した。
 「オリエンタルメタル社・韓産研爆破事件」を参照
 1975年5月19日に東アジア反日武装戦線の主要メンバー7人が逮捕されたのを契機に逃亡。直後に黒川が所持していた桐島の家の鍵からまだ警察が把握していなかった桐島の存在が明らかとなり、桐島は警視庁公安部に爆発物取締罰則違反で指名手配された。
 1989年と1990年、警察庁は過激派の爆弾犯、誘拐犯ら10人を指定の公開手配とした中の1人に桐島を挙げた。1987年だけで警視庁は桐島を含めた10名を掲載した手配チラシを700万枚印刷し全国に配布した。
 半世紀近くも生死を含め行方がわからず、東アジア反日武装戦線のメンバーの中で、一度も逮捕されていない唯一のメンバーであった。起訴後にダッカ日航機ハイジャック事件により国外逃亡した大道寺あや子と共犯の事件(三班が合同で起こした間組爆破事件など)に関しては刑事訴訟法254条2項の規定により共犯者の公判中という形で公訴時効が停止しているが、大道寺あや子と共犯ではない事件に関しては公訴時効が成立している。また東アジア反日武装戦線の中で、前科がないただ一人の人物でもあった。
 2024年1月25日、桐島聡と見られる男が入院している旨の情報提供が警視庁になされたことを受け、警視庁公安部による男の特定作業が開始された。翌日、男が神奈川県鎌倉市の病院に偽名で入院しているところを警視庁公安部によって、その身柄を確保された。
 男は既に事情聴取に対して、事件の関係者しか知り得ない当時の状況などについて話しており、こうした状況から、警視庁公安部は男が桐島容疑者である可能性が高いとみて、現在、DNA型の鑑定を進めている。男は桐島を名乗っているが、50年近く逃亡していたことから、特定作業は困難を極めるとの見方もある。偽名で入院しており、末期がんを患っていて、治療が行われていたが、25日までに自らが桐島であるという説明を始めたことから、職員が通報した。

 …と、こんな人物のようであります。
 偽名で、50年近くも逃亡生活が送れましたことには驚いてしまいますが、ふ~ん、神奈川県内の病院で自ら名乗り出たのですねぇ…

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