「実家に赤ちゃん連れてきて。面倒見るよ」
「実家のほうがママが楽だから、実家の車にチャイルドシート買ったから、どんどん来れるよ」
と父に言われました。
ただし私は、「祖母と兄にも許可を得てね」と両親に念を押しました。
兄はチャイルドシートを実家の車に設置したことに嫉妬して機嫌を悪くし、祖母は、私と赤ちゃんの家に母が行くのを「行かないで」と止めます。
私の仕事よりも面倒な実家に頼ったのは、赤ちゃんのお世話で私の精神が限界になったから。
ロタウイルスワクチンの後、副反応の下痢でオムツ交換が日に28枚以上となり、オムツ購入も綱渡り。
(夜21時に赤ちゃん抱っこして徒歩1kmで薬局)
体重増加不良も指摘されているので授乳も日に11回(ミルクも追加)、片方の乳で寝落ちするのでがんばって起こす。
赤ちゃんの笑顔も乳児湿疹で醜悪…。
「赤ちゃんが可愛いなんて嘘だ。こんな顔じゃ誰にも見せられない。写真取りたくない」
それでもがんばって1日4回保湿した。
「ツイッターもブログの育児ものも、育児楽しい、3ヶ月でよく寝るようになるなんて、嘘だ。うちの子は寝ない」
「妊活したのを後悔した。こんなに大変だと思わなかった。睡眠時間もお出かけも趣味も、自由にできないのが辛い。子どもを不注意で死なせちゃったりしたら自宅で見てる私の責任だ。手が抜けない。」
「旦那の、後で背中もんであげるね、の『後で』は来ない。」
「外出先のオムツ替えシートが女子トイレにしかないの最悪。結局オムツ替えからリフレッシュできない」
私は、すぐ排便して泣く赤ちゃんに当たりそうになるのを日に3度我慢していて辛くて、旦那が繁忙期(なのに夜泣きで家では休めない)のため、身体中痛くて吐き気がしてきて、助けを求めました。
週に2回、父が仕事帰りに家に通ってきてくれました。
オムツ交換の達人!
4時間ずつオムツに専念してくれ、大変助かりました。(マッサージも頼んだ)
「もっとパパを頼って。育てのママなんだから」
と言われ、
「うん。頼っていい?泣いてる理由がわからない。泣き止まない…」
「すずは里帰りもせず、ここまでよく頑張ったよ。遠慮しないで我々を頼ってくれ」
そして日帰り里帰りを試すことにしました。
1年1ヶ月ぶりの実家…正直、オムツ交換から解放されたのは、とても嬉しかったです。
ただし、仮眠ができない。
「休んでね。」
と言われても緊張して寝れない。
もう自分の布団がない(兄のものとなった)
新しい自分の居場所はリビングのソファー。
赤ちゃんはリビングの70cm✕1m程の通路に。
必ず誰かがリビングにいるが、私は、休まることができない。
授乳していると、
「母乳で大変そう。母乳やめてミルクにしちゃいなよ」
と祖母と母に4回くらい言われ、
「今は家では、ばあちゃんと兄ちゃんがいばり散らしてわがまま放題。しかもママと兄ちゃんは子供の時から変わらずいまだに…(以下、自主規制)」
と父に言われていた通りの人間関係の複雑さも感じます…(これでも気分転換にはなった)
最初はかわいがってくれた祖母(赤ちゃんの曾祖母)も、
「オムツを置く位置がなってない!いい加減にしてちょうだい!扉開ける度にガサガサガサガサ言ってうるさい!こんな重くして、これじゃまた扉の建付けが悪くなって、また○○さん呼んで扉の修理必要になっちゃうじゃない!」
と顔を真っ赤にして怒鳴り散らしました。
「私に言っても困るのよ!オムツの置き場所決めたのは父なの。私じゃない、父に言って!今は外にいるから!」
(父は祖母にオムツの位置を事前にすり合わせてなかったんだ…)
「直接言えないからあなたに言ってるんじゃない!」
と祖母。
足元で眠っていた赤ちゃんが泣き出します。
「赤ちゃんが怖くて泣いちゃったじゃないの…やめてよ!」
「どうせ私が悪いのよ!私を悪者にすれば良いのよ!」
「そうは言わないよ!皆で話し合って、位置を変えたってことにすればいいのよ」
母がそのやり取りを見ていました。
もともと産前に「孫の面倒を見たい」と言っていた母は仕事の過労で、あまり孫育に関われていません。(顔見てちょっと抱くくらい)
祖母もちょっと顔を見て
「湿疹良くなって顔がきれいになったね」
と言うくらい。
実家で、温かい飲み物を飲み放題で用意してくれているのが、とてもありがたい。
今私の家ではここまでできない。
私と赤ちゃんの訪問が、実家の膿んだ人間関係と散らかり具合を、改善する清涼剤となることを期待されて呼ばれたのがわかりました。
すべての部屋に兄の物が増えて床の面積が減っているのも、台所が以前より汚れているのも、祖母が超不機嫌なのも、兄が両親の愛情を求めてこじらせているのも…。
兄は「(孫を車に乗せるのに)チャイルドシート買うくらいなら(僕と一緒に遊んで)、(妹に)母乳のためにと食事代をかけるなら(僕にお金かけて)」と言っています。
たまには良い。
でも、やはり父母が期待しているように頻繁に実家には帰れない。
「オムツで怒られちゃったね。やっぱり出産時に里帰りしなくて良かった。」
と私は母に言いました。
「うん、私もそう思う。おばあちゃん、オムツ気にするんだね今後私は仕事減るから、通いで孫ちゃん見るわよ。それが良いよね」
と母。(仕事が減るのは来年度らしい)
せっかくチャイルドシートを買った父は、
「次に孫ちゃん乗せるのは、しばらく空きそうだなあ〜」
と、しょんぼりしながら、私と赤ちゃんを家まで送ってくれました。
今更ながら、2ヶ月間滞在して、私の地雷を踏まなかった義母が神すぎる
そして、祖母は時にやさしく、時に厳しく、学校の先生より、職場のお局様よりも怖いのを思い出しました。
ですが、これでも、実家では赤ちゃんの泣き声が騒音にならなかった。
「赤ちゃんの泣き声は幸せの音楽」
だと母は言っていました。
「ね、テレワークの旦那さんに気を遣わなくて良かったでしょ。この家では赤ちゃんの泣き声はBGMだから」
と父は言いました。
うん、泣き声だけは気にならなかったけど、ね…。
どこに行くにも赤ちゃんと離れられず、周り・家族に気を遣う。自分の自由にできない
こんなんじゃ嫌だ。
自分がなくなってしまったみたいだ。
こんなはずではなかった
先々のことを考えると鬱になりそう。
結局、新婚生活〜妊娠中までの1年4ヶ月が一番自由だった。
伯母の「出産おめでとう。赤ちゃん可愛がってあげてね」のお祝いの文を読んで泣いてしまった…。
母親業を当たり前と言わず、赤ちゃん可愛くないと言い、誰かが正直な姿を書くべきなんだ。
私は、子どもを悩む人には絶対に子どもを持つ計画を勧められない。
私の母にとっては赤ちゃんは可愛かったらしく、育児は尊い、いつまでも何度でもしたいと思っていたらしいが、辛いものだというマイナスなことは誰も言わなかった。
何度もゴリゴリと「女に生まれたからには、あんたも女の機能を使いなさいよ。絶対に若いうちに結婚して子どもを産みなさい」と言っていた。
私は無知なまま、育児休業はもっと楽な骨休めだと思っていた。妊娠中より辛いではないか。
嘘じゃないか。
私も母や伯母みたくなれると思っていた
この苦業を楽しんだなんてすごすぎる、そして今も乳離れしてない兄の育児を楽しんでる、母の域には到底なれそうにないわ!
母性神話をさんざんディスってみましたが、果たして数年後、十年後の私は、このブログを読み返して、どう思うだろうか(苦笑)