【完全プライベート】 先般、父が逝去しました | 1級フードアナリスト ユピロ菌の迷える子羊達へ

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悩んでいたときに救ってくれた言葉や料理をおすそ分け。仏教に自分で掛けた首輪は自分でしか外せないという言葉がある。悩みを解決してくれるのは宗教でも他人でもない。自分自身でしか解決できない。

 
 
 
 
今年11月の出来事の備忘録です
 
 
今日の記事は完全なプライベートです
 
小生と直接関わりのない方はどうぞスルーしてくださいネ
 
このBlogは小生の日記代わりなので
 
不適切な表現等ありましたら寛大な心でお許し下さいませ。
 
 
11月7日。。。この日
 
僕は石狩で食に関するシンポジウムに参加していました
 
すると携帯電話のバイブレーションがしつこく響くので
 
どうしたかと思ったら
 
実家から介護施設にお世話になっている父が呼吸をしていないと
 
連絡があったとのことで今から向かうとのことでした。
 
僕も一旦すぐに札幌の住まいに戻り
 
そこから東京に向かいましたが
 
途中父が亡くなったとの連絡が入りました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
高齢ということもあり
 
いつ何があってもと
 
心の準備はしていたものの
 
コロナ禍でなかなか面談叶わずも
 
すぐにどうこうなる大病をしている訳でもなく
 
まだ1~2年は大丈夫かな~と思っていて
 
よもや年を越すことが出来ないとは思ってもいませんでした
 
ということもあり突然の出来事に流石に動揺しました
 
当日は呼吸が荒く会話もままならず
 
もちろん食事も取れないので
 
午後からお医者さまに往診してもらいましょうと
 
云われていたみたいです
 
お昼には少し会話を交わすことが
 
できるようになっていたそうで
 
その内、高いびきをかいて寝ていたようですが
 
氣がつくと呼吸が止まっていたそうで
 
完璧な老衰で眠っているように亡くなったそうです。
 
人間としては苦しまず1番幸せな亡くなり方ですよね
 
死に目には会えあえませんでしたが
 
本当に眠っているようでした。
 
享年92歳。
 
 
 
 
 
 
 
父方の
 
曾祖父は香川県坂出市選出の衆議院議員
 
母方の祖父は都新聞(現・東京新聞)の社主をもち
 
自身の父は慈恵医大出身の内科医の長男として誕生
 
どうやら理系の頭はなかったようで
 
学生時代から俳句に親しみ久米正雄に師事し
 
師を担ぎ俳句の同人誌も発刊していました
 
俳号は緑水
 
社会人としては東京新聞の記者としてスタートし
 
その記者時代はマリリン・モンローの単独取材に
 
偶然にも日本人記者として唯一成功をしている
 
その後記者を辞めてからは仕事を転々としたようだ。
 
また日本エッセイスト・クラブ理事も務めた。
 
俳人としては『こおりやま文学の森資料館』の
 
久米正雄『三汀賞』の選者をしたりし
 
句集も発行、大岡信『折々のうた』でも
 
紹介された句もある。
 
その中から僕の好きな句を記しておく
 
・ くゝり売る葱の硬さをためしけり
 
・ 枝豆の毛にまつはれる塩加減
 
・ 焼かれたる秋刀魚の顔は皿の外
 
・ ほろほろと藁焦げてゐる目刺かな
 
・ 尾をたてゝ日時計となる赤蜻蛉
 
食べ物の句が多いなw
 
 
 
 
 
 
 
 
父が亡くなって思うこと
 
親だから身体の心配はしていたものの
 
週末に思い出す程度だったが
 
亡くなってから今日まで
 
思い出さない日はない
 
男同士だし
 
晩酌しない父だったので
 
二人きりで飲みに行ったことはない
 
仲が悪い訳でもなく良い訳でもなく
 
どちらかというと昭和一ケタ生まれの父は
 
自己中心で近寄りがたい印象だったのかもしれない
 
でも思い出すと涙が出て来て寂しい
 
親と云うものはいるだけで心の支えであり有難いものである
 
人はその歳にならないと判らないことがある
 
或る日、息子の歩く速さが父の歩みの速さを超えた時
 
人は赤ん坊として生まれ、赤ん坊に戻っていく
 
そして改めて人はいつか死ぬのだと教えてくれた
 
この世に神様、仏さまなりがいらして
 
来世があり、魂があり、輪廻転生があれば良いなとは思うが
 
でもそれがないのであれば
 
すべてはその時点で終わる
 
楽しい記憶も悲しい記憶もすべてその時点で終わる
 
生きて残された者の中の記憶としてのみ残る
 
そして子孫がいるならばDNAが残るだけである。
 
人は何もない無として生まれ、
 
死んで無となる。
 
だからこそ今を生きる
 
正直に生きる
 
自分が何を出来たかではなく
 
人にどれだけ良い影響を与えることが出来たか
 
そんな人生を過ごしたい
 
問う
 
生きがいとは?
 
生きてきて満足だ!ってことだ
 
父はそんな幸せな人生だったと信じたい
 
合掌。