豪華なものより、ずっと大切なもの | 1級フードアナリスト ユピロ菌の迷える子羊達へ

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悩んでいたときに救ってくれた言葉や料理をおすそ分け。仏教に自分で掛けた首輪は自分でしか外せないという言葉がある。悩みを解決してくれるのは宗教でも他人でもない。自分自身でしか解決できない。

今日も

小さな町の小さなお寺のお坊さん

望月泰彦著

太陽出版「そのままで大丈夫」から

「豪華なものより、ずっと大切なもの」

を紹介させて頂こうと思います。

この本、オススメなので

ぜひ書店で見掛けたら手にとってみて下さいネ!





仏さまの説話から

「長者の万灯より貧女の一灯」

というお話を紹介いたします。

昔々、インドのある町に

一人の貧しい女性が住んでいました。

ある日、その町にお釈迦さまがお越しになり

説法をしてくださることになりました。

町の長者たちは、こぞって油を買い、

お釈迦さまのために

豪華な万灯を灯しました。

「私もお釈迦さまのお役に立ちたい」

と、貧しい女性は、

自分の大切な髪を売り、

わずかな油を手に入れ、

小さな一灯を灯しました。

そして、お釈迦さまがお弟子を連れて

町に近づいて来られました。

すると突然、強風が吹き荒れ、

たくさんあった灯明はみな消えてしまい、

町は暗闇に包まれてしまいました。

しかし、たったひとつ、

あの貧しい女性の灯だけは

決して消えることはありませんでした。

そして、真心のこもったその小さな光は、

お釈迦さまご一行を、

無事に町に導いたのでした。



現代の社会は、効率のよさ、合理性などを重視し、

それに沿った能力の有無で、人の価値を決めて

しまいがちです。

しかし、それだけで、

本当に人の価値は決まってしまうのでしょうか?

私たちは、この世の中にあって、

大切な何かを忘れてはいないでしょうか?

私もサラリーマン時代、

様々な人たちと仕事をしてきましたが、

仕事をこなせる人間=人として立派な人間

ではないことを、さんざん思い知らされました。

つまり、現代社会は、

能力が高いだけで、それに人徳が備わっていない人間が

あまりにも多すぎるのです。

人として尊敬できない人の下で働いている人たちが

その中で過剰にストレスを溜めこみ、

現代病を患ってしまうのです。

これはまさに、

この複雑で多様化しすぎた社会が生んでしまった

ゆがみなのです。





この「貧女の一灯」というお話・・・・・。

強風によって、町の長者たちの万灯は

みな消えてしまったが、

貧しき女性が、お釈迦さまのために、

自分の髪を売って、

灯した小さな一灯だけが、

いつまでも消えなかったという・・・・・。

これはお金をかけたものよりも、

わずかであっても真心のこもったものの方が

尊いというたとえです。

このたとえを現代社会に置き換え、

私たちは、何を学んだらいいのか?

それは・・・・・、

たとえどんな社会的弱者であろうとも、

その社会的地位や、能力の高さ低さに関係なく、

真心だけは持てる

ということなのです。

そして、それこそが、

人として最も尊い宝だということです。

「自分にはまだ、

 真心という宝物があるじゃないか」

と胸を張って生きていいのではないでしょうか。

この真心さえ、しっつかり抱いていれば、

人としての誇りを失うことは、決してないのです。





いくら美しい容姿をしていて

周りからチヤホヤされても、

人として心が狭く、

人に優しくできる真心のない人なら

僕は、その人は一緒にいる価値のない人

だと思います。

たとえ間違った事をしても、

嘘や意地を突き通すよりも

素直に過ちを認め、

謝る勇気をもった人間の方が

はるかに人として素晴らしいと思います。

言葉には真心がこもっていなければ

それは軽い言葉でしかありません。

僕は容姿もよくない、人に誇れるものは

何もないけれども、

真心、人として優しい心だけは

大切にしていきたいと思います。

僕が好きになる人は

心の美しさが顔に表れた人、

優しい心根が、視線が

本当に優しい人です。

僕は見た目の美しさには

けして惑わされることはありません。