生きる喜びに気付く | 1級フードアナリスト ユピロ菌の迷える子羊達へ

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悩んでいたときに救ってくれた言葉や料理をおすそ分け。仏教に自分で掛けた首輪は自分でしか外せないという言葉がある。悩みを解決してくれるのは宗教でも他人でもない。自分自身でしか解決できない。

今日は渡辺和子著

幻冬舎「面倒だから、しよう」から

「生きる喜びに気付く」という章を紹介しますネ。


 


「いのちが 一番大切だと

 思っていたころ

 生きるのが 苦しかった

 いのちより大切なものが

 あると知った日が

 生きているのが
 
 嬉しかった。」
 
           (星野富弘)

星野富弘とお目にかかる機会に恵まれました。

お逢いしたら、冒頭の詩にある

「いのちより大切なものって何ですか」

とお尋ねしたいのに、愚問しか口に出していませんでした。

負け惜しみでなく、”いのちより大切なもの”についての

質問をしなくてよかったと、思っています。

なぜならこれは、答えをいただくものではなく、

私たち一人ひとりが自分の生活の中で求め続け、

見出してゆくものでしょうから。


 


人間が「生きている」ということと、

生きていく」ということは、

ただ一字違うだけですが、

実は大きく違う
ことを

私たちは知っています。

その生きていく力は、いのちより大切なものが

あると知った時に与えられたそうです。

この自分が、傷のあるまま愛されていることに気付き、

それに気付かせてくれた人々の愛、神の愛に気付いて

与えられた力だったのではないでしょうか。

そういう力に支えられて、苦しいことの多い一生を生きた

一人の人間の生の軌跡は、この世のいのちに勝る尊いものなのです。


 


僕は今も毎日毎日、悩み苦しみ続けています。

命が一番大切だととも思っていません。

でも今日も生きていられるのは、

心を支えてくれる人がいるからです。

僕は、最近ちょっとだけ嬉しいことがありました。

こんな事、勝手にBlogに書いていいことか判りませんが、

紹介したいと思います。

或る日、Facebookで突然メッセージが届きました。

相手は学生時代の女性の先輩からでした。

Facebookの友達として繋がっている訳でもなく、

数十年ぶりのメッセージに本当にビックリしました。

そこに書いてあったのは、

「一度御礼メールをしたいな~と思っていたんだよ!

 御礼って何の??? って思ってるよね、きっと。

 覚えてるかどうかわからないけど、あの時の

 ヒトコマは私にとっての人生の転機のひとつでした。

 そこにいてくれたのは 君だったんだな~と 

 勝手に感謝申し上げてます。」 
 
 僕には、正直まったく心あたりもなく、記憶もありません。

 でも、その時、何があったのか聞くのではなく

 「人生の転機に僕が立ち会っていたんですか~?

 良い転機だったら嬉しいです(^^)!」と返信しました。


 


きっと、僕は彼女のために何かをしたのではなく、

偶然的に、彼女が自らした判断に基づく

人生の転機に居合わせただけだと思います。

それでも彼女の良い転機に立ち会うことができたことは

本当に嬉しいことです。

何もしていなくても、

もし僕がいたことが彼女の幸せにつながったのであれば

僕が人生で求めて生きている理想に少しだけでも

近づけているのかと、その彼女のメッセージに感謝しています。

人は知らない間に、人を傷つけ、

人は知らない間に、人を幸せにしていることもあるのですね。

でも、もしかしたら、僕も逆縁の菩薩だったのかもしれません。

人が生きるということは、こんなにも辛いことなのか・・・

その人の幸せを願い続けても、その想いが伝わるものでもない。

これも僕の自己満足に過ぎない。

何故、こんなに苦しむのか・・・

それは自分が良い人でありたいからに過ぎないのかもしれない。

ただ、今、僕が死んだら、このことが

僕の人生の中で

一番の汚点であり、悔いることになる、

相手を憎んで死んでいきたくはない。

結局は自分が可愛いいんだな、きっと。

相手の幸せを願ってるなんて偽善なのかもしれない。

でも、でも、それでも僕は君の幸せを心底、願っている・・・。


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