綺麗さと美しさ | 1級フードアナリスト ユピロ菌の迷える子羊達へ

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悩んでいたときに救ってくれた言葉や料理をおすそ分け。仏教に自分で掛けた首輪は自分でしか外せないという言葉がある。悩みを解決してくれるのは宗教でも他人でもない。自分自身でしか解決できない。


先日、ある研修に参加させて頂きました。

研修の部屋に入ると、

総勢15~20名程の参加者だったのですが、

なかに数人メチャ綺麗な若い女性がいました。

久々の目の保養です(^^)!


 


ほんと、皆さん綺麗なんです。

言葉づかいも丁寧で、

素晴らしい!

でも、僕には、なにか違和感がありました。

彼女達は、実はあるもののキャンペーンガールの

グランプリを目指す、そのファイナリスト達だったのです。

綺麗な訳です。


 



と、同時に僕の違和感も

はっきりしました。

全員がそうではないかもしれません、

また僕の勝手な思い込みで、

僕が間違っているのかもしれません。

でも僕の違和感は、

彼女たちが作られた綺麗さに

感じたのです。

素でないというか、不自然というか、

綺麗にみせようと演出している彼女達にみえました。

だから、残念ながら心の美しさが、

そのまま映し出された美しい人に思えませんでした。

それでも僕の隣の席の方は、良い性格の女性にみえましたが・・・。


 


綺麗な女性は得ですよネ。

多少わがままでも、

性格が悪くても、許されるところがある。

自分勝手で回りが見えてなくても

自我を通すことができる。

僕の近くにもいました。

まあ、仕方がない。

男は特に綺麗な女性には弱いからな~。

Aという部屋に、性格の悪い綺麗な女性。

Bという部屋に、性格は良いけど、ちょいブサイクな女性。

どちらを選ぶかとすれば、僕はAを選んでしまうかも・・・。

僕は、そんな愚かな男性です。

まあ性格の悪い綺麗な女性は往々にして、

自分が世界の中心、自己中心になってしまうものです。

賞味期限が切れて、誰からもチヤホヤされなくなり

漸く気付くんでしょうが、その時ではもう遅い。

ペラッペラの薄い人生で終わってしまうのでしょう。

人として生まれてきて、何の価値があるのでしょう。

寂しく悲しい人です。

心を磨かず、見掛けの綺麗さだけなんて最悪です。


 


そこで思い出すのが、

何度も、このBlogで書いた二つの事。

一つは

「自分の顔は自分で作る」

http://ameblo.jp/yupirokin/entry-10747557109.html


そして、

「きれいさは お金で買えるが、心の美しさは買えない。」

http://ameblo.jp/yupirokin/entry-11637257407.html


もう一度、シスター渡辺和子さんの

幻冬舎「置かれた場所で咲きなさい」から

紹介します。

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「きれいさは お金で買えるが、心の美しさは買えない。」

 心の美しさは、自分の心との戦いによってのみ得られる。

 マザー・テレサが初めて日本に来られた時、

 一番びっくりしたのは「きれいさ」だったと言われました。

 街並、建物、服装のすべて。

 しかし、こうもいわれたのです。

 「きれいな家の中に、親子の会話、夫婦のいたわり合い、

  ほほえみがないとしたら、インドの小屋の中で

  仲睦まじく暮らす家族の方が豊かです。」

 「きれいさ」はお金で買えます。

  美しさは買えません。

  それは、自分の生き方の気高さ、

  抑制ある態度、他人への思いやりの深さ、

  つまり、心の輝きとして培われてゆくものなのです。

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僕は綺麗な女性ではなく、

(心の)美しい人、それを見極められる

そんな男になりたいです。

無理かな・・・。

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