東北地方太平洋沖地震について(2) | 1級フードアナリスト ユピロ菌の迷える子羊達へ

1級フードアナリスト ユピロ菌の迷える子羊達へ

悩んでいたときに救ってくれた言葉や料理をおすそ分け。仏教に自分で掛けた首輪は自分でしか外せないという言葉がある。悩みを解決してくれるのは宗教でも他人でもない。自分自身でしか解決できない。

東北地方太平洋沖地震の被災者の皆様には


あらためまして謹んでお見舞い申しあげます。


先日の記事でアップさせて頂いたように


ユピロ菌のBlogにおいては、


書き溜め記事であること、


少しでも読者の皆様が明るくなるようにと思い、


そのまま記事を定刻にアップさせて頂いております。


今できること・・・


日本赤十字社ではクレジットカードを利用しての募金も可能です。


忙しい方でもパソコンから利用できるので便利ですので紹介します。


ユピロ菌も早速利用しました。


詳しくは日本赤十字社のホームページを参照してください↓。 


http://www.jrc.or.jp/index.html





ユピロ菌の迷える子羊達へ



既に最初の東北地方太平洋沖地震発生から


1週間が経とうとしています。


ユピロ菌自身の1週間を振り返ってみたいと思います。


発生から2分後、大阪でも大きな揺れを感じました。


ユピロ菌は会社にいて、車で移動中の代理店さんと電話中でした。


現代の新しいビルの耐震建築は、ビル自身が揺れることで


地震の揺れを吸収する構造のため、結構揺れるので


ビックリしました。


電話相手は、まったく地震に気付かずでしたが・・・。


その後も東北での余震発生の2分後に


ちょうど大阪でも揺れを感じる状態で、


ユピロ菌はほとんど船酔い状態でした。



ユピロ菌の迷える子羊達へ



東京にいる家族に連絡をさっそく取りましたが、


もちろん、すぐには電話はつながりません。


東京都心の交通網は完全にストップ。


でも一番最初に渋谷の事務所にいた


兄に電話がつながり、安否が確認できました。


73歳の母にもPM3時には連絡がつきましたが、


第一報では日比谷の帝国ホテル前のタクシー乗り場に


並んでいるとのことでした。


300人位が並んでいるとのこと、寒くて仕方ないとのこと、


足が痛くて長く歩けない状態なので、


とても歩いて成城まで歩くのは無理でした。


テレビではタクシーは30分に1台しか来ない、


乗っても渋滞で動かないと流れてました。


それからずっと連絡が取れず心配していたのですが


PM8時頃、電話がつながり、帝国ホテルのロビーに


入れてもらえたようで、廊下に座り一晩を明かすとのことでした。


結局、兄が翌日のAM2時、母がAM7時に成城の自宅に


戻ることができました。


携帯電話を持たない83歳の父には夕方まで連絡が取れず、


一番心配しましたが、成城の街にいたようで、


誰もいない家に帰るのが怖くなり、


スターバックスで珈琲を飲んでいたようで、


夕方には家に帰り、心細くしていたようです。


横浜の義母は横浜のデパートにいましたが、


隣駅が家なので、歩いて帰ったようです。



ユピロ菌の迷える子羊達へ


東京の家族も大変だったようですが、


東北では何千人もの方がお亡くなりになり、


また避難されても心も体もボロボロに


傷心されている方々に比べたら、


幸せです。


感謝しなければなりません。


仙台の叔父も震災から数日後、


ようやく無事が確認できました。


でも車イス生活で12階のマンションから動けず、


叔母も最近交通事故にあい、体が不自由で


食べ物等の購入に一苦労しているようで


心配が続きます。



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