ラブレター以前高校生におこなった授業のあといただいた感想の抜粋をご紹介しています。
17.18日に投稿した生徒さんからのお手紙に対する

私の感想の、昨日からのつづきです。

私の宮城県の実家は小さな個人商店をしています。
看板は酒店ですが、コンビニというものがなかったその昔は、
小学生がおこづかいを握りしめて1人ではじめてジュースやおやつを買いに行く、
おばちゃんのサンダルとか月間漫画雑誌や洗剤などの日用品も売っている、
そういう、田舎のお店やさん。


10年くらい前に、実家に帰ると両親が
「うちの向かいに集合住宅が建って、どうやら
精神障害や知的障害の人たちが住むアパートになるらしい」
と話していました。
努めて淡々とした言い方をしていましたが、不安がにじみ出ていました。


それから数か月して帰省したときに、そういえば、という感じで
母がこんなことを言いました。
「近くにコンビニもできたしぜんぜんお客さんが来なくなったんだけどね、
目の前のアパートにいろんなところから来た人たちが入居して、
その人たちが、ビールとかおつまみとかパンとか、
よく買いに来てくれるの。
会計がわからないときには持ってきたお金を見せてくれて、
これで買える分だけ何々をください、って感じで、
直接小銭を触れない人とかもいるしすごく静かに話す人も多いんだけど、
みんなやさしくて、いつも真面目に仕事も頑張ろうって一生懸命で、
最初は内心、精神障害の人たちがすぐ目の前に来て暮らすなんて大丈夫かな、
怖いって思っていたんだけど、付き合ってみると
ただのおにいちゃん、おねえちゃんたちなんだね。
定期的に見守りの職員さんが来るけど、基本はアパートで自立して

1人暮らしできるくらいの障害が軽い人たちというのもあるからだと思うけど、
障害がない人たちよりもウラオモテもなくて、話してて楽なくらい。
あの住宅の人たち、来るの?大丈夫?って聞いて来る近所のお客さんには、
ぜんぜん大丈夫だよ、みんな素直でかわいいよ!って言ってる」
と。


手紙を書いてくれた生徒さんは、私の話で「精神障害」と言われる親友を
自分のお母さんがそれを知ったときから区別しはじめたことを思い出した、

と言っていました。
私の方は、彼のその手紙で、自分の母のその言葉を思い出したのです。


お店をやっていて、お客さんとして通ってくれるようになった彼らを
母は避けようになかったので

「あれ、付き合ってみたらみんなやさしくていい子だな」

と気づくことができたのですが、
とにかく付き合うこともせずに人を病気や障害を聞いただけで避けたり
何かを決めつけて悪く思うというのは偏見であり差別で、
付き合ってみたら自分の思い込みが間違っていることもある、
ということを母が体験することができて、とてもよかったなと思いました。
精神障害があるんだ、と聞いても「それで、どんな人かな」と
避けずに付き合いを持とうとする、
友達がそう言っても「そうなんだ」と、お手紙を書いてくれた生徒さんみたいに
「今までどおり、なにも変わらない友達だよ」と言ってくれる、
そういう人たちが社会の中でたくさん増えていき、
障害で苦しむことに加えて孤独の苦しみがプラスされる当事者が
どんどん減っていくとよいなと願っています。


晴れはじめてこのブログをご覧になってくださった方は、
プロフィールも読んでいただけるとうれしいです
※プロフィールは、yupikoの丸いプロフィール写真から
開けます