手紙以前高校生におこなった授業のあといただいた感想の抜粋をご紹介しています。
昨日からのつづきです。

今でも私が親友のことを話すと、母は
「あー、障害者の子ね」
と、最初に言います。


その都度、偽善かもしれませんが、
私は毎回、母と喧嘩をしてしまいます。
何で区別をつけなくてはならないのかと。
自分のことではないにせよ、私は彼を
大切な親友だと、それだけを考えているのに、
どうして明確な区別を当然だと思っている人々は、
表面しか見ることができないのか。
そんなことを思う度に、いつも心が痛くなってきます。


何が正しくて何が正しくないだなんてないにせよ、
私にとっての正しいを、
他者が平然と踏みにじってくることが、
私は非常に不愉快に思います。
でも同時に、自分が最初に抱いた彼への印象と、
差別をする彼らが同じことを思っているのなら、
それを否定する権利は私にもないでしょう。


つまるところ私は、健全体である我々と
障害者と一括りに称される人々との区別を、
倫理的な社会を語る国が承認している、という事実が、
俗的に言えば、気に食わないのです。


ゆうこさんの話を聞いて、当事者の1人であるゆうこさんが
どんなふうに考えているのか知れて嬉しかったです。
だって、私は彼を区別していないのですから。
彼の感情については聞くことは今さらできません。
無知は罪とまでは言いませんが、
知らなければいい、ということはありません。
一つの視野で済ませる、怠ける性質は許されることではないのですから。


講演、面白くてとても楽しかったですよ。
ありがとうございました。


ラブレターあさって20日に私の感想を投稿します

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