手紙以前高校生におこなった授業のあと
いただいた感想の抜粋をご紹介しています。

メモ昨日の生徒さんからのお手紙に対する私の感想です。

幼少の頃から抱えて来た孤独や想いなども見えるようになり
それがまた自分の傷のひとつ障害を持っているきょうだいがいる方は
障害児の「きょうだい児」と言われたりしていて、
障害を抱えて生きる人、当事者と同じように、
障害を抱えているきょうだいがいる、という人生も
1人1人、いろいろな葛藤や傷を持ち、生きているのだと思います。


私も自分の身に起こることを処理するだけで必死だった子ども時代を終えると
大人になるにつれ、弟が物心ついた頃からずっと抱えて来たであろう

孤独や想いなども見えるようになり
それがまた自分の傷のひとつになったりしています。
この生徒さんの
「距離を置くようになったけど、ずっとモヤモヤしていた」
という気持ちも、無意識に必死で想像しながら読みました。


私なりに考えとっさに浮かんだことは
「自分のきょうだいが人から冷たい目で見られるつらさや恥ずかしさ」
「恥ずかしさを感じる自分への罪悪感」
「自分は距離は置いても、きょうだいには人から好奇の目で見られたり
逆に目をそむけられる障害がある事実は消えない」
ということだったのですが、
私の体験を自分とごきょうだいのことに落とし込み、
「迷いが吹っ切れた」
と書いているのを読んで、彼女のモヤモヤのメインは
迷いなんだな、ということがわかりました。
距離を置くことでラクになるけど、それでいいのだろうか。

関わるのは大変。自分には無理だとも感じる。

でも…。

そういう迷いなのでしょうか。

一緒にたのしく過ごすことが難しくても、きょうだいへの確かな愛も感じ、
「少しだけ迷いが吹っ切れたかも」

というところを読んで、ちょっと涙が出そうになりました。
きっと、自分が思っている以上に、長く深く苦しい気持ちを抱えていたんだろうな、
と思ったのです。


どうか無理をしないで、自分のことも責めないで、
手紙に書いてくれたように、「これなら私にもできる」「これをしたい」
と思えることから少しずつごきょうだいに関わり、それを

堂々と「これが私たちきょうだいの交流」と考えていけるといいなと、
それができるようになった自分はかっこいいな、と思ってほしいです。


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