まじかるクラウン授業をした高校生のみなさんから
後日いただいた質問にこの場をお借りして
お答えしています。

他の質問と回答はこちらにまとめています。

https://ameblo.jp/yupikorin0120/entry-12615760916.html

 

ラブレターどうしたら偏見や特別意識を持たずに、
平等に見ることができますか?
 
手紙私が自分で意識していることは、
まずひとつは、
「偏見を持たないで人を見るぞ!」
と、決めること。
そして、それはつねにうっかり
忘れてしまいがちなので
事あるごとにちゃんと意識し直す
ということです。
 
偏見や特別視というのは、自分が
「この人は○○だから、こうだ」
と、
○○だけで、しかも
○○に対して自分が持っている
イメージだけで、
こうと思い込んでしまうこと。
その物差しで人を決めつけ、
相手を見たり、接したりすること、
だと思うのですが、
人には人の数だけ、いろいろな
ケースがあり、同じ○○という
くくりであっても、1人1人、
みんな違います。
けれども
自分が知っていること、
自分から見えたことは、
世の中の事実の、
またはその1人の人の中でも、
ほんの一部の、わずかなこと。
ですから、
「偏見を持っている」のは、
誰でも大前提にあることでは
ないでしょうか。
人や物事の、自分に見えている部分、
自分が見ている部分はほんの一部である、
つまり「偏っている」、
それ自体は、当たり前のことだと
思うのです。
「自分の見ていることは偏っている」
ということをみんなが認め、
「それだけで判断するということは
間違っているから
簡単に決めつけて見ることは
しないようにしよう」
と意識することが大事なことかな、
と思っています。

「より多く、相手をちゃんと見て、
ひとつひとつ、知っていく」
知ったら、
「他の部分はどうだろう、
別の誰かはどうだろう」
と、つねに
こうだと決めつけないで人に接する、
ということを
繰り返すのです。

偏見を持って、特別な目で見て
人に接するよりも、
真っ白な状態で、「どんな人?」
と思ったところから付き合う方が
ずっと楽だと私は思っています。
 
私が意識している2つ目は明日メモ
 
虹つづく
 
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