私の精神障害・・元風俗嬢 -2ページ目

継母の事や旦那の昔になど・・・

やはり、嫁、姑は合わないと言うけれど、その通りな感じがする。

私の旦那の本当の母親はいない。旦那が小学校に入る頃には癌でずっと入退院を繰り返し、

旦那が中学は入る頃には亡くなった。母のおばあちゃんがいて、ずっと旦那をみていてもっらた

らしい。家は私と違ってとても裕福な家庭に育ったみたいだ。一人っ子で甘やかされて育って来たから

買い与える物を全部だし、女には人気?があってもう、中学2年で彼女がいてファンクラブもあったと言うから驚きだ?!中学を卒業の頃に、旦那の父が新しい母をもらう。そっちにも当時小学校の女の子がいて

とお互いバツイチ同士、子供ありの再婚だったらしい。一緒に住み始めて、直ぐに旦那の持ち物に変化が出始める。いや、物が無くなるという現象が起こり始める。ご飯になると自分の娘にはご飯と与え、旦那には出してくれない。でも父に言いたくても父は残業続きで帰りが遅い。旦那は継母の連れ子の女の子が勝手に旦那の部屋に入って物を取る瞬間を学校から帰って来て見てしまう。「もう、ここにはいたくない。」旦那は友達の家を行ったり、親戚の家に行ったりした。旦那の父が直ぐに「二人で家を買おう。」と言う。裕福で育った、家は旦那の亡くなった母の兄の借金の形に持っていかれ、裕福にはもうなっていなかったからだ。

二人で家を出て、二人の生活が始まるが、旦那の父は籍を入れたまんま形の無い結婚生活を送る。

私が結婚するという時にその継母と娘(当時、専門学生)と初めて会うが、初めての印象はまあまあだった。

継母とは継母の母が亡くなったと言う時に父が「どうしても出席して!」と言う。渋々、旦那と行く。

その時言われた言葉が「うちの子供がお世話になっています。所で貴方は誰?。」嫌味を言われた。

皆、親戚中がいる中、「うちの親戚を紹介いたします。」私の番になってまた「そしてうちの子供の(旦那の名前)のえっと誰だっけ?。」ですよ。普通、言わないだろう?そういう風に・・・。

そこで、初めて会った親戚からも「太ってますね。○○○(旦那の名前)さんは何処が良くて結婚したの?」

親も子も親戚も最低レベル!!。

旦那にもかなり泣かされて私。中学から私と会うまでの数年間、彼女が途切れる事が無かったと言う。しかも、なんかモテるのが年上の女が多い。私と付き合っていた時も二股かけていたみたいだし(ふう)ホント、20代前半の旦那には大変嫌気がさしました。今までブスチンでも、何人かと付き合った事があった私・・・。尽くして最後にいつも捨てられていた。「もう、束縛するな!」とかって言われて・・・。でも旦那には初めて私の方から「別れて!」と言った。その時、旦那から「ごめん、もう、女遊びは辞めます。」それから、2年間、途中だった学校に通わせ、私は風俗に入って二人分の生活費と学校の費用などを稼いだ。その学校に行かせてて、結婚して、学校を卒業して仕事を就く様になった頃には大人しい人になっていたけど、今も会社のおばちゃん達からモテる。親に言った。親はこういう「あんたの旦那、氷川きよしに似てるからじゃない。」だからおばちゃん連中のモテるのか・・・?うーん、分らないけど(良く氷川きよしが今まで有名になりかけの頃とか良く本人に間違えられたり、今も新宿に行ったりすると、ホストが寄って来る。私では無くて旦那にスカウトで・・・。)

昔の事が無ければ花丸君なんだけど、まあ、しょうがない。女の遊ぶのも昔だからやってもOKだったし、顔も良く、スタイルも華奢な旦那(自分で言うなよな)でも、なんで今も思う。何で私とこの人、結婚したんだろうな?って・・・。でも、今の私にはこの旦那がいないと生きてはいけない生活になっている。だからいつも言う。「先に死なないでね。」それぐらい愛してるとかでは無くて、良き理解者良き相談者なので。またまとまりの無い文章なのだけれど、旦那の事はいなくてならない存在。この文面、すごく分りにくいし、まとまらない文章、読んでくれた人達の反感をかいそうです。ごめんなさい。ホント、文章が下手で脳みそが無くて・・・(汗)

母になり1ヶ月半・・

母親になって?1ヶ月半、実家に帰る事にした。すごく二人とも疲れていたし、旦那の継母にも子供が

いて最低な継母、娘だったので、もちろん、お世話になるつもりもない。車で12時間かけて辿り着いた

田舎。何も変わっていない。嫌な記憶がどんどん湧き出て来て、すごく辛くなる。両親は基本的には好きだ。ずっと鍵っ子で育ったのも、親を憎んでいない。貧乏だったのも今、子供がいて家族になってからこそすごく親は大変な思いをして私達を(うちは姉、兄と私で3人いる)育ててくれた両親、とくに母親、自分で言うのも可笑しいが凄く優しくて、姉を18歳で出産してから、一生懸命育ててくれた母、仕事と言っても資格も無いし、パートで働くしか無かったから、かなり、同じおばちゃん連中にイジメられ、やせ細って行く母を私は小さい頃から見ている。私に会うなり「凄く変わってしまって・・・東京に行って帰って来ないし、でも、良かったね~。」と言って赤ちゃんを抱っこしてくれた母。その日を境に赤ちゃんがワンワン泣いていたのが、3時間事に泣くようになってくれたのと、凄く嬉しかったのが、両親と兄に会ってから、ニコニコを笑う様になる。初めて「実家に帰って来て良かった!。」そう思った。

出産して1ヶ月検診での出来事

出産した病院で1ヶ月検診は受ける。一人では行けないから、旦那が午後、仕事を休んでくれ、

一緒に行ってくれた。

先生は退院した時に赤ちゃんを診てくれた先生では無くて若い女の先生だった。

最初にその先生から言われた一言、それが「虐待していませんか?」

私の赤ちゃんには生まれつき、胸の左に青あざがあった。退院する時も先生から言われた。

「大きくなれば消えるかもしれないし、もし気になる様でしたら、レザーなどもありますから・・。

レザーと言ってもまだまだ大きくなってからですけどね。」

すごくショックだった。先生なら普通分る事だと思っていた。頑張って1ヶ月寝ないで育てて

来てここに来て「虐待していませんか?」は無いだろう!!!!と・・・。

私は何の為にこうやって育ててきたのだろう?と・・・頭が変になる。だからか若い女の先生は(とくに婦人科、小児科の先生)大嫌い!もう、そこで植えつけられてしまった・・・。

出産して・・・また辛い・・・

出産をして6人部屋で凄く辛かった。二日目から直ぐ生まれたばかりの赤ちゃんがベットで来る。

夜中は自分の赤ちゃんが泣かなくても他の赤ちゃんの泣き声でただでさえ寝れない私はなかなか寝付けない。その当時、総合病院は一人部屋は空いていなくて・・・。産んで切開した箇所も痛いし、赤ちゃんの面倒もみる。三日目位からオッパイがはって熱をもって寝れない。すごく吸引機が欲しくなる。二人目のお母さんなどは分っているから、吸引機やミルトンなど、持参していた。私は全て初めてで全く分らない。

オッパイもなかなか吸ってくれず、吸引機があれば哺乳瓶に入れて看護婦に渡せたのだが、吸引機が無い。結局、赤ちゃんは泣く。ミルクをもらいに看護婦の所に行くのだが、3時間事でないとくれないので、3時間経っていないで赤ちゃんが泣かれると自分のオッパイを上げなくはいけない。でも出ない。しぶしぶ、看護婦に言って「ミルクください。」と言いに行くと一人、嫌な看護婦がいてその人に当たると「まだ3時間経っていなんだけど・・」って言ってなかなかくれない。1週間入院のところ、私は中場強引に5日間で退院をした。もう、、ここにはいたくなかった、最後に出る祝いの料理もその1週間の間に出産したママと一緒にご飯を食べるのだが、私はこんなのだから、わざわざ看護婦さん方が病室まで料理を持って来てくれた。出産してから過酷だった。バンバン泣くし、オムツもミルクを・・・でも泣く・・・。旦那と二人であの頃は睡眠2,3時間だった。でも、私がカァーッとなった瞬間が分ると直ぐ赤ちゃんを抱っこして台所の所に行って夜中にミルクを上げてくれた。あの出産は私がしたんだけど、1ヶ月検診まで夜中も何度も何度も起きても文句一つ言わず、ミルクを上げて、オムツを交換してくれた旦那は、結婚して良かったなあとつくづく思った。多分、余り、赤ちゃんの事の世話をしてくれない旦那だったら、多分私は一緒に赤ちゃんと死んでいた思う。それ位、過酷だった。


妊娠5ヶ月目で・・・

妊娠5ヶ月目で決めた場所は結構自宅から離れてはいたのだけれど、無痛だし、

HPで見る限りではピンクに統一されていたなかなか良かったからだった。紹介状を

書いてもらい、そこに転院を決めた。でも、そこは受付は愛想が無い。産科の先生も

最悪だった。次の日、また、産む設備の無い病院に話しに行く。もう1箇所、無痛でやって

いた近所の産科があったのだけれど、先生が優しいのだがイマイチハーフらしく日本語が聞き取りにくい。

看護婦はTVを見てゲラゲラ笑っている。ここも駄目だ。私は産める所があるのだろうか?母に電話して

遠い実家に出産しようと決意するが、良い所は出産だけは無理みたい。

もう、私のお腹は7ヶ月目に突入していた。結局、総合病院で普通分娩で出産する事になった。

その頃から、ご飯を食べれず、胃が圧迫されて苦しいのと、子宮に痛みを感じはじめる。

総合病院で診てもらう。「子宮の入り口に膿の玉みたいなのが出来ていてそれが子宮を圧迫している。手術しないと駄目だ。」「え!手術!」痛いのは慣れてはいたけれど・・・。入院して、手術した。

退院はしたものの、臨月頃からまた子宮に痛みが始まる。先生は「また出来てしまっているみたい。もう臨月だから、出産する時に邪魔ならその時に取ります。」「そんな事出来るの?」ご飯も食べたいけど、胃が圧迫されて食べれない。出産する時まで結局「増加に注意!」警告が出ていたのに8キロで止める事が出来た。でも、私は病院行ったりの暮らしで色々な事が全然出来ていなかった。

そういう市とか区でやっている講習みたいなのにも参加が一切出来なかったし、総合病院でもやっていたみたいだけど、途中から来た私は行きづらい。旦那が出産するのに立ち会うには一度夫婦で講習を受けなければ行けないのがあって、それには参加した。それに参加できたのは旦那がいたからだと思う。

あと、総合病院で出産できたのは私の病気を看護婦さん方とか知っていてくれたのと、先生もとても人柄の良い先生方だったから。

美しさをもっと・・・と思った事は・・・。

結局、私は今、何をしたいのだろう?と思う様になった。分らない。

でも、その頃から何故か子供が欲しいと思い始める。でも、なかなか出来ない。

多分、私の子宮筋腫のせいもあるのだろう。食事改善をして42キロまで戻り

体調も良くなる。

思い切って、ドラックストアで売っている妊娠しやすい日が一目で分ると言う

のを買ってみる。結局出来なかった。「まあ、運まかせで、今は出来ては

いけないと言っているんだろうな。」と自分に言い聞かせた。その後、突然、妊娠した。

そこからまた悪阻が酷かった。私の場合は食べ悪阻だった。寝ている時も飴などを

舐めていないと寝れないし・・起きれない日がかなり続く。妊娠ってこんなに辛いものなんだ・・・。

どんどん体重も増加していき、妊娠4ヶ月目にして45キロ、なんと、3キロも増加、思いっきり

「増加に注意!!」警告が母子手帳にハンコを押された。4ヶ月目で悪阻も治まり、体調も良く

なるが、食べる事が収まりきれず、どんどん、太る一方だった。産む産科もまだ決めれずに

いた。私が行っている病院は産む設備が無い。早く探さないと・・・・。でも、無痛が良いのに

なかなか良い病院が無い。焦る一方だった。

拒食症になって・・・。

拒食症の始まりだった。病院にも入れられた。でも、私は今、何をしているんだろう?と考える事が多くなる。自分が醜いのが許せない!もっと綺麗になりたい!見下した男どもを見返したいと歪んだ思いが始まる。鼻の整形をした。旦那は「自分がやりたい事をやりなさい。俺はお前をこんなにしてしまったのだから・・ずっと一緒だから・・・。」でもこんな旦那、普通いないようなって考えてしまう。本当は本当は私の事を好きでは無いのではないか?とか・・・。旦那にも言った。「でも、お前は止めたってやるんでしょ?」「うん!その通り!。」だからなんか私が矛盾しているんだろうと思う。色々それからはやった。植えまつ毛とかまだ高かった時のエクステンションとか・・・。綺麗になると思う事は拒食症と戦いながらもやった時期だった。でもなんか疲れるだけ。私、駄目だ・・・。死にたくなる。

風俗を辞める・・・。

風俗を2年やって辞めた。彼もちゃんと職に就いてくれて、辞める事が出来た。それでその彼と結婚した。結婚式も無い。でもそれで良かった。風俗を辞めた頃は疲れて疲れて、太ってさらに醜くなって酷い姿になっていた私。オーバーオールがきつくなって思い切って体重計に乗ってみる。身長151cmに対して57キロもなっていた。これはやばい。最初は運動で頑張って痩せていくのだけど、ある旦那の義父の再婚相手の継母の母が亡くなった時の葬式の時にある人から「太っているね~。」その時は53キロまで痩せていたのに・・・。

「くそー。」って思った。そこから一切食べ物を食べなくなってしまう。そう、拒食症の始まり・・・。気付いた頃には42キロまでになっていた。その頃から顔が気になり始める。前から思っていた事だが、整形に踏み切る。目を二重にした。体重も軽々になって目もパッチリ二重になってどうよ?って・・・。全然変わらないのだ。痩せても目を二重にしても、周囲は変わらない。友達の結婚式に行っても変わらない。女はそうかもしれない。醜くなっていくと結構、人は言うけれど、綺麗になると言わない様な気がする。私は素直に言う様にしている。でも結婚式の時、友達は「もっと太った方が良いよ!。」何故そんな事言うの?そう、でもその時の体重は37キロだった。だれが見ても痩せすぎだった。なんかまとまりの無い文章・・・・。やっぱり脳みそが無い。ごめんね。

風俗の中で・・・。

風俗の中ははっきり言って中身は最低です。ま、私が行っていたお店がそういう所ばかりだったかもしれないけれど・・・。ボーイが人間が出来ていない人が多かった。なんか小学校の低学年生レベルの世界。女の子は低レベルの子もいたし、しっかりしている子もいたし・・・。あとはお客かな?渋谷、新宿はハッキリ言って最低レベル!むかつくーと言う客が多かった。「ほら!お金で買ってんだよ!」と言う感じで・・・。でも、お客がいないと仕事にならない。顔は最低。朝、夜の逆転でどんどん太る。そんな女の子、写真指名はしてはくれない。でも最後は意地だった。NO1まではいけなかったけど、NO2まで行った。そこは横浜だったからかな?皆、良いお客ばかりで寂しさを背負って来る人もいたし、ほんと、優しいお客ばかりだった。地域によってここまで違うの?って思ってしまう位。ちなみに指名をしてくれていたお客は皆、最初はフリーで入って来たお客さんです。横浜もボーイがもっとしっかりしていればな~。でも、暇な時間はやはり、写真が命、私の顔ではお客が取れない・・。綺麗になりたい・・・。風俗の世界は顔は命だと思った。いや、多分80%以上はそうだと思う。男が怖い。接するのかとてつも無く怖くなる。風俗を去った方が良いと思った。もう、この仕事は辞めよう。リストがどんどんする自分がいたから・・・。

24歳~男に媚を売る仕事になる。

辛かった。うちはその後に付き合っていた男性がヒモだったせいもあって、二人分の生活費、その他色々稼がなくていけなかった。私の顔はブスだった。そんなの知っているから、面接を行っても断われる事もしょっちゅうだった。風俗という世界は顔が命。写真指名は全く付かずいつもフリーのお客さんだった。それから、指名してくれる客もいるけど、私の顔はコンプレックスそのももになりつつあった。あと、ボーイが全く常識の無い人が多い!風俗嬢でも、ホストに入り浸っているもの、まじめにコツコツ貯めている人。私はどちらでも無かった。借金されて金額もなかなか減らず、結局は自己破産した。24歳で自己破産、最低です。男は顔でしか判断しない。仕事している時、他の事を考えていた。働いた分だけ、贅沢もしたかもしれない。だってあんなに嫌な思いをした2年間のお金を全く無いんだもの・・・。顔はコンプレックスの塊になった。整形をしたい!そしてまたみかえしてやりたい!と思うようになる。私の最低な人生だ。男はまだヒモのままだった。