ゆんたくシーサーRadioのゆかりんです。
20世紀における、米ソの宇宙開発競争は、
米国が人類初の月面各陸を果たしましたが、
1970年以降は、宇宙ステーションを打ち上げ
長期滞在ミッションに移行します。
まず、旧ソ連が1971年、人類初の宇宙ステーション、
サリュートを打ち上げると
アメリカは、1973年5月14日、スカイラブ(skylab)を
サターン5によって打ち上げました。
これは無人のスカイラブ1号計画で、
打ち上げ当初から様々なトラブルが発生、
想定外の空気抵抗によりシールドが脱落、
太陽電池版の一つがもぎ取られ、
残る太陽電池版には、
脱落したシールドの破片が絡みつき、
展開できなくなりました
ステーション内は、深刻な電力不足に陥り
問題は深刻化しました。
それを修理したのは、
サターンIBで打ち上げられた
有人のスカイラブ2号計画の
アポロ宇宙船に乗り込んだ3人の宇宙飛行士です。
飛行士らは機材放出口から
傘に似た日よけを出して太陽電池版を展開させ、
電力を回復させて、有毒ガスの充満していた船内の温度を
適切なレベルまで下げました。
この宇宙実験室では
様々な観測、実験が行われ、
特に太陽紅炎(プロミネンス)やコロナなどの発見、撮影に成功しています。
【スカイラブは2機造られ、1機は打ち上げ、2機目はスミソニアンに展示】
当時のアポロ宇宙船は、
月ミッションを終了し、
スカイラブ宇宙ステーションへの往復に使われました。
スカイラブ計画は4号で終わりを告げました。
しかし、スカイラブには軌道変更できるエンジンはなく、
スペースシャトルで軌道変更をする計画でした。
そのスペースシャトルの開発が大幅に遅れ、
予定通りにはいかなかったのです。
スカイラブは徐々に高度を下げ
大気圏突入後、地球へ落下していったのです。
当時、スカイラブの落下は、国際的に大きな関心を呼び、
どこに落ちるかという注目を集めました。
結局のところ、西オーストラリア州バースの南西に落下しました。
スカイラブのミッションは
宇宙空間への長期滞在ということになっていました。
そこで、様々な発見もありましたが
つまるところは、宇宙における
人類の経験智を積むことだったと言えそうです。
ステーション内の実験もさることながら、
無重力空間でも人間の暮らし方、適応性など
全ての未体験を経験に変え、
新たな知識、新たなシステムを生み、創り出していく、
想定外のトラブルをどう対処、対応していくのか、
極限の中で、
次元の壁を突破していく
叡智が生み出されていくのではないでしょうか。
アポロ月面着陸成功から
スカイラブミッションへ、
そして、スペースシャトル、ISS(国際宇宙ステーション)などへ、
次へ次へとつながってゆくのです。
当時の米ソの冷戦は、スターウォーズも視野に入れた
熾烈な宇宙開発競争だったことを、
当時の日本人は理解できず、日米安保の中に守られて、
平和のまどろみの中にいたのかもしれません。