人に何か言われると「自分の感覚が変なのかな?」と思うことはありませんか?
自分がヘンなのか?と考え出すとあまりよい方向にはいかない気がします。
ポチ(長男)には起立性調節障害があり、日によっては昏睡状態で、まったく起きられない日があります。
その日もそんな感じでした。
15時頃になり、ようやく起きてきたポチに、私は「行ける時間からでいいから、学校に行きなさい。」と言いました。
合唱コンクールが2日後に迫っていて、ポチはパートリーダーでした。
コロナで練習が1週間中止となり、ほとんど練習できないまま本番が目前に迫っていました。
そんな時間から行くのはすごく嫌なのは分かっていましたが、パートリーダーなんだから、責任もあるし、行きなさいと半ば無理やり送り出した私でした。
そして、19時頃帰ってきたポチにどうだった?と聞くと…。
合唱の練習のため体育館に行くと、いつもポチに辛辣なことを言う子が
「なんだお前、今頃来て!お前パートリーダーやる資格ない!」と言ったそうです。他にも数人の男子からそう言って責められたとのこと。
ポチは「自分には起立性調節障害があって、今日はなかなか起きられなかった。だから遅くなった」
と説明したけれど、やはり責められたと言って落ち込んで帰ってきました。
これを聞いた私は激怒して学校に電話をしました。相手の連絡先を知っていたら、直接言いに行ったところですが、わからなかったので学校に連絡しました。
ほとなくして担任の先生が自宅に訪ねて来ました。話を聞いて、
「そうかー、ポチはそんなふうに受け取ってたのか。」と言いました。
「先生にはどんなふうに見えてたんですか?」と聞くと、「みんなちょっとふざけてただけ。ポチが来て嬉しかったんだと思うよ」というような答えが返ってきました。
ポチのとらえ方と先生のとらえ方とでは随分温度差があると感じました。
ちなみにこの先生は正義感が強く、昭和の男!という感じの年配の先生です。
いじめは許さない!という考えです。
なので、悪気はなかったと思いますが、繊細な子の心情は分からなかったようでした。
ポチが「こんなことを言われてすごく嫌だった。」と話すと、それについては直接本人に注意しておく、と言われました。
「けどな、そんな時は何か言われても「俺がリーダーだ!何が失格だ!と言ってやれ!もっと自信を持て!」と言われました。
それが自然にできる人はヤラれないと思います。
が、ポチは「お前って変なんじゃねーの?」と言われると、「そうなのかなぁ…」と考え込んでしまうタイプなのです。(私も長年そうでした)
ですが、ズケズケと「お前って変なんじゃねーの?」というような人間は、自分の感覚がすべてという認識でしょうし、
「世の中いろんな感覚のいろんな人間がいる」
ということは頭では理解することがあっても、感情的には納得していないでしょう。
友達同士「ウザい、キモい、死ね」などと言って、なんとも思わない人と傷つく人がいるということは、理解できないのでしょう。
何が言いたいのかというと、いじめられっ子でなくても、「あなたってちょっと変」と言われても、それが自分の感覚で、それを「自分はおかしいのか?」と思う必要はまったくないということです。
自分の感覚は、自分が自分であるための非常に大切なことです。
自分の感じる感覚を「変ではない、自分は確かにこう感じているし、それでいいのだ」と思えることは自分を愛して守ってあげていることです。
家から1歩出て外の世界に出ると、自分を攻撃したりマウントを取ってくる人は必ずいます。
誰も味方についてくれる人がいない時も多々あります。
そんな時、こうやって自分の感じることがヘンではない、何がおかしいの?と相手にキッパリ伝えることは自分が自分の味方について守ってあげることなのです!
これができるようになると、強い雰囲気をまとえるようになり、いじめられる回数も減ってきます。
自信の強さがにじみ出てくるようになるのです。
自分の感覚を信じる。
このような子に育てるために親ができること、そして親が絶対にしないほうがいいことは次回書きます。