東北・信越ルート(8)仙台→大宮→名古屋 | ゆのブログ

東北・信越ルート(8)仙台→大宮→名古屋

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ゆのです やまびこ208に乗車しています

(2023年10月4日撮影)

写真は栃木県那須郡那須町に入っています 並行する東北本線は黒磯駅まで交流で運転されています

その黒磯駅は電化後、直流専用と交流専用双方の機関車の乗り入れ・車両交換ができるよう、1959年(昭和34年)から2017年(平成29年)まで構内に地上切り替え方式の交直接続設備を設けていました 架線は3番線(直流専用)と一部の側線を除き、直流・交流の両方に切替られるように交流区間で使用されている碍子形同相セクションにより区分(セクション)され、交直切換断路器を用い、黒磯変電所からの交流・直流の電源を地上からの指令で駅構内の区分された架線(セクション)に切替えて流すことが可能であったそうです このため、構内の信号機には直流または交流が加圧されていることを表示する架線電源識別標識が取り付けられていました

機関車交換が必要となる貨物列車は2012年(平成24年)にED75形交流電気機関車の定期運用が終了し、2016年(平成28年)3月26日以降は直流電気機関車の乗り入れも終了したことで、当駅を通過する貨物列車は交直両用のEH500形が直通で牽引する列車のみとなっていました 旅客列車についても、切替直前の2017年(平成29年)10月14日に実施したダイヤ改正で、当駅以北で運行されていた交流専用電車の運行を新白河駅まで(関東地方への交流専用車両の乗り入れは消滅)とし、当駅 - 新白河駅間で運行する車両をE531系交直流電車とキハ110系気動車(2020年3月14日ダイヤ改正で撤退)に置き換えています 理論上は交直流電車(E531系)・気動車の黒磯駅以南(宇都宮線区間)への乗り入れも可能であるが、2021年現在は回送列車の設定(常磐線および久留里線・八高線北半分の車両の郡山総合車両センターへの出し入れなど)があるのみで、営業列車としての直通運転は行われていません

E531系は常磐線での運用中心であるものの、東北本線にも投入された車両は、ワンマン対応を除いては事実上2005年に運用開始されてるとは言え、車内設備についてはあまり変わっていないそうです

新幹線は那須塩原駅に到着 

かつては東那須野駅(ひがしなすのえき)と称し、塩原温泉郷の玄関駅である西那須野駅と、那須高原の玄関駅である黒磯駅という二つの特急停車駅に挟まれた、急行も停まらない小駅であり、東北新幹線の開業に際して新幹線停車駅に出世しました

東北新幹線の建設計画の仮称では新那須駅とされていたが、開業近くになり「塩原」という文字を入れてほしいという動きが出て騒動に発展したそうです 栃木県選出の国会議員のうち渡辺美智雄は「那須・塩原」、森山欽司は「那須」、広瀬秀吉は「那須野」を支持していました 1981年10月知事定例記者会見にて船田譲知事が収拾案として「那須塩原」を発表し11月10日に県の統一案として「那須塩原」を国鉄東京北管理局に提出したが、黒磯市や市議会、観光協会は知事が国鉄に提出した前後にも「那須」とするよう陳情を続けていました 当時の東京北鉄道管理局長であった山之内秀一郎が、1982年1月20日に最終的に「那須」と「塩原」を合わせた那須塩原駅に決めたが、山之内が口頭で最高幹部に辞意を伝えざるを得ないほど後にしこりが残ったというそうです 当初のローマ字表記は「Nasu-Shiobara」でありました

それから四半世紀後の2005年1月1日、黒磯市と西那須野町、塩原町は合併して那須塩原市となったんですが、新市名の選定理由の一つとして、新幹線の駅名となっている名称であることが挙げられているように、この駅名は地名へと反映されることとなりました その後駅名標が更新された際、ローマ字表記は「Nasushiobara」となりました

新幹線開通以降は、黒磯駅・西那須野駅に代わり、皇族が那須御用邸に向かう際の最寄駅として利用されています

次へ行きます

(Wikipediaより引用)