道路のど真ん中を走る地下鉄に乗車(1)  梅田→千里中央→梅田→難波 | ゆのブログ

道路のど真ん中を走る地下鉄に乗車(1)  梅田→千里中央→梅田→難波

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ゆのです 中々新シリーズが出来なったのですが、ようやくと言えますね

 (2023年5月24日撮影)

こちらは梅田駅です Osaka Metro(大阪市高速電気軌道 ) 御堂筋線の名目上の単独駅となっています

ビジネス・商業の一大拠点である梅田地区の駅の一つであります JR大阪駅と阪急大阪梅田駅の間を通る御堂筋の直下に位置しており、ホワイティうめだなどの地下街と堂島付近のJR東西線北新地駅にも地下街だけでも接続しています 戦前の1933年に、日本初の公営地下鉄である大阪市営地下鉄御堂筋線(仮)梅田駅 - 心斎橋駅開業時に設置され、1日当たりの利用者数は御堂筋線梅田駅だけで約34万人を誇り、これは単一路線の地下鉄駅としては世界で最も利用者数が多くなっています

1933年(昭和8年)、曽根崎警察署前付近にて仮駅で開業、1935年(昭和10年)に現在の位置にて本駅が完成した。

開業当初は1両での運行だったが、将来の輸送量増加を見込み、ホームの有効長は189 m、幅は9.1 mの島式ホームが建設された。これは、開業当初の車両の大きさで10両編成(現在の18 m車で換算すると8・9両分に相当する)に対応できる有効長であった[

ゆのブログにても御堂筋線梅田駅はよく取り上げていて、全体はとっていないですが、御堂筋線梅田駅といえば巨大ホームなんですよね

戦後はそのような巨大なホームを以てしても急激な輸送人員の増加に対応できず、ラッシュ時には改札制限が常態化するなど、当駅は終日激しい混雑に見舞われるようになった。そこで、混雑の解消と乗降人員の増加に対応するため、1988年(昭和63年)から改良工事に着手した。太平洋戦争前から2号線(谷町線)用に準備されていた[6]ものの同線建設時の落盤事故などで東梅田駅側へのルート変更に伴い放置されていたトンネルを転用して、幅12 mのなかもず方面行き新ホームが造られることになり、1989年(平成元年)に完成した。従来のなかもず方面の線路を移設の上、その跡のスペースをホームに組み込んで1本の島式ホームにした結果、ホームの幅は9.1mから並列した2本のトンネルを跨ぐ形の24.5 mまで拡幅された。1番線ホームと2番線ホームの間に壁があり、数カ所の短いトンネル状の通路を設けた形なのはこのためである。改良工事は1991年(平成3年)に完成し、コンコースも拡幅された。

千里中央方面行きのホームに立つと旧なかもず方面行きの位置が現在でもわかる構造になっており、千里中央方面行き列車の梅田到着直前に右側の窓を眺めると僅かながら蛍光灯に照らされた旧なかもず方面行きの線路跡を確認することができる。

今回は御堂筋線と北急線の見どころである「道路のど真ん中を走る地下鉄」に乗車してみたいと思います

大阪メトロの到着メロディがある意味の名物ですが、この駅に乗車すると「大阪の地下鉄」のイメージですね

(Wikipediaより引用)