ひろでん(広島電鉄)の安全地帯が殆どない停留所 | ゆのブログ

ひろでん(広島電鉄)の安全地帯が殆どない停留所

 

ゆのです ひろでんにても原則安全地帯が整備されていますが、中には安全地帯が狭かったり、そのものが無かったりします

(2022年6月22日撮影)

ひろでんの中では唯一安全地帯そのものがない停留所として知られています こちらは小網町停留所です

小網町停留場は1912年(大正元年)12月、本線が紙屋町から己斐までの区間を開通させたのと同日に開設されました 太平洋戦争下の1944年(昭和19年)からは休止されたんですが、原爆投下後の路線復旧に合わせて、1945年(昭和20年)8月15日に営業を再開しています

隣の土橋停留場とは200メートルほどと近く、後述の通り停留場の構造が簡素であることから、一時は廃止が検討されたことがあったそうです

宮島方面とすれ違う電車を動画にしてあります

本線はほぼすべての区間で道路上に軌道が敷かれた併用軌道で、当停留場も道路上に乗り場が置かれています ただし当停留場付近は道幅が狭く、軌道の両脇とも1車線分しか幅がないために安全地帯となるホームが設けられず、道路上に白線を引いて乗り場としています このようなホームのない平面停留場は広島電鉄では唯一であります 車内放送でも平面停留場である旨が伝えられ、また注意が呼びかけられているそうです

乗り場は上下2面あり、東西方向に伸びる2本の線路を挟み込むように向かい合わせに配置されています 線路の北側に広島駅方面へ向かう上りの乗り場が、南側に広電西広島駅方面へ向かう下りの乗り場があります 上りの乗り場側には掲示物の適切な掲示場所がないため、下りの乗り場側にある電柱に上下両方面の時刻表や、電停名標、路線図を掲示しているそうです

こちらは天満町停留所です

複数回に渡って、隣接する観音町停留場と西天満町停留場(現存せず)の間で名称が変更されており、現存する天満町停留場は実質4代目に当たるそうです 路線のある道路が狭いためにホーム幅も狭く、屋根や柵がありません

こちらが観音町(かんおんまち)停留所です 複数回に渡って、隣接する天満町停留場と西天満町停留場(現存せず)の間で名称が変更されており、現存する観音町停留場は実質4代目にあたります 複数回に渡って、隣接する天満町停留場と西天満町停留場(現存せず)の間で名称が変更されており、現存する観音町停留場は実質4代目にあたる。

道が狭いために安全地帯の幅自体が狭く、ホームに屋根はない。交差点側の安全地帯は、電車との干渉を避けるために切り欠いてある。また、電車接近表示器は停留場上にはなく、すぐそばの電柱に据え付けられている。

他にも猿猴橋町停留所も同様であります

今回はひろでんにても安全地帯が狭くて無かったりする電停のご紹介でした

(Wikipediaより引用)