平成になってから長野県から岐阜県になった宿場町 馬籠宿 | ゆのブログ

平成になってから長野県から岐阜県になった宿場町 馬籠宿

ゆのです  今回も過去写真のネタからです

(2015年12月4日撮影)

中央自動車道神坂パーキングエリア内の馬篭バスストップで下車し、北恵那交通の馬籠線の中切経由(中津川駅前 - 馬篭)の神坂小中学校前です

こちらが馬籠宿です神坂パーキングエリア(馬籠バスストップ)からここまではおよそ1.5km、徒歩で15 - 20分程度です旧山口村の越県合併前(2005年〈平成17年〉2月12日まで)は、馬籠宿への道の途中で県境を越えていました

 

馬籠宿は、中山道43番目の宿場(→中山道六十九次)で、木曽11宿の一番南の宿場町であります

かつては長野県木曽郡山口村に属したが、2005年(平成17年)2月13日の山口村の越県合併により岐阜県中津川市に編入されました1895年(明治28年)と1915年(大正4年)の火災により、古い町並みは石畳と枡形以外はすべて消失したが、その後復元され現在の姿となりました

石畳の敷かれた坂に沿う宿場で、馬籠峠を越えた長野県側の妻籠宿(木曽郡南木曽町)とともに人気があり、多くの観光客が訪れます石畳の両側にお土産物屋がならび、商いをしていない一般の家でも当時の屋号を表札のほかにかけるなど、史蹟の保全と現在の生活とを共存させていて、ほぼ中間地点に、旧本陣であった藤村記念館(島崎藤村生家跡)があります

天保14年(1843年)の『中山道宿村大概帳』によれば、馬籠宿の宿内家数は69軒、うち本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠18軒で宿内人口は717人でありました

馬籠は(1215年)当時には「美濃州遠山庄馬籠村」といい、源義仲(木曽義仲)の異母妹・菊姫が源頼朝から領地として賜り、兄の義仲を弔うため法明寺という尼寺で暮らしていたと伝わりその跡地が存在します長享元年(1487年)頃になると木曽馬籠や恵那郡馬籠といったりするようになるが、妻籠までが信州木曽谷で、馬籠は美濃に属しました

文章だけですがこちらが馬籠宿における主要な史跡です

  • 高札場
  • 馬籠脇本陣史料館
  • 藤村記念館(島崎藤村生家跡)
  • 島崎藤村のゆかりの品を展示する。
  • 清水屋資料館
  • 枡形
  • 落合宿までの史跡
  • 「是より北 木曽路」の碑
  • 馬籠城
  • 落合の石畳

このように平成になり越県合併により長野県木曽郡から岐阜県中津川市になり、観光地の管理が変わってしまった珍しい例と言えます

今回は馬籠村についてでした

(Wikipediaより引用)

過去ページもご覧頂けたら幸いです