漢のロマン 裸祭りの国府宮に参拝 | ゆのブログ

漢のロマン 裸祭りの国府宮に参拝

ゆのです 新コロ(コロナウイルス)事項にてなかなか出来なかった御朱印をもらいに行きます

(2021年3月7日撮影)名鉄電車で国府宮駅まで行きました

尾張大国霊神社(国府宮)の最寄駅であり当駅は稲沢市の中心市街地に所在しています

岐阜方面のホームを見ると国府宮はだか祭(儺追(なおい)神事)の際には岐阜側の臨時改札も使われてました

この改札口には改札機がないため、manacaは使用できません 通常は車椅子用の出入口として使用されているそうですが、現在はエレベーターも設置しているのでおそらくは今は使っていないのではと思います

駅ウォーキングの時にも国府宮駅に行ったページもあるので併せせてご覧いただけたら幸いです

 

国府宮神社へ行ってみます

着きました 尾張大国霊神社は、愛知県稲沢市国府宮にある神社です 近くに尾張国の国衙(国府)があったことから、一般には国府宮神社や国府宮と呼ばれるそうです

祭神の尾張大国霊神は、尾張人の祖先が当地を開拓する中で、自分達を養う土地の霊力を神と崇めたものとされています 開拓の神ということで、大国主命とする説もあります

神社は尾張国府の創始とともに創建されたもので、尾張国の総社とされました 境内別宮の大御霊神社(大歳神之御子。大年神の御子神の大国御魂神のこと)・宗形神社(田心姫命)とともに国府宮三社と称します 『延喜式』では小社に列します 昭和15年(1940年)に国幣小社に列格し、戦後は別表神社となりました

本社の建築様式は本殿、渡殿、祭文殿、廻廊、拝殿、楼門と並ぶもので「尾張式・尾張造」と称されます また、本殿に接する位置には自然石を5個円形に並べた「磐境(いわくら)」があり、社殿建立以前の原始的な祭祀様式を物語るものとして神聖視されています

国府宮はだか祭(こうのみやはだかまつり)は愛知県稲沢市に鎮座する尾張大国霊神社(国府宮)に伝わる儺追神事(なおいしんじ)の通称であり、神男(しんおとこ)と呼ばれる一人の儺負人(なおいにん)に厄災や穢れを負わせ、それらを土餅(どべい)と呼ばれる餅に移して土に埋めることで厄落としをする神事であります 毎年旧暦の正月13日から翌朝にかけて斎行される県指定の無形民俗文化財となっています

御朱印を書置きで頂きました

志願者の中から選ばれた儺負人は、儺追神事の3日前から儺追殿(なおいでん)に籠って精進潔斎につとめます

旧暦正月13日の午後、主に厄男らで構成された下帯姿の裸男たちが地区毎に集まり、儺追布(なおいぎれ)が結び付けられた儺追笹(なおいざさ)を国府宮拝殿に担ぎ込んで続々とこれを奉納し、やがて境内は儺負人の登場を待つ数千人の裸男たちで埋め尽くされます 午後3時より斎行される儺追神事の祭典が終わった夕刻、全身の体毛を剃り落とした素っ裸の儺負人が大挙した裸男の群の中に飛び込むと、儺負人に触れることで厄から逃れようとする裸男たちによって凄まじい押し合い、へし合い、揉み合いが繰り広げられます 一切の厄難を一身に受けて揉みくちゃにされた儺負人が儺追殿へ引きずり込まれるまでが、この祭りのクライマックスとなります

こちらは国府宮裸祭の書置きの御朱印です

前日の興奮も静まった翌朝午前3時、神職によってあらゆる罪穢を封じ込められた土餅を背負わされ、桃と柳の小枝で作った礫を投げつけられて境内から追放された儺負人は、暗がりに土餅を捨ててそのまま後ろを振り返らずに帰宅、神職は捨てられた土餅を土に埋めることで厄払いを終えます これを夜儺追神事(よなおいしんじ)と呼び、この祭りで最も重要な神事とされています なお、儺負人を追い払う際に投げつけられた礫は灰にされ、翌年の土餅に搗き込まれる。

祭りの関連行事は旧暦の正月2日から同14日まで、約半月をかけて執り行われます

今回は国府宮へ行ったお話でしたが、国府宮へ行った際には裸祭りのことを思い浮かべれば以下かでしょうか?