
さてさて、3回目です。
私なんぞが法律や裁判を語るのはおこがましいとは思いつつ、思うことを書きます。
刑事上の裁判を念頭に書き進めます。
裁判って、真実を明らかにする場所ではないんです。
ここが一番肝心なところなんですが、「真実らしい」と疑いなく思えることが重要なのです。
だって、刑事も民事も、真実を知っているのは当人だけだし、それだって自分に都合のいいように解釈して記憶しているのかもしれないわけです
ましてや裁判員制度で扱われるような重大な刑事事件なんかだと、非常に残念なことですが被害者はお亡くなりになっていたりするので、本当のところは犯人しかわからないわけです。
だから、手続きの適正さを重要視します。
手続きに間違いさえなければ、裁判の制度自体が否定されることはありません。
戦時中の思想統制、ファシズムに対する反省から作られた、私たちの人権を守る上で、この手続きの適正という仕組みは、非常に重要な内容であると、憲法で学びました。
裁判上、特に刑事法上の手続きについて、実に31条から40条までの10条も割かれています。
ただ、前回も書いたように、三審制を取っているとはいえ(訴え提起→控訴→上告の三回チャンスがあるという建前)、裁判が終局的な解決を目的とする以上、裁判所は「よくわかんないから保留」とはいえないわけです。
そうすると、よくわかんない、というときは、限りなく黒に近い灰色であっても「無罪」とするのが建前ですが、同じ国家公務員たる検察庁が99.5%の有罪率を誇っていることからすると、白に近い灰色であっても「有罪」として刑罰の面で調整、なんてことも当然ありうることと思います。
いずれにしても、二者択一になります。
これがとても怖いのです。
(ふう、やっと結論に近づいてきた。)
私たちは、法律のできる行列相談所、もとい、「行列のできる法律相談所」というテレビ番組で、特定の事例についての4人の弁護士の判断が、常に同じわけではないことを知っています。
法律は、必ず誰もが同じ結論を導き出せるほど、精緻で合理的で絶対的なものではないのです。
にも関わらず、裁判所では、国家権力を伴う結論が出ます。
この結論は確定してしまえば絶対です。
これが進んでいくと…
法律ってのは、ひとつの結論しか導き出さない、と思われてしまうのではないかと思うのです。
(さらにさらにつづく)