子宮頸がんの疑いがかかったのが、2013年1月末
確定したのが2月の頭
その頃に書き留めていた日記が出てきた( ゚д゚)
気が向いたらちょこちょこ載せていく。
ちなみに
この頃の私超根暗www
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2013/02/08 夜
この頃の私はいよいよ
街で子供を見かけるたび、目を背けるようになった。
「お腹に赤ちゃんがいます」のキーホルダーをつける事も、一生ないんだ。
若いお父さんが、抱っこひもで子供を抱えてよしよししてたりとか
パカにさせてあげる事は出来ないんだと
パカ、ごめん。ごめん。本当にごめん。
こんなに泣いても、涙は全然枯れない。
今日ついに、パカに結果を報告した。
会社から私の最寄り駅までのんびり移動して、駅前の居酒屋で軽く飲んだ。
恐らく、子宮を残すことが難しいということ。
そのほかにも今抱えている不安や、パカに本当に申し訳ないと思っていることとか
でも精一杯強がって、
「まぁ、私は大丈夫なんだけどね」っていう感じで話した。
でもやっぱり堪える事は出来ず、号泣こそしなかったけど
ぽろぽろと涙は止まらなかった。
パカは、ひとつひとつ聞いてくれた。
どんな事を今後やる可能性があるのか、私は淡々と説明した。
結局感情が高ぶって、ごめん。ごめん。と言いながら
泣いた事は覚えてるんだけど、その他の事は、お酒もそこそこ飲んでたし
あんまり思い出せないw
でも、パカが言ってくれた事はちゃんとおぼえている。
『絶対に、見捨てない。絶対に、支える。
「俺の夢を叶えてあげられない」と言うけど、俺はね
ほら、よく居るじゃん。すごいお年寄りのご夫婦が
仲良く手を繋いで歩いてるじゃん。
ああいうの見て、いいなぁ。俺もああなりたいな。どうやったらなれんのかな。
って思う。
ああいう夫婦には、子供産まなきゃなれないんかな。
そんな事ないでしょ?
俺の夢はああやって、いつまでも仲良く素敵な老後を送る事なんだ。』
そんなこと言ってくれちゃったもんで、また私は懲りもせずに泣いてしまったw
気付いたら日付も変わりそうだったから、お店を出て
うちまで手をつないで、歩いて帰った。
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