母が逝ってから1年 たちました
明日が母の命日ですが
先日 前倒しで 母の1周忌の法要を済ませました
お寺さんの庭~墓地~紫陽花の花が たくさん咲いていました
実は 下書きのままになっている母のことの記事があります
27日から告別式おわりまでの1週間
時系列で 書いてある 当時のこと
そんな記事を書いてあったことも忘れていたんですけど
先日 ひょんなことから 見つけて
ああ そうだった 書いてたんだ・・・と
あらためて読み返してみて
当時の想いをつづった文章から 記憶の旅にトンでいきました
母の命日は 明日6月28日ですが
私の中では 今日6月27日の方が思うことが多い
1年前の今日 6月27日 夕方4時半
いつものように 夕方のお茶TIMEをしに実家に行ったら
庭先に母が倒れていたのでした
1年前のことなのに
妙にリアルに その時のことは覚えているんですよね
1年経った今日も仕事終わりに実家に行って
時間も同じ夕方4時半過ぎ
ああ こうやって階段あがっていったら 門扉の隙間から 見えたんだったって
残像が フラッシュバックしてきました
算命学で みていただいた時
ざっというと
母の位置が欠けている~母との縁が薄い 私の命式
だから母との関係は そんなに気にしなくていい と言われた記憶があります
でも びっくりするくらい 勝手にあっさり逝ってしまった母のこと
逆に1年経った今でも 私の中に 意外に ずっしり残っていたりします
朝&中抜け戻りのお昼過ぎに(お猫様の見廻りで)実家に立ち寄った時は咲いていなかったのに
夕方行ったら サボテンの花が咲いていました
ああ 去年も同じ頃 サボテンの花咲いていたなぁ と
1年たって
同じ季節が巡ってきて
ささいなことで スイッチはいってしまって
最近ちょっとおセンチです
法要の時に 和尚様が 1周忌=小祥忌というお話をされました
(以下 抜粋)
故人が亡くなられてから1年後に行われる法要が一周忌法要です。
満1年の法要であり、寺院側では小祥忌(しょうしょうき)と呼んでいます。
「祥」は「めでたい」を意味する言葉ですが、なぜ亡くなられたのに「祥」といった言葉が用いられるのか不思議に思われるかもしれません。
これは、故人が仏さまになられてから1年が経過し、安らかな心となって残された者を見守る存在となられたことを尊んでいるためです。
つまり、「仏さまとしての1歳の誕生日」といった受け止め方を寺院側ではしているため、「祥」の字が用いられているというわけです。
来年は母の三回忌と 父の七回忌の年になります
1周忌の法要のあと
氏神様にお参りに行ってきました
夏越の大祓 の輪くぐりが設置されていました
この輪くぐりも スイッチの1つ です 💦
あ・・・お猫様ですが
おかげさまで あの衝撃のうん〇以来 来ている様子は無さそうです