施術のできる土曜日・・・。いつもは、錬成会等で飛び回っているお陰で、なかなか週末に開院できる日が少ない。で、患者さんのほうでもそういう「習慣(?)」がついてしまって、折角開けても週末の「来院」は・・・極度に少ない。
大阪から「噂」を聞いて、ご主人に連れて来てもらった「奥さんの両膝の初施術」が終わって、
「そろそろ施術室を片づけようか。」と考えていた時に院の電話が鳴る。
元気そうな初老の男性の声。
「ホームページを見たら、今日は院があいているとあったんで電話しました。」
その続きの内容が、「衝撃」だった。
「いつも行くP先生のところにさっき電話したら閉院してしまってて。P先生のホームページに載っていたそちらを思い出して連絡したんです。今からすぐに診てもらいたいんですが大丈夫ですか?」
もう後半はあんまり聞いていない。「Pさん・・・やめてしまったんだ。」
元々は腰痛の患者さんとして来院されたPさんだった。
錬成会を始める前だったから、もう5,6年前の話だと思うが。
Pさん、通うとなると徹底的にな姿勢で施術を受けられた。
途中で、「実は私もこの療法を習おうと思っているんです。」
と打ち明けられた。
いつもの事だが、自分の経験から
「整体業はたやすく成功する仕事ではない」事。
「資格もなくて誰でも入れる間口が広い業界ほど、生きていけるスペースは狭い」事。
を切々と話して慰留する。
「確率的には10分の1だと思ってくださいね。」
※それは「一般的な数字」で、私の周りのこの10年の確率は・・・もしかしたらそれ以下かも知れない。
来院の度にその「問答」を繰り返して、
「どうしてもやりたいのなら、もちろん止めはしませんが、もう少しだけ腰が良くなってからにしましょう。今回の研修会ではなくてもう一回後の半年後の研修会まで考えてみましょうよ。
でないと、その腰では基本療法もできないですよ。」
で、直近の研修会スタートの日の会場。
「もう、申込んでしまいました。」
少しはにかんだ表情のPさんがそこにいた。
本心はすごくショックだった。が・・・。
「申込んだんなら仕方ないですね。徹底的に教えて、立派な施術家になってもらいますよ。」
自分の気分を振り切って、その時出来る最高の笑顔でそう言ったように覚えている。
案の定、座る事さえキツイPさん。
足首まわしはもとより、踵牽引捻転であれ、腰のローリングさえも、姿勢を作るだけで「ひと苦労」である。座布団を始めとする色々な「小物」を使ってなんとか施術をしている感じ。
6ヶ月間、ホントに努力しながら苦労しながら無事に「研修終了」。
続く認定試験、合格。
でも、今から思えば一番「夢に満ちた」6か月だったのだろう。まぁ、誰もがそうなのだが。
いつもの事だが、本当の「絶望」はその後に控えているのだ。
開院祝いにPさんの院まで出向き「一番最初の患者さん」として施術をしてもらった。
新しく模様替えをした自宅の施術室で、お茶を頂きたくさんの「夢」を聞かせてもらった。
<中略>
Pさんの独特の「整体院の経営感」「集客感」「施術観」が確かに難しいと言えば難しかったのは否めないが・・・開院後は直後から
「患者さんが来ません。」
という「悩み」を事あるごとに聞いた。折を見ては度々来院もしてもらって、相談も受けた。
「悩み」はその内「絶望」となり、「恨み」になり、整体業や自分を受け入れない世間に対する「諦め」となった。
あの頃の「明るさ」は消えて、閉鎖的・隠遁的・厭世的な想いに傾いていった。
会うたびに恐ろしい「終末予言」を話すようになり、その内そういう話しを聞くのが辛くなって、私自身、関心をそらしてしまった。
でも・・・確かに
私にも覚えがある。
「私なんかいなくても、誰も困りはしない。」そういう想いから
「整体なんてなくても、世の中は廻る。整形・整骨・鍼灸があれば十分だ。所詮は『スキマ商売』だ。」
「整体業なんて『言葉だけ』の虚業だ。食ってはいけない。」
錬成会でよく話す、「石の皮を爪で剥く」日々にハマっていた頃、
自分の「小ささ」に気づけない人間が「世をさか恨み」する最悪のパターン・・・
つまり、「井の中の蛙の逆恨み」のどうしようもなく情けない「私」であった。
「錬成会は施術力を上げる為のものではないです。腕があがるのは当然です。施術家として営業して生活していくための錬成会ですよ。」
「錬成会にかかる費用が、後ほど5倍・10倍になる!!!と、確信できる人が受けてくださいね。そうでないなら、受ける必要もないですからね。」
こういう気持ちは「本心」である。
施術家として生きる術に直結していないなら、錬成会など意味がない。
今回のようなこういう「現実」に触れるたびに、怒りに近い苛立ちからそう思えて仕方がない。
「私の人生、或いは生活」を「誰か」が支えてくれる事がないのと同じように私も「誰か」の「人生、或いは生活」を支える事なんか、絶対にできない。それが分かっていながら、でも、この落胆と後悔と・・・この言いようのない強い罪悪感はなんなんだろう。
<中略>
「30分以内には行きます!」と言っていた新患さん。
時間通りに来院される。初回という事もあって車のところまで迎えに出るが、ドアから出てくるのさえ難儀している様子。
(ぎっくり腰かぁ???)
両手で腰をかばってふらつきながら、自動車の側面を頼りになんとか玄関の階段まで来て、そこの手すりに倒れかかるように寄りかかる。
傍についてはいるが、迂闊にサポートするほうが怖い感じで、横について施術室までなんとか入ってもらう。
問診。
「ぎっくり腰ですか?」の質問には答えずに、
「今旅行からの帰りなんです。で、家に寄らずにそのままこちらに来たんですわ。」
「時々、こんなふうに腰が痛むんですよ。で、以前もP先生に診てもらったんですが、一発で驚くほどようなりました。行きしなは杖をついてなんとか行ったんですが、帰りにはもう杖なんかつかんでもしっかり歩いて帰る事が出来ましたからね。」
「それで今回もP先生にお願いしよと思って連絡したら、もう閉院してました。以前、P先生のホームページでこちらも見せてもらってたから、こちらに連絡したんです。」
なるほど・・・さすがPさん。この症状を「一発で」と患者さんに言わせるぐらいに・・・(喜)。自分のこれからの施術は置いておいて、患者さんから聞くPさんの「武勇伝」に沈みがちな気持ちを奮い立たせる。
座るのも大変そうな患者さん。到底、マットには寝かせられない。
立位で診るか、座位で診るか、少し迷って・・・きつそうだったが座位での施術を選択。
座位ではいかにも痛みで緊張した姿勢で、脱力出来ずにつらそうに座っている。
臓器アプローチ・定触法でまずは臓器関係から、痛みの為に全身に出ている過度の緊張を解放する。この「緊張」をまず取らないと施術が始まらない。
数分すると座位の姿勢から「緊張」が消えていくのが分かった。続いて座位から立位までの運動を確保。
そこから歩行。
座位での背面からの起立筋と脊柱への浮触。
「この痛み、ストレスもあるような気がします。旅先で待ち合わせになかなか家族が来んもんで、イライラしながら足湯につかって待ってたんです。
随分してから家族の車が入って来て、喜んで声をかけようと振り向いた途端にこのザマですわ。」
自嘲気味に話される。
足湯につかりながらの「ぎっくり腰」???普通は足湯なら筋骨格系は整うはずなのに・・・、
(外気から季節を受けたんだな。)、なんて不運な。
で、本人が話されるシュチエーションから「感情」を特定し、肝臓・心臓を使って臓器アプローチでのストレス消去。足湯時の環境からの「冷え」を特定し、腎臓・膀胱から臓器アプローチ。
ここで動診してもらうと・・・患者さん。
「これが不思議なんだよなぁ~~。」
立って座って、立って歩いてを繰り返して
「何もないみたいに動いてますよね。」とこちらに向かって他人事のように尋ねてくる。
「もう、全然大丈夫みたいですわ(笑)。」とまたまた他人事のように・・・。
前屈の動作にはまだ少し「不満」が残ったが、本人がそう言っているので初回はここまで。
ご本人は
「自分は科学的な人間で、元々こういう事は信じないタイプなんですが、いつも行くふたつの整骨院に行っても、こうなると治るまで3カ月かかるんですわ。
でも、P先生のところでは5日間通ったら、すっかり良くなってしまいました。」
その時のPさんの施術がこの方にとっていかに「衝撃的」だったかが分かる。
Pさん、間違いなくすこぶる「腕」のいい先生だったのだ。
その上で
「腕」だけでは「食えない」現実がある・・・いつも私が口を酸っぱくして錬成会で話す「憎まれ口」のひとつである。
「腕のない施術者は食えない、かもしれない。でも、腕だけを求める施術者はそれ以上に食っていくのが難しい。」ややこしいジレンマであるが・・・。
で、技術において飛び抜けるのなら、話は「別」だ。
が、もちろんそれ相応の「リスク」を伴う。その方向での熱狂が時として施術者自身に「自分を見誤らせる」。
施術者として、整体業としての「選択」そのものを誤らせる。
Pさんの場合も・・・。だとするなら
悲しい話である。
「治る」事の真理は深遠である。
すぐ手にできる小手先の「現象」「答え」に満足することなく、「命の営み」に直結するような「真理」、・・・それがカケラであったとしても・・・そこに向かう為の正しい「認識法」、正しい「方法論」、正しい「努力」を誤らない事が大切だと痛感している。
でなければ、所詮「井の中の蛙」の「井戸の大きさの問題で悩むカエル」に過ぎない。いつも自分を「戒める」為の視線である。
雑感
「整体業」はうまく動き出せばとても「やりがい」のあるいい職業だ!と、最近はそう思っている。ただ、「成功の確率」が他の業界に比べても異常に低い事はブログの本文通りである。確かに、開業を通しての「一時期」は月に150~200人の来院もあるだろう。しかし、そういう「院」が3年を待たずに潰れたりする現実もある。5年10年通して経営を維持し、家族の生活を支え続けていく事が難しいのである(で、ここにも簡単な「秘訣」はあるのだが)。
特に見ていると40代男性が未婚者でスタートする場合は、まず苦戦する。顧客が「女性」が多いと言う事も影響するのだろうが、この条件に合う人はそれなりの「覚悟」と「発想」が必要である。
とはいうものも、開業してしまっている人たちには是が非でも「成功」してもらいたいと思っている。何をやるにしても「楽に成功する!」ものなど、多分何一つないはずである。それが分かるなら、ショートカットの道筋ではなく、あえて「茨の道の廻り道をゆっくり歩く」選択をする胆力を期待する。
あぁ~あぁ~~・・・また感情に押されて余計な事を言ってしまった!!!
「言いだしっぺ」の私は、責任上まだまだ当分「その酷い道」をゆっくり歩く事にする。尻を割らないように注意しながら・・・。