クリスマスイブに希望塾の講演会が兵庫県西宮市でありました。クリスマスツリー

1年以上関西、関東で講演を続けてきましたが、毎回違う場所での講演なのですが、初めて2回目の場所での講演となりました。関西では、今では老師の講演を聞くのは2回目、3回目という方も増えてきて、嬉しい限りです。


さて、今回はたまたまクリスマスの講演となりましたが、老師の話は、「実は私はクリスチャンです。」というところから始まり、皆さんを驚かせていました。老師はイスラエルでの洗礼の話やマザーテレサに謁見された時の話をされましたが、お釈迦様もイエス様も最期は苦しんで亡くなっていった話をされ、会場の皆さんもかなり真剣に聴き入っていました。 


お釈迦様は、旅の最後に立ち寄った故郷に近い場所で、チェンダの好意から差し出したいわゆる豚汁にあたり食中毒になり、3ヶ月苦しんだ末に亡くなりました。病気になると回りの弟子達はチェンダを責めましたが、お釈迦様はそれを諌めます。チェンダを責めてはならない、彼の優しい心を認めてあげなさいとおっしゃいました。そして、北枕で静かに涅槃に入ります。


また、イエスキリストは処刑されることになった時、自分ではりつけになる十字架を背負って丘に向かい、それから十字架に手や足に釘を打たれて何時間も苦しみながら亡くなっていきました。

神様は奇跡を起こしてイエスを助けることができたはず、それを何故助けなかったのか、それは人間に自らの過ちを知ってもらうためだったと言います。イエス様はそんな状態でいながらも、自分を処刑しようとしている人々の為に、神よこの人達を許したまえ、と祈りました。



このお話は私は何度も聞いているのですが、この偉人お二人の話を聞いていて、ここまで人を憎んだり恨んだりすることなく最後まで人の為に生き、自身のお悟りになったことを貫いていったことを想い、胸が熱くなってしまいました。 

私もここまで壮絶なことはないにしろ、人を許すこと、神を信じることについて深く考える機会になりました。

私達は生かされているわけで、広い宇宙の中では本当に小さな存在です。たまたま人間に生まれただけであり、木や草や花や虫に生まれたものも同じ命なのだと思います。でも人間は、愛し合うこともするけれど、憎しみあい、自分の欲の為に他の人間を騙したり、悪さをしたりします。そしてそれが戦争に発展したりします。

人間みんなが、自分が人の為になりたいと、そしてみんな同じ生き物であると認識を変えることができたなら、世界中が平和で幸せになるのだろうと思うのですが、難しいことなのでしょう。

私も、世のため人のためになれることを一つでもしてみたいと、本当に思うのです。