原因不明の熱⑨ | 他人のような夫

他人のような夫

人それぞれ...
色々あります


川崎病で入院したのは20日間。

その間、個室に15日、6人部屋に5日。


たった5日とはいえ、大人が使う大部屋の中でも狭いほうだと思われるスペースに、寝返り出来ないくらいの小さい簡易ベッドが置かれ、ベッドサイドにゴミ箱を置いたら、簡易イスすら置けない狭さ。


イスを使う時は、仕切りカーテンを開けて通路にはみ出して座わる事になる為、うちは、出入口に1番近いベッドという事もあり、他の人達の出入りの邪魔になるのでイスは使えず。


24時間付き添いで、この環境汗



私は食事する際は、子供のベッドに座るか、立ったまま食べていたし、本当に狭い為、面会やお見舞いはお断りしていました。




夫はといえば、大部屋に移っても相変わらず面会時間外の朝6時台にきて、


「これ」と言ってジュースと水を渡しにくるだけ。


どんな体調かは聞いてこない。


そして、お決まりの

「退院日がわかったら連絡して」と言って去る汗


"おはよう"の一言もない。


入院している間、夫は仕事の休みの日でさえ変わらずでした。




なので、私が風呂に入る為には、誰かに代わりに付き添いをしてもらう必要があるため毎日とはいかず。

でも、母がほぼ毎日、来てくれてたので家に帰って入浴できました。


でも、母は仕事帰りに来るので外出できても夕方の3時間が限度。


入浴の他、銀行に行ったりはできたけれど、私自身の習い事は全てキャンセルショボーン


子供が入院する少し前から通っていた期間限定の骨盤矯正のチケットは残り8回分使う事なく終わり、スポーツジムは、入院中&退院後は時間取れず(退院後2ヶ月経ってから再開)、仕事もお休みしていました。



この入院中、掃除と洗濯は帰宅した際に私がしていたし、食事は母が作ってくれていたから、夫は、朝、病院に数分来るだけの変化。


で、大部屋に移ってから、夫の言葉に一言プラスされたのが、


「入院費いくら?いくらかいつわかる?」ですあせる



「入院費は、退院が決まったあと」と何回言っても聞いてきていました。



そして、退院日、入院費を払ったのは、、、









母。