注目した方に寄っていく話 | あにろぐ〜漫画家・兄崎ゆなのなんやかんや〜

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 漫画家・兄崎ゆなの、あれやこれやと、ぽめたろう♡(犬)

兄崎ゆなです。

 

今日は午前中に思い切ってたくさん歩いてみたら、午後のお散歩は軽めですみました。

 

昼間太陽が出ている時に散歩すると暑くなるね!

朝はマイナス2度とかなのに!

冬なのに、上着脱いで「アチーアチー」言いながら帰ってきたよ。ヒロミゴーかよ。(それはアーチーチーアーチー)

アイス食べたよ。

 

 

 

さて

 

 

とある仮説を考えてみたことがあって

それは

「我が身の不幸をネタにしすぎると

不幸を呼び寄せるのではないか」

あるいは

不幸、というほどではないことも

無意識に不幸を見つけ出し、カウントしてしまう傾向にあるのではないか。

 

 

ブログやSNSで

あるいは近しい人に

「ぎゃー!こんなことあったー」

「またこんな目にあったよー」

ネタにしつつ報告していた時期があり

(まあ、今もそうだけど)

ある時ふと気づいたのです。

 

「あ、これ

『ぎゃー、また〇〇があったよー』

というキャラを、無意識に演じてるな」

と。

 

 

で、

いちいち騒いでネタにするのをやめたら

ネタになるような不幸は減りました。(無くなってはいない)

 

 

 

具体的にいうと

「私は運転が下手なんだよー」

というのを、いちいち報告するようにSNSに書いていたり

親や友人に言っていたら

乗るたびに「おや?」「あれ?」っていうミスをすることに気がついて。

 

ライトがいつのまにかハイビームになってたりとか

(触っていないのにハイビームのスイッチ入ってる、ってことがある。

おそらくドリンクホルダーに飲み物を差し込む時とかに触ってるのだろう)

停止線越えすぎて止まって、後続車がいなかったからちょっとバックで戻ったり

(停止線が消えかけててよく見えなかったりするのよ)

狭い駐車場で壁に擦ったり

などなど

 

いちいち報告するのをやめたら

頻度は減りました。

 

 

 

人は注目しているものに引きずられる

ということがあると思っていて

 

たとえば

「犬かわいい!」と思って歩いていると、犬のお散歩を見つけやすくなります。

犬に興味ない人は、犬のお散歩とすれ違っても

見ていなかったり記憶に残っていなかったりする。

みたいな感じで

 

「私は不幸なことがよく起きる」

と思っていると

ちょっとした不運を「やっぱり!」と見つけやすくなり

 

「私は普通〜」あるいは「私ってちょっと幸せじゃない?」と思ってると

ちょっとの不幸は目に入っていなかったり

忘れちゃったりする。

 

 

これの元ネタというか

人間は意識してるものを見るのだ、というのの出展を忘れちゃった。

軽く調べたら、選択的注意(カクテルパーティ効果)ってやつがそうかな?

 

 

 

だから

 

不幸をネタにしすぎると

不幸ばかりが目に入って

不幸に寄っていく

 

ならば

 

面白いことをネタにし

面白いことばかりを考えて

面白いもので埋め尽くせ!

 

 

ということに、したんですよね。

数年前から。

 

 

とはいえ、やはり

運転は下手なので、慌てちゃうようなところ(混んでるところとか)は

行かないようにしてるけど……

 

 





 

ぽめたろう(かわいい)ばかり見て

ぽめたろう(かわいい)のことばかり話したら

ぽめたろう(かわいい)ばかりの日常になるよ!

 

 

あー

かわいい