過去も未来もない母 | ラスベガス的リタイアの法則

ラスベガス的リタイアの法則

在米30年をハワイと南カリフォルニアで過ごしたのちに、ラスベガスで始めた引退生活。ところが主人が悪性脳腫瘍に。ラスベガス大好き♡なヨメが、愛する主人のために古巣カマリオへ。
主人が天国に行き、ラスベガスに戻って来ました。時に泣きながら、一生懸命生きてます。

【転載、複製、自主発言を禁止します】

Hi everyone!

お元気ですか?

今日、このツイートを見て、ハタと思い当たったことが。

「ウソかそれとも」

 

 

左の動画は前任者がラリーで、


「(被災地の州知事は)大統領に連絡しようとしてるけど、繋がれへんねん」


右はジョージア州知事ケンプの記者会見。


「昨日の午後、大統領から電話をもらったけど取られへんかって、すぐに折り返しかけたら、『何が必要?』と。『すべて揃ってますが、連邦(支援)手続きをしてるとこです』と言うと、『必要なモノがあれば直接電話をくれ』と。感謝してます」


爆笑爆笑爆笑爆笑爆笑


ようそんだけデタラメを思いつくな、と思った後で、ふと前任者はもしかしたら母のように擬似記憶の中で生きてるんかも、と思い当たった。


言葉がもつれて出て来ないからセンテンスが尻すぼみになったり、わけのわからん前後の繋がりのない話をしたり、話題があちこちに飛び散ったり。


認知症の気があるんちゃうかとかねがね疑ってるねんけど、それで母と重ねると、ふと前任者も自分で作った記憶の中で生きてるから、本人は意図的に嘘ついてるんわけではないんかも、とどっちがコワイの世界に。爆笑爆笑


さて母ですが…。


「今どこ?」電話は8月で終わった。


9月1日にも夜中に3回かかってたのですが、朝10時前にも電話が。



ちょうどお休みだったので出ると、応答なし。

「もしもし。もしもーし」

と何度言うても返事せえへんから、またかけるつもりなくてかけてしもたんか、と思ってたら…。

そのうちなんとビデオ通話に!爆笑

母の顔が映って、私はひとりで「おお〜」。爆笑爆笑

ところが。
私もビデオ通話にしようとした途端に切れた。笑い泣き

スマホを触ってるうちにアクシデントでビデオ通話になり、そもそも電話するつもりちゃうから触り続けているうちに切れたんやと思う。

そう考えると、夜中の電話もスマホを触ってるうちのアクシデントでかけた可能性大。

ほんで次にかかってて来た時は、「今どこ?」は影も形もなかった。

でも実はめちゃくちゃショッキングな電話で…。

開口一番に、

「パパが死んだって言うねん」

ガーンガーンガーンガーンガーン

ちょっと言葉が出ずにいると、

「今朝、早よ良うなろな、元気になったら◯◯のお寺さんに行こな、って話したとこやのに」

ガーンガーンガーンガーンガーン

心が音を立てて崩れた。

「そやからお葬式出さなアカンて言うねん」

ガーンガーンガーンガーンガーン

「誰が言うてんの?」

「◯◯ちゃん(私の従姉妹)」

「そんなん言うてないで。パパは主人より先に死んでんで。6年も前に死んで、お葬式も終わったよ。1周忌には私も帰って法事もしたやん」

「そうやんな。ほんならお葬式はせえへんで」

「もうやったから大丈夫」

「ほんなら私もその方がエエわ」

さすがにしばらく落ち込んだ。
ブログに書くことすらでけへんかった。

今の母は、過去も未来もなくて、その瞬間を擬似記憶の中で生きてる。
だから「今どこ?」電話になったりする。

そのことをブログに書いた時は、「飛行機代がないわけでもなく12時間で帰れるのに、なんで会いに行けへん」とお叱りのコメントをいただいた。

誰も自分の経験という物差しの上でとらえるから、そう思われたのも無理はないけれど…。

私にはもう実家がないので、日本に帰るとホテル泊。飛行機代だけじゃ帰れない。
お世話になっている人ばかりだから、誰とどこに行っても何を食べても全額私が負担するので、かなりお金を使う。

でもそれ以上に、ロサンゼルスー東京の飛行時間は12時間だけど、ラスベガスの我が家から母のいる四国まで、乗り継ぎ2回でゆうに24時間かかる。

去年は羽田の入管に2時間かかり、乗り継ぎ便に乗り遅れやために27時間かかった。

時差が激しいから、帰って来たらせめて翌日は休まないとムリ。するとわずか5泊でも休みが9日いる。
この歳になると、魂が抜けるくらいのキビシさ。滝汗

ほんでも一応ファミリーリーブのお休みを申請してたんですが…。

同じく認知症のお母さんを持つ同僚から、アメリカ人のドクターに書いてもらった申請書でも「説明が足らん」と、人事に3回突き返されたと聞いて諦めた。

ドクターに書いてもらうのは従姉妹に頼むことになるから、やっぱり私が日本におる時にせなムリやな、と。何回も従姉妹の手を煩わせるのは申し訳ない。

あと、やはり母は認知症であるということが大きい。

親子やから会いたいのは当然やけど、母は私に会いたい一心で「今どこ?」電話をしていたのではなくて、ホンマに今日私が帰って来ると思い込んで、何時に来るのか知りたくてかけてただけ。

ほら、過去も未来もなくて、今のその瞬間を擬似記憶の中で生きてるから。

なんでそう言い切れるかというと…。

実際に5月に帰った時も、母は私が帰って来るのを心待ちにしてたわけとちゃうから。

その前からずっと電話で何度も、

「京都に3泊するから、荷物作っときや」

「わかった!3泊やな」

「他のはなんでも京都で買えるけど、薬は忘れたらアカンで」

「ヨッシャ!」

と景気のエエ返事してたんですが…。

きっと覚えてないやろし、荷造りもようせんやろうから、できたら前日にでも施設の人にお願いしてヘルプしてもらわれへんかと従姉妹に頼んだら、



可哀想に、覚えてないから会えるのを楽しみに待つこともでけへん。ぐすん

この時も従姉妹の予想通りメモのことも忘れて。

ラスベガスを出る前日に、母とまた京都の話をした15分後にも電話があり、

「なんかな、11日の12時にアンタが来るて書いた紙が出てきてんけど」

爆笑爆笑爆笑爆笑爆笑

忘れるとかいうレベルじゃなくて、まったく覚えられない。

先日は毎日のように通う近所のスーパーからの帰り道で転んで足を擦りむいた。
施設から連絡をもらった従姉妹が、翌日様子を見に行ってくれたんですが…。

早くも転んだことすら覚えてなかったらしい。滝汗

で。
掃除や洗濯はもとよりお風呂に入るとか身の回りのことができなくなってきているために、別の施設を探してた件も…。

結果的に受け入れ先がなかった。

母は毎日出掛けたい人で、近所のスーパーかマクドナルドに通っているのだけど、コレがネックになってどこも受け入れてくれへん。

それで施設の人のサジェスチョンで、デイサービスとヘルパーさんに来てもらうことに。ヘルパーさんはデイサービスと同じところの人で、デイサービスの日に来て、送りだししてくれる。

1回めのデイサービスは、途中で帰りたいと言うたらしい。思わず子供たちのプリスクール初日を思い出した。笑い泣き

それらの費用は母に内緒の口座から払ってもらっているので、内緒口座を作っていてよかったとしみじみ。

ほんで。
従姉妹がよくしてくれるのが何より有難い。
施設の人もエエ人ばかりで、感謝の気持ちでいっぱい。

大阪と比べたら私が会いに行くのは遠くなったけど、母の故郷の四国に帰っていたのは正解やったと思う。

母が毎日機嫌良く過ごしてくれたら、それ以上望むものはない。

「あなたが出会う人は、誰もがあなたはまるで知らない何かと闘っている。人に優しく。いつの時も」


今日のランチ。


次男がお腹を壊したと言ってたので、またいつもの雑炊。冷凍してたお手製のニンニクと生姜入りのチキンストックで作ったら、とびきり美味しかった!


毎日でも食べたい!笑い泣き


#InThisTogether

#AloneTogether

#Dementia


ひとりでもひとりぼっちじゃないから。

皆んなでお互いを思いやり、助け合い、励まし合ったら乗り切れるから。


今日も無事に過ごせたことに感謝して、明日も一緒に頑張りましょうね。


食いしん坊親子の旅NYCスイーツ編

【記事の一部を引用する時は、「ラスベガス的リタイアの法則:(タイトル)から引用」と記して、リンクを貼っていただけますようお願いします。なおリブログはご自由に】


では、お元気で。

Have a nice day!

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