最期は病院で | ラスベガス的リタイアの法則

ラスベガス的リタイアの法則

在米30年をハワイと南カリフォルニアで過ごしたのちに、ラスベガスで始めた引退生活。ところが主人が悪性脳腫瘍に。ラスベガス大好き♡なヨメが、愛する主人のために古巣カマリオへ。
主人が天国に行き、ラスベガスに戻って来ました。時に泣きながら、一生懸命生きてます。

Hi everyone!

お元気ですか?

病院は治療するところで、ホスピスは末期患者のために、治療はしないけれど緩和ケアをするところ、というのが私の認識でした。

主人はとにかく私が側にいないとダメなヒトだったので、在宅ホスピスもあると知った時は胸をなでおろしたものです。

主人の意識のあるうちは在宅ホスピスで、意識がなくなったら施設で、と考えていました。

ホスピスケアに入ると、普通では規制されているオピオイド系鎮痛薬Vicodinももっと処方してもらえる。そしたら主人は頭痛を一切我慢しなくて済む。私はそれだけでも早くホスピス宣言したかったのです。
一般の規制枠内の量では足りなくなっており、次に処方してもらえるまで10日以上のブランクが出る計算だったから。

ドクターに「あと数日から1週間」と言われて、肺炎治療のための抗生物質も中断し、点滴をすべて外した段階で主人は治療の対象から外れ、ホスピス宣言と相成りました。

ところがソーシャルワーカーの説明を受けて、私は唖然としました。

まずホスピスは施設ではなくてサービスであること。だから在宅ケアになること。ドクターやナースが訪問してくれるけれども、ナースも24時間体制で家にいるわけではないこと。

この界隈のホスピスの一覧を渡され、どこにするか決めたら教えてほしいとのこと。

それを聞いた時、私は心の中で、

ちょっと待って!
それはないんちゃう?!

と叫んでいました。

だって、だって。
主人は2mgで始まったモルヒネも土曜日には4mgに増えており、それを3時間毎に投与していました。さらにその合間にアチバンも投与していたのです。

それって24時間ずっとのハナシ。

病院なら夜でも夜勤のナースがいるからできますが、家では私ひとりなのでどう考えてもムリ。

私は在宅ホスピスしかないのは地域性かもしれないと思いググってみました。少々遠くても施設があれば、と藁をも掴む思いでした。でも結局わかったのは、アメリカでいうホスピスとは基本的に施設ではなくてサービスだということでした。

モルヒネもアチバンも、ナースは腕に刺さっている針から投与していたのですが、ホスピス宣言以降は家で私ができるようにと口から飲み込むタイプに。

主人がこれを飲み込めないと帰宅はムリ、ということになるのですが、主人はなんとか飲み込めたんですね。

私も必死だったので、

「でもうちには病院のように角度を変えられるベッドはないんですけど」

と訴えてみました。

入院した初日に、夜寝る時はベッドもフラットにした方が楽だろうと思って操作したら、主人は途端に痛そうに顔をしかめたのです。
その時ナースに、フラットにすると頭が圧迫されて痛みが増す、と教えてもらいました。それで慌てて上半身を少し起こすと、痛みも消えたようで穏やかな表情になったのです。

ところが。

「ホスピスがベッドも提供しますから」

「オシッコのカテーテルは?」

「それもホスピスが提供します」

「でもでもどうやって連れて帰るんですか」

「救急車で搬送します」

私が呆然としていると、ソーシャルワーカーは、

「今日決めなくてもいいですから、よく検討して決まったら知らせてください」

この話をジェニファーにしたら、

「うちの母も同じだったわ。でもミネソタでは看護する人が家に2人いるのが条件だったよ」

そらそうやわ。
そんなんひとりででけへんわ。

フロリダに住む主人の従姉妹ステファニーから電話がありました。ステファニーは10年以上前に12歳の娘を白血病で亡くしたのでした。
なので私の痛みや看護の大変さを誰よりも理解していたのです。

「私、休み取って介護の手伝いに行くわ。2週間くらいいけると思う」

わざわざフロリダから来てくれると言う。私は涙が出ました。でもまさかそれは申し訳ないので、

「なんとか病院に残れるように交渉するから」

と言って電話を切りました。
が、病院に残したかった理由は実は他にもあったのです。介護の大変さよりも、私にとってはもっともっと重要なこと。

率直に言えば、死んでいる主人を私が発見したくなかった。

私が眠っている間に逝ってしまう可能性もあるわけで、例えば朝起きて主人の様子を見た時に、すでに死亡していたら…。
家にひとりぼっちでそんなことになったら、私はきっと立ち直れない。二度とこの家に戻れない。

私は「そのとき」が近づけば、ドクターやナースに教えてもらえるものだと思っていました。映画やドラマのように、「今夜が山です。ご家族を呼んでください」と言ってもらえるものだと。
だから無知な私ひとりで「そのとき」が迫っていることもわからずに過ごしたくなかったのです。

病院はホスピスが決まらない限り退院させることはできません。

それでソーシャルワーカーに事情を説明しました。すると、

「ちょうど週末だからそれを言い訳にして、月曜日に向こうからの『返事を待っている』とか言って引き伸ばしたらいいですよ」

と同情的に対応してくれ、たまたま空きが出たこともあって、日曜日に緩和ケアの病室へ移動してくれたのでした。

緩和ケアの病室に入ったことで、モルヒネも針から注入するタイプに戻ってホッとしました。
というのも、やはり口からよりも、針で直接血管に投与する方が明らかに効果的だったのです。

結果的に、在宅ホスピスをしていたら私の恐れていたことが現実になっていました。

…続く。

では、お元気で。

Have a nice day!

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