「四月一日」という苗字がある。

 

「わたぬき」と読む。

四月一日に着物に詰めた綿を抜き、袷に変えることが

延喜式に記載されている。読み方はここから来ている。

 

延喜式は10世紀はじめに成立した律令国家の細則を

まとめたもの。

袷から単衣とする六月一日の更衣(ころもがえ)や、

単衣から袷にする十月一日の更衣とともに、

四月一日の更衣・綿貫が設定されている。

 

月の満ち欠けで朔は月の始まりの日。

太陰暦であれば一日と朔日は同じ意味になる。

 

「四月朔日」という苗字もあり、こちらも「わたぬき」

と読む。(「つぼみ」,「わたぬぎ」,「さつき」と読む

ケースもあるとのこと)

 

苗字を持つ人の人数でいうと、「四月一日」さんよりも

「四月朔日」さんの方が多いらしい。

1947年に、自治体化を強化するとともに行政の効率を図るため

35区のうち24区を11区に統合し、22区に再編した。

 

このとき統合されてできたのが

 

千代田 ←麹町+神田

中央  ←日本橋+京橋

港   ←芝+麻布+赤坂  ※3区統合

新宿  ←牛込+四谷+淀橋 ※3区統合

文京  ←小石川+本郷

台東  ←下谷+浅草

墨田  ←本所+向島

江東  ←深川+城東

大田  ←大森+蒲田

北   ←王子+滝野川

品川  ←品川+荏原

 

である。

荏原に対して圧倒的な知名度があった品川区を除き、

新たな区名が採用されている。

元の区のどちらもそれぞれ区名の存続を希望する

状況を解決するためでもあったといわれる。

 

こうして1947年5月3日に22区となったが、

1947年8月1日に板橋区から練馬区が分離して23区となった。

 

板橋区はもともと農村地帯で人口の割には広大な面積があった。

戦後、現在の練馬区にも多くの住宅ができ同じ区でまとめるには

不便が生じていた。これが分離の理由とされている。

1932年(昭和7年)に東京市に周辺の群部が編入された。

名称は東京市のままだが、大きくなったことをアピールするために

公的名称とは別に大東京市という言い方もされた。

 

この時に編入されたのが、

 

品川、荏原、目黒、大森、蒲田、

世田谷、渋谷、中野、杉並、豊島、

淀橋、板橋、王子、滝野川、荒川、

足立、葛飾、江戸川、城東、向島

 

の20区。

先の15区とあわせ東京市(通称大東京市)は35区となった。

 

1936年には 北多摩郡砧村・千歳村が世田谷区に編入された。

 

ここまで東京府の中の東京市の35区だったが、

1943年に東京府・東京市を廃止し、

35区(旧東京市)、5市(八王子市、立川市、武蔵野市、三鷹市、

青梅市)、3郡(北多摩郡、南多摩郡、西多摩郡)、島嶼部から

からなる東京都が誕生した。