こんばんはニコ





この前の続きです( )








この後、母から


「わかった」



と返事があり、



良かった、
お父さんに会える!






と思っていましたが、




数日後、状況が変わりました。




帰省する日程のことで母にラインをすると



“状態が悪くなって
昨日からA病院に入院してる”

“もう多分家には帰ってこない”



と言われました。




え…じゃあもう会えないってこと…?





その後、
父以外の家族のグループラインで

父の今の状況と、

地元にいる親戚は
大阪や東京から来た人と
接触したくないということで、

葬儀には母と、
私たちきょうだいだけ呼んでする

ということを言われました。

兄は実家、私と姉は大阪、弟は東京にいる。





その中で
実家をどうするのかとか、
軽く話したのですが

その中で母が、

“もうあの家には住みたくない”

“これまでお父さんに
振り回され続けてた人生を
取り戻したい”


と言っていました。

そう思うのは勝手だけど
今、私らにそれ言うのは違うんじゃないか?




文章を読んでいて

父が亡くなったらせいせいする!


というのが伝わってきました。





私は思春期、父が嫌いでした。



なぜかって言うと、

頑固者のわからず屋だから。




そして、

母が父のことを悪く言っていたから。




それぞれあるとは思うけど、
やっぱり子どもは母が一番で、

「あの人はダメ!」

と言われたら「そうなんだ」と
思い込んでましたが、


今思えば、私が父を嫌いだったのは
母に洗脳されていたからなんじゃないかって。




父だけ置いて
こっそり母ときょうだいで
外食に行ったことも何度もありました。




当然ながら父はそれを見て怒る。



そして、怒るから私はさらに
父が嫌いになる。




そうやってどんどん距離ができて。




ずっと孤独だった父。




何とか会いたい。




A病院のホームページでは

“症状が重篤な方、病状説明等において
担当医の許可がある方に限り
面会が許可されます”

と書いてあったので、
面会は全くできないわけじゃない。




A病院に電話しました。



「私、結婚して県外にいるんですけど、
去年子どもが生まれて、
一度も会わせてあげられてないんです」
一応大阪にいるというのは伏せる。

「PCR検査も受けるので
15分でも、10分でもいいので
面会はできませんか?」



しばらく保留音が続いた後、



「うちには放射線治療のために
入院されていますが、
○日に自宅か、元いた病院に戻られます」



ということでした。




どういうこと?


ずっと母は
ずっとA病院にいる
ような言い方だったのに。




母に確認すると


“その後はB病院に移る”


と言うことだったので、
今度はB病院に電話。




すると


面会完全拒否。




それならばと
A病院からB病院に移る日。




それしかない。





母に

“○日少しでも会えるなら
そこに合わせて帰る”


とLINEするも
既読スルー。





何やねんこいつ。




少しずつ大きくなっていく
母への不信感。





翌日


“後々後悔したくないから
帰るからね”

“○日であってる?”



とLINEしてみると、


数時間で返信が。

いや、返事できるんかい。
できるなら、前日のLINEも返事しろや。、



“無理だよ”

“今東京、大阪からの移動は厳しい”

“後悔も何も、現実を受け止めなきゃ”















なんかすごく中途半端だけど
文章打つの疲れたから
続きまた書きます笑い泣きアセアセ







ゆんみ