イタリアのエエとこ取り?yummy*のベルガモ生活☆TUTTO BENE!? -15ページ目

イタリアのエエとこ取り?yummy*のベルガモ生活☆TUTTO BENE!?

イタリア在住ならではのオモシロ現地情報ほか、欧州各地のいろんな景色、いろんな食べ物、旅の楽しさも伝わるかな?(´艸`)
「クスッ」と笑ったり、「へぇ~!」と思うような話題もときどきあるかも!?

(今回のは長いよ~~~

ルーブル美術館


 
 

かつては、歴代フランス王家とナポレオンの居城だった。
 

380,000点以上の収蔵品があり、そのうちのおよそ35,000点が
展示されている。

この35,000点が一体どういう数字かというと、こんな単純計算をしてみた。

全ての作品を観賞するのに、例えばひとつひとつの作品の前で2分立ち止まるとしよう。
1週間のうち6日間(火曜日休館)×9時間(開館9:00~18:00)、(夜間開館時間と祝日休館日を考慮しないで、)
休憩無しで回っても、毎日通って約5ヶ月かかる。
Σ(=°ω°=;ノ)ノ エッ!?


開館前から既に長蛇の列!さすが入場者数は世界一。
 


地下の売店で、パリ市内と近郊の色んな施設の入場券として使える、ミュージアムパスを購入してから、パス専用の列に並びました。
 ↖パリミュージアムパス
色んな施設を見て回りたい人にはおススメです。私たちはこれ(と、1週間の地下鉄定期券も購入)のおかげで、かなり見て回れました。
ルーブル美術館とか、オルセー美術館、ベルサイユ宮殿など超人気の施設では、ミュージアムパス専用の列に並んでも1~2時間待ちましたが、それ以外の施設ではスムーズに入場できましたし、入場料もかなりお得でした。


さて、入場して最初に向かったのは、
「モナ・リザ」
  
 防弾ガラスに入っています。(話には聞いていたけれど)ちぃさっ!!(笑)
 

モナリザの反対側に向かい合うようにしてあるのが、ヴェロネーゼの
「カナの婚礼」
壁一面を覆うほどの大きさ(990cmx666cm)。ルーブル美術館の中で一番大きな絵だそうです。
「カナ」というのは地名で、そのカナの町で行われた結婚式に出席したイエス・キリストが、水をワインに変えるという奇跡を起こした場面が描かれています。

画面左側に新郎新婦(本来は中央に居るべきですが、イエスがメインに描かれている為)、中央にイエスとマリア、その頭上で数人が子羊の肉を切り分けています(=後のイエスの受難を表します)。右下では、水がめの水がイエスの力によりワインに変わった様子と、披露宴の世話人がワインを味見している様子が描かれています。

これは、イエスが人前で最初の奇跡を見せ、それにより弟子たちはイエスが神の子であると信じるようになった、重要な場面とされています。



とりあえず一番見たかったモナリザを見たので、あとはゆっくり回ることにします。
元来た順路を少し戻って、ズラッと絵画が並んでいる長い部屋を見学。
ここは、自然光を取り入れる構造になっています。


フラ・アンジェリコの「カルヴァリ山(キリストの磔刑)」
カルヴァリの丘は、ゴルゴタの丘、カルワリオの丘とも呼ばれ、いずれも「ドクロ」という意味らしい


余談ですが、フラ・アンジェリコの絵で特に有名なのは、フィレンツェにある「受胎告知」ですネ。
フラ・アンジェリコとは、「修道士アンジェリコ」という意味で、本名はグイド・ディ・ピエトロというそうです。




ラファエロの、「美しき女庭師(聖母子と幼児聖ヨハネ)」
丸みを帯びたタッチのおかげで、雰囲気がとても柔らかく慈愛に満ちた聖母子像となっています。





ダヴィッドの「皇帝ナポレオン1世と皇后ジョゼフィーヌの戴冠式」
 
本来では、バチカンまで出向いて法王から王冠を頂くのが筋ですが、
ナポレオンはバチカンから法王を呼び出し、自分が戴冠した後に妻に王冠を与えています。
ナポレオンの後ろで着席して見ているのが法王です。当時のナポレオンがどれほど勢いがあったか、わかる気がします。




ドラクロワの、「民衆を導く自由の女神」は、現在はルーブルではなく、昨年12月にオープンした、ルーブル美術館の別館「ルーブル・ランス」にて展示。これも楽しみにしていた作品だけに、ガッカリ・・・ガクリ  しばらく呆然・・・。
 



テオドール・ジェリコーの、「メドゥーズ号の筏」
座礁したフランス海軍のメデゥーズ号。少なくとも147人の人々が、即席で作った筏で漂流。そのほとんどが救出までの13日間で死亡し、生き残った十数名も、飢餓、脱水、人肉を食す、狂気にさらされた。事件は国際的スキャンダルとなった。
水平線に救出の船が!しかし、筏に気付かずに行ってしまった様子。
   

こちら↓は、違う場所に展示されてあったのを偶然見つけた、「メドゥーズ号の筏」の習作。
上の完成品↑と人物の配置など似ているとはいえ、やはりところどころ違います。
こちらの方には水平線に救出船がはっきりと描かれています。(丸印のところ。)

  



ドミニク・アングルの、「グラン・オダリスク」(横たわるオダリスク)
後姿なのにとっても官能的。よく見たら、胴が長い気がしますが・・・


これもドミニク・アングルの作品で、「トルコ風呂」(=中東の都市でみられる伝統的な公衆浴場であるハンマームのこと)。



非常に気になった一枚。
作者不明の、
「ガブリエル・デストレとその姉妹ビヤール公爵夫人の肖像画」
左の女性が右の女性の乳首を掴み、右の女性は手に指輪を持っている。どんな意味があるのだろう・・・。
 
(右は国王アンリ4世の愛人ガブリエル・デストレ、左はその姉妹ビヤール公爵夫人。ガブリエルが国王の私生児を身ごもり、正式の結婚を望んでいることを示し、奥の部屋では侍女が生まれてくる赤子の産着を編んでいる、という解釈だけれど、これはただの一説にすぎない。

ちなみに、ガブリエルは王妃の座へという願いかなわず、アンリ4世の4人目(!!?)の子供を身ごもっているときに、26歳で突然死した。毒殺の疑いがあるが、真相は闇の中。
一方、子供のいない正王妃との離婚を認められたアンリ4世は、ガブリエルの死後に他の女性と政略結婚で再婚した。)



実は絵画部門では、今回これが一番のお気に入り。
ジョルジュ・ド・ラ・トゥール作の、「いかさま師」。みんな、悪そうな顔してるでしょーーっ(笑)!
それぞれの目が何を考えているか分からなくて怖い!「よう描けてるわ~」と、一人絵の前で妙に感心して見入ってしまったのでした。

 
右の若い女の子を、左の3人がグルになってハメようとしている場面なんだって!   
最終的には、女の子は身ぐるみ剥されたのだろうか・・・。



フェルメールの、「レースを編む女」、これも超ちぃさっ!!みんな、写真を撮るのに必死(笑)
 

その隣にあった、フェルメールのもう一つの作品、「天文学者」
 



階段の踊り場にただ一点のみの展示、「サモトラケのニケ」 
今月から1年間の予定で、大規模な修復作業が行われているようです。
ものすごい人!
 
エーゲ海のサモトラケ島で発見された時には、バラバラだったそうです。
 
勝利の女神ニケ(ニーケー)が翼を広げています。




ところ変わって、「ハムラビ法典」
。 目には目を、歯には歯を!
しかし本来は、「やられたらやりかえせ」の意味ではなく、「倍返しのような過剰な報復を禁じ、同等の懲罰にとどめて報復合戦の拡大を防ぐ」つまり、犯罪に対する刑罰の限界をあらかじめ定めることが本来の趣旨なのだそう。

 
195条に子がその父を打ったときは、その手を切られる、205条に奴隷が自由民の頬をなぐれば耳を切り取られるといった条項もあり、「目には目を」が成立するのはあくまで対等な身分同士の者だけだったようです。
 
何が書いてあるか皆目検討つきません(当たり前?) 



ギリシャ・ローマ・エトルリアの彫刻の部屋へ。
 

「アフロディーテ」、通称「ミロのヴィーナス」
 


ミケランジェロの作品、「瀕死の奴隷」
 
(なんか、セクシーな像だなぁ、と思って見ていたら、実は死に瀕する奴隷ということが分かり、いやー、無知とはなんともお恥ずかしい・・・(-_-;))
 
もう一体、ミケランジェロの作品、
「反抗する奴隷」。これも見方によってはセクシーに・・・
 

以上2体は、バチカン博物館所蔵の「ラオコーン」(↙コレ)に強く影響を受けた作品だとか。
 



アントニオ・カノーヴァの、「アモール(エロス)とプシュケ」(アモールの接吻で蘇るプシュケ)
これは、ずっといつまでも見ていたい作品でした。私はどうも、こういう柔らかい優しい雰囲気の作品が好きみたいです。


この二人についてはこんな神話が。(興味のある人だけ読んでね~。要約です。)

(プシュケの美しさに嫉妬した愛の女神アフロディーテが、息子のエロス(アモールまたはキュに愛の弓矢を使ってプシュケに卑しい男と恋をさせるよう命じる。しかしエロスは誤って自分をも傷つけプシュケへの愛の虜となってしまう。
この世のものとは思えない素晴らしい宮殿にプシュケは連れてこられた。夫は夜になると寝所に現れるのみで姿を見ることはなかった。宮殿での生活を楽しんでいたプシュケだが、姉達に唆れて、寝ている夫の顔を見てしまう。そこには凛々しい神の姿が!
妻の背信に怒ったエロスはその場を飛び去る。

アフロディーテは激怒し、プシュケを捕らえようとした。恐れたプシュケは身を隠す。

しかし行き場所をなくしたプシュケは、観念してアフロディーテのもとに出頭した。アフロディーテはプシュケに、大量の穀物の選別や、凶暴な金の羊の毛を取ってくるなど、次々と無理難題を押し付けたが、全てクリアしてしまう。

業を煮やしたアフロディーテは、冥府の女王に美をわけてもらってくるよう命ずる。
首尾よく美をわけてもらったプシュケ。箱を開けないよう警告されていたにもかかわらず開けてしまう。中には美ではなく、なんと冥府の眠りが入っていた。

傷の癒えたエロスは昏倒している妻から冥府の眠りを取り去って箱に集め、ゼウスにとりなしを頼む。ゼウスはプシュケに神の酒を飲ませ神々の仲間入りをさせた。プシュケはもう人間でないのだから身分違いの結婚ではないと説明され、アフロディーテもやっと納得した。かくて二人は永遠の愛を手に入れることができた。)



ルイ15世の王冠。ルーブル美術館に宝飾品の展示が少ないのは、フランス革命時にほとんど持っていかれたのだとか。



美術館の中でも、ひときわ豪華な部屋へ入っていきます。ナポレオン3世のアパルトマン(複数の部屋からなる居室)です。

接客用の大広間。
 
調度品がそのまま残されています。 
1980年代まで、大蔵省として実際に使用されていたそうです。

 大食堂。こんな部屋で頂く食事は、一体どれほど豪華だったのでしょうか。
 
 


他にも、私個人が気になった美術作品を挙げたらキリがないのですが、
  
「ラムセス2世の巨像」

 
「ある女性の肖像画」
 

「聖ルイ王(ルイ9世)の洗礼盤」は、イスラム美術の最高傑作の一つと言われています。
名称の由来は、ルイ9世によってフランスに持ち込まれたからと言うけれど、真相は不確か。
フランス王家の皇子、皇女の洗礼のために使われていたらしい。
 

「マグダラのマリア」G.Erhart

真下から見ると、見下ろされて少し怖い・・・まるで生きているようです。


「書記座像」・・・意外と小さくて、あやうく見落とすところでした。
古代エジプト時代のもの(BC3800~BC1710年頃)。
 
あぐらをかき、両ひざでピンと張られた白い腰衣を台の代わりにし、左手で一部が広げられたパピルスを持っています。右手には筆を握っていたらしいですが、今日では消失してしまっています。

 目がね、とてもきれいな目をしているのです。水晶玉をはめ込んでいるらしい。

こんなものがもしかしたら5000年前に作られていて、それが今でも良い状態のまま残っているというのがすごい。


「マルリーの馬」
 





これも気になった作品なのですが、誰作なのか覚えていません。分かる方、いらっしゃいますか?
 


 

展示されてある各美術品だけでなく、建物の造りそのものが素晴らしい美術品。

 


美術品にものすごく詳しいわけではない人でも、ルーブル美術館の展示作品を目の前にしたら、時間を忘れて熱心に観賞してしまうと思います。(実際私がそうです(^▽^;) )
少ない観光日数を上手く調整して、なんとか丸1日はここで過ごしたいものです。

館内は迷路のようで、迷いに迷って無駄な動きが多く、勿体ないことをしました
自分がどこにいるのか分からず、それぞれの美術品がどの部屋にあったのかも把握できないまま今回のブログを書いたので、部屋ごとにまとまっていなくて見づらかった点をお詫びいたします。


次にパリに行く機会があれば、今回見逃した作品がたくさんあるので、ルーブル美術館にはまた行きたいです。

皆さんのお気に入りの作品は何でしょうか?






<つづく>

 
  

パリ紀行、間があいてしまったのでもうすっかり忘れられている気がします・・・
今ルーブル美術館について書いているのですが、写真の整理、文章の整理等、毎日少しずつしか出来ないので、なかなか進みません。まだまだ始まったばかりで先は長いのに、すでに挫折しそうな雰囲気が・・・

それで、今日もまた現実逃避で、別のことを書いたりしてみる(^_^;)




先週末、モスカート・ディ・スカンツォの試飲祭(?)に行ってきました~。
夜のことなので画像がすこぶる悪いのですが、どうかお許しを。

ベルガモから車で15分ほどの所、隣の隣の町でスカンツォ・ロシャーテ(Scanzo-Rosciate)という町があるのですが、その町の名前からとった「Moscato di Scanzo(モスカート・ディ・スカンツォ)」という、赤いデザートワイン(甘~~い)が有名らしいのです。
モスカートは、マスカットという意味です。

それもそのはず、ベルガモ県で唯一のDOCGなんだそうです!!
知りませんでした。DOCG(Denominazione di Origine Cotrollata e Garantita)とは、イタリアの格付けで統制保証原産地呼称ワインのことで、イタリアで最も厳しい生産基準のもとにつくられたワインを指します。要するに政府のお墨付きってことなんですね。


スカンツォ・ロシャーテのブドウ畑。


ベルガモ~スカンツォ・ロシャーテの 位置関係。


到着したのは19時半頃。まだほとんど人がいないし、路上に並ぶ小さな小屋(ここで試飲のワインがもらえます)もまだ開いていません(この日は20時OPENでした)。
ひとくくりに「モスカート・ディ・スカンツォ」と言っても、各製造者によって味は微妙に違います。
 

€7で試飲3回券を購入すると、この様に専用のグラスと、ひも付きのグラス入れをもらえます。

ほら、こんな風に肩から斜めにかけると両手が空いて便利♪
 
小屋は各製造者ごとに別れているので、好きなメーカーさんのところに行ってワインをもらいます。(3杯で足りなければ、また€7で3回券を買います。( ´艸`))

暗くて分かりにくいですが、グラスの線のところまで注いでくれます。しかし、混雑してくると流石イタリア人、適当になってしまって、なみなみと注いでくれるメーカーさんもありました(笑)。
 



実は試飲の前に簡単に食事を済ませたのですが、こういった地域の各祭りやイベントの際には、簡易食堂みたいなものが設置されます。(自治会の団体によって運営されているようです。)
食券を買ってセルフサービスになります。

日本でも各町ごと、または小中学校の校区ごとにお祭りがあると思いますが、大体そんな感じだと思ってください。

ポレンタ・タラーニャ(チーズ入りトロトロポレンタ)と、カゾンチェッリ(詰め物のパスタ)と、スピエディーニ(肉と野菜の串焼き)。地元産のワインも、え!?この質でこの値段?というありがたい価格で飲めます。美味しいよ~。
  

途中でバンドチームが入ってきて演奏したり・・・。


なんと、このお二人に遭遇しました!パロディ姉妹!!!



姉クリスティーナ(右)夫妻がベルガモ在住なので、姉妹で時々公共の場に出没するらしいです。(いや、仕事の一環だと思いますが・・・(;^_^A )
姉はニュースキャスター、妹ベネデッタ(左)は料理番組に出ています。
私は、昔よくCotto&Mangiatoという料理番組を見ていたので、妹ベネデッタの(一応)ファンなので、テンションが上がってしまいました。ずうずうしく握手までしてもらいました。( ´艸`)

パロディ姉妹が出ている番組。(藍色の服が姉クリスティーナ、朱色の服が妹ベネデッタ)



さて、酔いも回ってきた頃~~~いえエエええ!てな感じで、記念撮影。こらこらキミたち、顔が近過ぎるってば!(笑)
  

こんな場面も。警察がアルコール量を測ってくれます。(測るだけで、取り締まりではありません。)


他にも交通整理をしている警察の方たちがいましたが、面白いな~、と思ったのは、
我々みーんな「飲みに」来ているのを分かっていて特に取り締まりをしない(車でないと行けない場所です)。
そういう「緩い」というか「柔軟な」ところが、イタリアの好きなところですね~。


モスカート・ディ・スカンツォ、赤いあま~いデザートワインなんですが、白いモスカート・ディ・スカンツォを製造しているメーカーさんもあり、私にはそれが一番美味しかった。(でも、どこのメーカーさんか記憶にない・・・ガクリ

1本500ml入りで、大体30€~50€以上するものもあるようです。
結構高価なのでビックリ

ベルガモ県唯一のDOCGモスカート・ディ・スカンツォ、多分日本ではあまり(ほとんど)知られていないですよね?
以後お見知りおきを



昨日はいつもと違うフルーツタルトを。

いつものマスカルポーネクリームのフルーツタルトではなく、アーモンドクリームをタルト生地と一緒に焼き、カスタードクリーム(土台とフルーツの接着剤の役目)、そしてフルーツ各種。
イチゴ(赤色)が無かったので(いつの間にか夫に食べられていた!怒)、冷蔵庫の中を見渡し、イチジク発見。助かったー!(>_<)

持って行った先のお友達は妊娠中で、イチゴが食べられないとのこと。おお、良かった!世の中うまいことなってるわー。(夫は英雄顏。たまたまや、たまたまー!)

イチジクが美味しい季節です。次はイチジクだけで作ってみても良いかもしれませんね。


ボナペティート
(パリ紀行の途中ですが、今日は特別な友人の話を書きたいと思います。私の今までのイタリア生活の中には、この人の存在がありました。
いつもお読みくださり、ありがとうございます。m(_ _ )m )



今日はスィレンツィオさんの70歳の誕生日だった。
この日本人のおっちゃんは、日本で定年退職をされてから、10年間イタリアに住むぞ!と決め、今日でその10年を終えた。
(日本のご家族の元を完全に不在にするわけにもいかないので、実際には3か月ごとにイタリアと日本を行ったり来たりの生活であった。)

70歳の誕生日を迎えると同時に日本へ完全撤退するという、ご家族そして自分自身との決め事だったため、後ろ髪引かれるような、けれどすがすがしい、色んな気持ちが入り混じっていることだろう。

スィレンツィオさんと知り合ったのは、6年と少し前、お互いにペルージャ外国人大学に在籍中のこと。
クラスは違えど、校舎間移動、教室移動の時によくすれ違っていた。
トレードマークの野球帽とザックを常に身につけ、年齢的には初老なんだけど、いつも背筋をしゃんと伸ばして颯爽と歩くその姿は、還暦をとうに過ぎた人とは思えない雰囲気があった。

いつからか、見かければお互いに会釈をし、

ある日、「こんにちは。しょっちゅうお目にかかりますね。」

と、どちらからともなく声をかけ、それから急接近(笑)。

私: 「実は私、ペルージャの後、ベルガモに住むことになるんです。」
スィレンツィオさん: 「ええー!?それホント!?僕もベルガモに移ろうかと計画中なんだけど!」

信じられない偶然!

それ以降、今日まで近くでずっとお付き合い頂いた。

スィレンツィオさんの人柄を簡単に紹介しておくと、彼のことをよく知る人なら皆うなずかれると思うけれど、

 ・ 人見知りしない(誰にでもすぐ話しかけるw)
 ・ 人懐っこい(道行く人ともすぐに知り合いになれるw)
 ・ お酒好き(楽しいお酒を飲む)
 ・ 面倒見が良い
 ・ ここぞ、という時には一本筋が通っている
 ・ 人情、人と人とのつながりをとても大切にする。

そんなスィレンツィオさんからは、人として大事なことを学ぶ機会がたくさんあった。
この方とのご縁に大変感謝している。

友人でありながら、時には、私にとってはベルガモでの「お母ちゃん」として(お父ちゃんではなく、お母ちゃん(笑))、仕事帰りにご飯を食べさせてもらったり、心が折れそうなくらい辛いことがあった時に、話を聞いてもらったこともあった。
懐と器の大きなお人柄に救われた。


親は次第に年を取り、いつの間にか立場が逆転して、子の方が親を気にかけたり面倒を見たりする様に、

最近1年半~2年ほどは、友人としてというよりも、スィレンツィオさんへの労りの気持ちがだんだん大きくなってきて、自分の親に対するのと同じように、「おっちゃんのこと、大事にしよう」という気持ちが大きかったように思う。



時々うちに来てもらったり、また、ご招待いただいたり、我がオットともウマが合うのか、オットもスィレンツィオさんとの食事(=飲み)を楽しませてもらった。
(で、二人とも酔いつぶれて、私がおっちゃんを家まで送っていくという流れ・・・そんなわけで、私だけいつも飲めないし!ム~~)

これは先週の夕飯、酔いつぶれてソファーで眠る二人の様子(笑)。
 
 

今日はスィレンツィオさんのお誕生日かつイタリア在住最終日ということもあり、
最後の晩餐として外で食事をご一緒させていただいた。
 
「スィレンツィオさんがベルガモで最後に会った友人」という称号を頂き、大変光栄(笑)。



ええと・・・、しかしですね・・・、この機会に正直いわせてもらうと、時にはそのマイペースさ、自分の都合の良いように物事を解釈するお気楽さに、「んもーーーーっ!!呆!!」ということもあったけれど

そういうのもひっくるめてこの人のイイ所なんだろうな。

今までの、いろーんな、いろーんな出来事が思い出されて、

あ、なんか泣けてきたー。気軽に会えなくなるのが、残念でならない。


「活動的・行動派」を絵に描いた様な人で、日課のウォーキングに、山歩きに、ボランティア活動、もちろん学業も。
考えるよりもまず動く。

一番驚いたのは、小雨の降る中、ベルガモからレッコまで傘をさして歩いていったこと。
「たまには雨の中を歩くのもロマンチックかと思ってさ(^^)」・・・って。

それにいつの年だったか、8月の炎天下の中、福島県にボランティア活動に行かれ、今後もそれを続けられるという。
「僕が手を貸す人よりも、僕自身の方がヨタヨタだったりして(笑)。」と冗談もいいながら。



またいつかベルガモに、旅行で遊びにいらっしゃるつもりだそう。
その際には、また私のブログにも登場してもらいますよー


明日の早朝便で発たれる。

アリヴェデルチ、スィレンツィオさん!今までありがとう!またお会いする日まで、どうかお元気で!
 
Arrivederci! Grazie di cuore per tutto. Mi raccomando, stammi bene. Spero di rivederci presto!




<おまけ>
第二の故郷、ベルガモをいつまでも胸に、と願って、ベルガモのサッカーチーム・ATALANTA(アタランタ)のグッズをプレゼント。
 
(このシャツを着てウォーキングをしている初老の元気なおっちゃんをお見掛けになったら、その方はおそらく・・・( ´艸`))




最後に、スィレンツィオさんの著書、エッセイ『イタリア・ふれあい・めぐり愛』をご紹介しておきます。
 
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4835593014/qid%3D1124194019/250-9302908-1641015
~「イタリアで巡り会った人々との交流を、自身の目と心で描いた情景の展開が軽妙で愉快だ」
~「犬をしつけたり、唄を歌ったり、イタリア人とか日本人とか関係ない。そこに在るのは人なのです」
~「清々しい面白さとどこかほのぼのとした人間愛が心に残る」

スィレンツィオさんとイタリア各地で出会った人々との、心温まるエピソードがたくさん。
「え?そんなことってあるの!?」と信じられないけれど全部本当の話。
イタリアをのんびり旅行してみたくなります。
スィレンツィオさんの魅力的なお人柄も著書の中でたっぷりご覧いただけます。


朝、パリに到着してまずホテルにチェックインし、午後に向かったのはここ。
 

パリ18区にある、モンマルトルの丘

名前の由来は、「殉教者の丘」という意味の「Mont des Martyrs」。
272年ごろ、パリ最初の司教・
聖デニス(サン・ドニ)がこの付近で首をはねられて殉教しました。

ちなみにサン・ドニはその後、はねられた首を抱えながら北のほうに数km歩き(それ、ホンマ!?Σ(゚д゚;))、息絶えたといわれています。その後その場所に、歴代のフランス王の墓所でもある
サン・ドニ大聖堂が建てられました。(後日レポートしたいと思います。)


モンマルトルにある、白い
サクレ・クール寺院。完成したのは1919年のこと。意外と近年なんですね。
寺院の前にある階段には、たくさんの人が座っています。
 

そこからは、このようにパリ市内が見渡せます。写っていませんが、本当はエッフェル塔エッフェル塔も見えます。
 


サクレ・クール寺院の正面に二つの銅像があるのですが、あることに気付きました。
左右対称かと思ってよく見たら、向かって左側の像は剣を下向きに、右側の像は剣を上向きに持っています。

左の像(剣が上向き)                  右の像(剣が下向き)
  
左がルイ9世(聖ルイ王)、右がジャンヌダルクらしい。なぜこの二人が選ばれたのだろう。
「サクレ・クール」とは「聖なる心」という意味だから、フランス史上もっとも神に忠実だった二人が選ばれたのかな。
(ジャンヌ・ダルクは言うまでもなく、ルイ9世もとても敬虔なキリスト教徒で、2回の十字軍を編成したほど。聖人化されているし。)


モンマルトルは、多くの芸術家たちが活動拠点を置いたことでも有名。
19世紀半ばにパリ市内がどんどん近代化していくので、絵になる農村風景の残っていたモンマルトルに移ってきたんだそうです。

ゴッホが描いたことのある、La Bonne Franquetteというカフェレストラン。
 


テルトル広場では、現代の芸術家たちが絵を描いて販売しています。

 


昔の芸術家たちが暮らしたアパルトマンもそのまま残っています。
たとえば、ここはヴァン・ゴッホが暮らしたアパルトマン。他の芸術家達のアパルトマンもそうですが、表示があるだけで目立たないので、誰も気に留めている人はいませんでした(^_^;)


モンマルトルの丘に現存している2つの風車。  (こちら↘は木々に隠れてほとんど見えません)
   


映画『アメリ』の舞台となった、八百屋さん。お店の側面には・・・・・

ちゃんと『アメリ』のポスターが
 

「2つの風車」、という意味のカフェテリア、Les Deux Moulins。ここも『アメリ』に登場。
 
カフェテリアの中には、ちゃーんと『アメリ』がいました。

レトロな内装。照明の感じが・・・三( ゚Д゚) ふ、ふるい!?
 
決して、いわゆる現代的な「お洒落カフェ」ではないですが(;´▽`A``
ペリエを飲みながら、
これはこれで味があっていいなぁ、昔今のモンマルトルを愛した人たちもこういう場所に通っていたんだろうなぁ、
などと思いを馳せていました。


次にモンマルトルに来たら是非ショーを観てみたい。お店の名前にもなっている、赤い風車が目印のムーランルージュ

せっかくモンマルトルを訪れたのだから、『アメリ』『ムーランルージュ』も、もう一度映画を見直さないといけませんね。



他、こんなものも見つけました。
世界各国の言葉で、「好き」と書いてあるジュ・テームの壁。意外と大きくて驚きました。

オットは、イタリア語と日本語を指して記念撮影( ´艸`)
 

壁抜け男
抜けられたらいいけどね。固まってるよね・・・

パリで一番古い映画館。やっぱり照明がレトロ~
 


上の部分をクルクル回すと水が出てくる。これは、サクレ・クール寺院の脇にあるお手洗い前の、道路の向かい側にありました。
 
そういえば、ここのお手洗いはとても気持ちよく使えました。
昔ながらの木造の個室で古いけれど、清掃が行き届いていて、むしろ昔風の内装が個性的で公衆トイレっぽくないかも。

入り口で清掃の女性(多分、ご自身かご先祖がアフリカからの移民)が利用者の順番整理をしていました。
「ハイ、あなたこちらへどうぞ。次のあなたはあちらへ。あ、あなたは少し待ってね~。」という風に、とてもスムーズな誘導の仕方はお見事。

イタリアの公衆トイレには、入り口に「いかにも」という様な小銭入れの箱があって、「支払え」と言われることがないにしても、「いかにも」な人が「いかにも」な様子で立っていることが多いです。

このアフリカ系の女性に質問したところ、このお手洗いは無料で利用できるとお答えになりました。
にもかかわらず、小銭を女性に渡している人が多かったです。
ほとんどの人が「メルシー」と言って出て行きます。女性は穏やかに「さようなら」と答えます。

私も、小銭を女性に手渡しました。
この様に気持ちよく利用させてもらえるなら、逆に自発的に小銭を置いていきたくなるものなんだなぁ、と思いました。


モンマルトル独特の雰囲気(下町ふうでどことなく懐かしい感じがします)のおかげで、午前中のどんよりした気分が一気に吹っ飛び、パリ観光はまずまずのスタートを切ったのでした。


 つづく。