イタリアのエエとこ取り?yummy*のベルガモ生活☆TUTTO BENE!? -14ページ目

イタリアのエエとこ取り?yummy*のベルガモ生活☆TUTTO BENE!?

イタリア在住ならではのオモシロ現地情報ほか、欧州各地のいろんな景色、いろんな食べ物、旅の楽しさも伝わるかな?(´艸`)
「クスッ」と笑ったり、「へぇ~!」と思うような話題もときどきあるかも!?

(またしてもパリ紀行、ちょっとお休みします。執筆中~)


今週火曜日の午前中、トイレ休憩の時に気が付いたのだが、

左太ももの内側に、大きなシミができていた。直径5cmの楕円形をしている。

前日の夜は、久々に風呂に入ったのだが、その時には異常はなかった。
一晩寝て起きたら、数時間前まで何ともなかった場所に、突然大きな赤紫色のシミが出現したのである。

足をよく観察してみると、右太ももの内側にも、直径1cmほどの赤紫色のシミが、右足首の上あたりにも、3カ所同じ症状が現れている。

歩くと、ジーンズとこすれて少しヒリヒリする気がした。

次の日(水曜日)も同じような感じで変化はなかった。

更に次の日(木曜日)、左太ももの内側、一番大きなシミがだんだん変化し、火傷の痕の様に水疱がパンパンに膨れ上がっている。

そして今日(金曜日)、その水疱が、しぼみかけている感じで、ハリがなくなりたるんでいる。まるで年寄りの皮膚のようにたるんでいる
他の小さい症状のところは、気づかずに掻いてしまった箇所から汁が出て少しただれている風なのを除いては、変化なし。



さて、今日ホームドクターを受診してきた。
~今までのホームドクターのやり方が合わなかったので、今年3月~4月の納豆中毒と咳き込みが酷かった時期を過ぎてから(一連の出来事は、同じテーマの記事をご覧くださいませ)、ホームドクターを変えた。新しいドクターは、パオラ先生。中年の女医さんである。今日一回だけお会いしただけだが、よく喋る、感じの良い先生という好印象を受けた~

パオラ先生に診てもらって、何の症状か分からないからと総合病院 送りに。

「緊急。72時間以内の対応」を意味する緑色のシールをもらい、すぐにベルガモ総合病院 の予約課に電話してアポを取るように言われた。

 
↑ これが、緊急用の緑色のシール


ベルガモ総合病院 の予約課に電話して、すぐに対応してもらえるという魔法の(はずの)緑色のシールを所持していることを伝えるも、空きがないと言われた。

私は諦めが悪く、時間をズラして三回電話したが同じ結果。
次の空きは、来年の11月とな!

ほな、緊急シールの意味ないやん!!

どうしたものかと、その手の事情に詳しい同僚に相談し、ベルガモ市内と隣町にある他の複数の病院 に問い合わせするも、どこもかしこも予約がいっぱいだと。

予約が取れるころには、治っているか死んでしまっているわーーー!!

と思うのは、私だけであろうか?


もう一度予約課のホームページを見てみると、
「よほど緊急の場合は、直接窓口に来るように」
と書いてあった。

なので、明日の朝、直接ベルガモ病院 へ行ってみようと思う。



そこで、オット が言うことには、

「なんだか、マンマが付き添いたがってた様子やで~」

義母こと
伝説のマンマ・ダニエラ(詳しくは前回の日記をご覧くださいませこちら
)、今度はどんなお節介(?)をしてくれるというのか。

そういえば、さっき色々訊かれたなぁ、と回想してみる。

マンマ: 「ひとりで行くの?」
私: 「まぁそうやな。 は明日も仕事やからさ。」

マンマ: 「どうやって行くの?」
私: 「え?車やけど?」

マンマ: 「病棟で迷うんじゃない?」
私: 「なんとかなるやろ。」


( ̄▽ ̄)=3 ( ̄▽ ̄)=3 ( ̄▽ ̄)=3 ( ̄▽ ̄)=3 ( ̄▽ ̄)=3 ( ̄▽ ̄)=3


なんや、ついてきたかったんかい!!(笑)

明日は飛び込みで行くから診察してもらえるか分からないうえ(しかし、たぶん患部を見せたら受付の人もビックリして通してくれると思われるけど)、一体何時間かかるか分からないから、
一緒に待ってもらうのも申し訳ないし、まさか最初から頼ろうなんて思っていなかったため、
私も一体どう答えたら良いのかわからず・・・・・・、

そうこうしているうちに、オット はまたしても両親の所へ行き、話をしてきた。
(義両輪の家とは、テラスで繋がっているので、自由に簡単に行き来ができる)

オット は、マンマがおもろすぎる!と言って、笑っている。
何事かと聞いてみたら、

今年、新しい場所に新築の病院として生まれ変わったベルガモ病院 。近代的で、まるで新しいショッピングセンターの様らしい。

マンマ: 「私、きっと病院の中で迷うわ~。」

って・・・・・・、


迷うくせについてくるんかい!一体何しに!?(笑)


まぁ、そんなマンマでも、役に立つことがあるかも、と思って、ついてきてもらう(いや、連れていく??)ことにした。

運転手には義父が来てくれるそうだ。
私は、基本的には自分の事は自分でしようとする性格のため、こんなに親切な待遇を受けたのは何年ぶりだろうか、と少し嬉しくもなった。
もしかして義両親(特にマンマ・ダニエラ)は、これまでにもいろいろお節介したかったのかも知れないが、それをはねつけていたのは他でもない私。

今まで、病院ごとや移民関係(クエストゥーラや市役所)は、自分自身のことゆえ、出来るだけひとりで行くようにしてきた。

というのも、オット にわざわざ仕事を休んでもらってまで、という気持ちもあったし、
他にイタリア人が一緒にいると、相手はイタリア人の方
に向かって話す為、私自身が理解する前に話が終わってしまう、ということが何度かあったからだ。
しかし、私ひとりで行くと、相手は私に話さざるを得ない為、分からないことがあれば途中で話をさえぎって確認することができる。


症状が気になるのと同時に、
マンマ・ダニエラがまた伝説を生むのか、明日、そっちの意味でもちょっと楽しみになってきた(笑)。



パリ3日目。

今日も芸術鑑賞、オルセー美術館へ。
ミュージアムパス専用の列に開館と同時くらいに並び始めましたが、既に長蛇の列。さすが人気の美術館!でも、意外とスムーズに、待ち時間40分くらいで入れました。
多分これがイタリアなら2倍の1時間半くらいは待たされたんじゃないかな(笑)。
 
パリのすごいなぁ、と思うところは、地下鉄が大変良くオーガナイズされていること。地下鉄の駅を上がったらそこが観光名所だったり・・・。(観光名所だらけなんだから自然にそうなるか。。。)

オルセー美術館、もと鉄道駅舎とは思えないほど内部の壁や天井のデザインが美しい。アーチ型で自然光を取り入れる設計。ミラノ中央駅構内と似ています。
上の写真の奥に見える大時計を拡大。駅舎だった頃から今でもずっと時を刻んでいます。 
 

オルセー美術館を外側からみると、赤い丸印の所に時計が見えます。
 
その時計を美術館内部からみると、こんなに大きい!

外は、セーヌ川を挟んで対岸に、右側からルーブル美術館、観覧車、モンマルトルの丘が見えます。
 

モンマルトルの丘を拡大。サクレ・クール寺院。
 
そして、オペラ座、パレ・ガルニエ後日訪れます)
 

オルセー美術館の作品は撮影禁止なので以下の画像はお借りしました(grazie!)
誰もがどこかで見たことある・・・と思われる・・・、
 ミレーの『落穂拾い』
 マネの『草上の昼食』
 ルノワールの『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』
 ゴッホの『自画像』
 ゴッホの『オーヴェルの教会』
 ドガの『踊りの花形』
 ゴーギャンの『タヒチの女』

他にも、「ア、これ見たことある気がする」(笑)作品がたくさん。
「印象派」の作品がどういったものか、観賞しているうちにだんだんと、なんとなく分かった気になっていくから面白い( ´艸`)



さて、オルセー美術館を出てセーヌ川を渡って、川の北側に行きます。ルーブル美術館の建物の一部が見えます。

この橋には、ご覧のとおり南京錠がたくさん付けられていて、主に恋人たちが願いをこめて付けていくようです。付けるところが見つからなくなるくらい南京錠だらけになると、全て除去され、また新たに恋人たち、旅人たちが付け残していくようです。

セーヌ川の北側にはこんな並木道が(Terrasse du bord de l'Eau)。テュイルリー公園の脇道です。落葉の季節はとってもロマンチックなんだろうな~


並木道が終わると、コンコルド広場に出ました。

この写真内の、ちょうど今居る位置の右手には、モネの『睡蓮』があるオランジェリー美術館
                                            
                  この日は閉館日だったので、出直すことにします。

コンコルド広場中央にはオリベスク 
オベリスクとは、古代エジプトで製作され、神殿などに立てられたモニュメント(記念碑)のこと。欧米の主要都市の中央広場などにも建設されたオリベスクがあり(ベルガモにもあるよ~、その地域を象徴するモニュメントとなっていますが、

世界に現存する、オリジナルの古代エジプト製オベリスク
は30本であり、うち13本がローマに、7本がエジプトにあるとのこと


(ここから余談)。今回のブログを書くにあたって調べてみるまで知らなかったことなんだけど、
じゃあ
なんで古代エジプトで製作されたオリベスクがこんなところにあるのか?

それは、後の時代にローマ帝国がエジプトに侵攻した際に、オベリスクは戦利品としてローマに持ち帰られからなんだって。以降の時代も欧州諸国からの略奪は続いて、それらの国の公園や広場の装飾品に用いられたそうな。

そういえば、ローマに行ったときにあっちこっちでオリベスクを見たけど、

「へえええぇぇぇ!これがオリベスクかぁ!」ってあまり意味がわからずに見ていたけれど(汗)、

「ローマに持ち帰った」・・・、「持ち帰った」って・・・盗ったんかい∑ヾ( ̄0 ̄;ノ  てことですわ

(余談終わり。)



話が脱線しましたが パリのオリベスクは、もともとはルクソール神殿の入り口に対で立っていたもので、しばしばルクソールオリベスクと呼ばれています。
1829年にフランスへ寄贈されました。高さ約23m。

                   ルクソール神殿(もう一本のオリベスクはそのまま残っています。)

                   (画像はお借りしています。Grazie!)



コンコルド広場を別の角度から。
ここは、1793年にルイ16世マリー・アントワネットがギロチンで処刑された場所でもあるんですよね~。オリベスクを挟んで2つの噴水があります。
写真の奥に見える三角屋根のギリシャ神殿風の建
物が、マドレーヌ教会。ちょっと行ってみましょう。
 

マドレーヌ教会に到着。
・ルイ15世の不治の病からの奇跡的な回復を祝って建設が開始されたが、建築家2名の他界により、その都度設計変更を繰り返すうちにルイ16世の代となり、フランス革命により中断。
・後に建設が再開されると、ナポレオン1世の命令でフランス軍の戦没兵のために造営目的が変更され、1842年に完成。
・しかし完成時にはナポレオンが失脚した後なので、ルイ18世によってカトリック教会にまたまた用途が変更。
キリスト教のものとしてはかなり特殊な外観(古代ギリシア・古代ローマの神殿風?)をしているのは、この為なんだそうです。

コリント式??

中はこんなだよ~。
 


そして・・・、マドレーヌ教会の前の通りから、この教会が見えたので近づいてみることに。

遠目に真正面から見るのと、

すぐ側で見るのでは、かなり雰囲気が違う・・・。サン・オーガスタン教会(Saint-Augustin)

閉まっていたので中は見学できていません

              おまけフォト。
             
                                   ねぇ、誰に挨拶してんの??
         (ちなみに、サン・オーガスタン教会そばの、Marcel Pagnol公園内にあるPaul Déroulède像です。)






<つづく>
本日をもって、「ネタ」から「伝説」へと昇格した、我が家のお姑さま。

時々、物を拾ってくる。
どこに落ちていたのか、傘、タイヤ、日本の雑誌、バールからは小袋入りのシュガーを持ち帰る(←これは、コーヒー代を払っているからという、彼女なりの持論で、盗ったのではないらしい・・・(-_-;))。

昨日(日曜日)は、生きているものを連れて帰ってきた・・・・




( ̄□ ̄;)    え!?



しかも、人間・・・・・




( ̄□ ̄;)!!    は!??



昼前、私が洗面所で化粧をしていた最中に呼び鈴が鳴った。
応答したオット が、私を呼びに来た。

 「yummy*にお客さんやで~。」

じと~ 「え?誰も約束してないよ。誰?」

 「よう分からん。」

じと~ 「ちょっと、誰か訊いてよ。」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 「もう上がってきたから家に入れたよ。日本人。」

じと~ 「え!?ちょちょちょ、名前は??一体誰!?」(この間、まだお化粧中。)

 「見た覚えがない。マンマが一緒。」

じと~ 「???もしかして、最近知り合った日本人のシニョーラ??」

 「ううん、シニョリーナ。女の子。」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

それで、身支度ができたので、その人が待っている部屋に行くと、確かに日本人の女性がいるではないか
マンマが嬉しそうに、「チッタアルタにひとりでいたから、日本人だし、yummy*と友達になったらどうかと思って連れてきたのよ~~♪」・・・って

ちょっと待てーーー!!!

じと~ 「どどどどーゆーことですか??(@ ̄Д ̄@;) 」

と、日本人の彼女にも訊いてみる。
今は学生としてミラノに住んでいて、前日からおひとりでベルガモに滞在されているとのこと。
チッタアルタでたまたま散歩中だった我が家のマンマに出会い、道を尋ね、一旦は別れ、
電車でミラノへ戻ろうと、鉄道駅に向かうべくチッタバッサを歩いていたらまたマンマに会い、
これも何かのご縁、ついておいでと何度も誘われるので、
悪い人には見えないし、昼日中だから大丈夫だろう、と取りあえずついてきてみたら我が家に辿り着いてしまった、と言う。

その話に、私と夫、



あんぐり(@ ̄Д ̄@;)←yummy (@ ̄Д ̄@;)←夫



・・・・・はっと我に返り、「いやいや、ありえへん、ありえへんーー!ガクリ 普通、やらんでしょ、そんな事!」
とマンマに抗議・・・しかし、話が通じないなく そうだ、この人「普通」じゃないんだった。

(義母は、常識の範囲では考えられないことをするけれど、いずれも他人に迷惑をかけることではないので、誰も止めようがない。本人は自然体ダッシュ。ある意味羨ましい・・・。)


誘拐?拉致??
いや、「ついて来た」と言っていたから、犯罪ではないよな・・・・・。


マンマ: 「あたしがポレンタ作ってあげるー♪ だから、昼ごはん食べていったらいいわ♪」

・・・て、ちょっと待て どこで?それに、ポレンタだけ作るつもりか?

マンマ: 「あたしの家で食べたらいいわ。ポレンタと、チーズ。」

・・・おい、ポレンタとチーズって・・・それってほとんどポレンタだけやないか・・・?


まぁ、せっかくあの人がそう言っていることだし、いかがですか?うちは迷惑じゃないのでー、

と、こういういきさつで、私は予定外というか予想外のお客様と一緒に昼食を取ることになった。
(オット はもともと外食の予定だったので、このあと出掛けた。)


まぁ、これも不思議なご縁ですし、どうぞ、と私たちは腰かけ、自己紹介から始まり、
簡単に身の上話をしていると、マンマが戻ってきて、

「ポレンタ作ろうかと思ったけど、30分かかるからやめるわー。」




・・・・・・・・はぁ!?(-_\)(/_-)三( ゚Д゚)

アンタが昼食をご馳走したると引き留めたんちゃうんかーい!( ゚-゚)( ゚ロ゚)(( ロ゚)゚((( ロ)~゚ ゚


もう好きにしてー。(´д`lll) 

簡単なもので良かったらどうぞ食べて行って下さい、と結局私が作ることに。
どうせ二人分作るのも三人分作るのも同じだからと、今ベルガモにお仕事で滞在中のmaiumyさんも急きょご招待して、

三人でランチとアフタヌーンティーまでお喋りを楽しみました
お二人のおかげで結局は楽しい午後になったから良かったのですが、


義母は、「良いことをした(満足♪)」と間違いなく思っているはずガクリホンマないわー。

もし私たちが、もっと日本人の多いミラノに住んでいたら・・・・・おそらく毎週どこかで出会った日本人を拾って、連れて来ていたかもしれない・・・?(こわー




皆さまのイタリアンマンマのイメージって、どんなでしょうか?
我が家の義母みたいなマンマ、いかがですか~~?なく


ベルガモで、

「うちに日本人がいるから、いらっしゃい。」

と、60代のスィニョーラに声かけられても、ついて行ったらあきまへんでー。








                    <次はようやくパリ紀行の続きです。Grazie per la visita!>
土曜日の夕方、Crema(クレーマ)という街まで、ひとっ走り行って来た。
ちなみにCrema(クレーマ)は、クリームって意味だけど、何か関係あるのかな(笑)?
イタリアには、面白い名前の町名が多いと思う。
 
クレーマ市の中心から少し離れた所に丸い教会がある。(ベルガモからの道を走っていて、クレーマ市に入ってすぐの所。)
このサンタ・マリア・デッラ・クローチェ教会は、イタリアの中でも珍しい形。15世紀末の建築物。
 

クレーマ市の中心街。ショッピングストリート。
 
ここで、偶然にも元同僚(とその彼女)に出くわした。アフリカのガーナから家族で移住してきたその彼は、当時はまだラガッツィーノ(ragazzino)、男の子、「子」って感じだったのに(年齢もハタチやそこらだった)、
彼女(イタリア人)が出来たからか、職場を変わって仕事も順調だからか、とっても頼もしく見えた。幸せそうな彼に、私まで嬉しくなったよ(^^)

  
クレーマ市の、ドゥオモ
 
とってもカワイイ街並みです(^^)


クレーマへ向かってベルガモの南側の平野部を走ると、あちこちにトウモロコシ畑が広がる。あぁ、秋だなぁと思わせる風物詩である。
(あ、何気に私たちの影が写ってる~^^)

 
どこまで行ってもトウモロコシ畑。全部ポレンタになるのかな~?( ´艸`)
 

ちなみに、クレーマはベルガモの真南でーす。「クレマ」となっているけど、実際には「クレーマ」の発音に近い。
 

クレーマまで何しに行ったのか?
ただ行っただけ。行って、ショッピングストリートを歩いて、帰ってきただけ(笑)。
たまにはそういうのもアリ。



*「パリ紀行」が長くなりそうなので、途中で息抜き(?)に日常の事も書いています。
いつもありがとうございます。(*^^*)





ルーブル美術館の余韻がまだ残るなか(ルーブルの回はコチラ☆)、ちょっと街歩きをしてみました。

小さい公園の中にそびえ立つサン・ジャック塔。パリ市庁の近くにあります。付近を歩いていたら、結構目に止まりました。どこからでも見えるということなのでしょうか?

木々に囲まれた公園内では、地元の人たちなのか、ベンチに座って本を読んでいたり、静かにお喋りをしていました。(イタリア人だと大声でのお喋りになるけれどね(笑))

この、1509年~1523年にかけて作られたサン・ジャック塔は、実はここにあったサン・ジャック・ド・ラ・ブシェリー教会の鐘楼部分でした。「ブシェリー(Boucherie)」とは「肉屋、食肉業」の意味で、かつてこの辺りには肉屋が多かったことに由来します。
教会はフランス革命時に廃止、売却され、1797年に取り壊されてしまい、塔だけが残ります。塔はその後、狩猟用の銃弾の鋳造所として使われたりしますが、1836年にパリ市が買い取りました。

見上げると首が痛い!高さ52m!(頂上の像の先までの高さは62m!)実は、世界遺産です!

当の真下にはある人物像が(暗いけど見えるかな~?)。「パスカルの定理」のパスカルです。ここで大気圧の実験をしたとか。この塔は、今でも気象観測に利用されているらしいのですが・・・。

なぜこの塔が、パリにある他のもっと目立つサイトを差し置いて世界遺産なのかというと・・・、
教会部分が存在した中世には、ここがスペインまでのサンティアゴ巡礼路の起点とされていて、この鐘楼は巡礼者たちにとってのランドマーク的存在でした。中世の巡礼者はこの教会からセーヌを渡りサン・ジャック通りを通り、スペインに旅立ちました(当時はパンテオンの辺りがパリの外れでした。意外と狭い範囲だったんですね)
よって、サン・ジャックの塔は巡礼路関連遺産として1998年に世界遺産に登録されました。 納得です。



セーヌ川のほとりまでやって来ました。夏の間だけ、ビーチになっています。水遊びはできませんが、日光浴を楽しむ人たちで、なんだかここだけ異空間( ´艸`)
対岸は、パリの中心、シテ島。ノートルダム寺院の一部が見えます。


これはコンシェルジュリー(王室管理府)。中世時代には王宮でした。
現在はこの中に最高裁判所があります。


裁判所の正面まで歩いてきました。
同じ敷地内に、見事なステンドグラスで有名な教会、サント・シャペルがあるのですが、教会に入るための列がここまできています。
 
裁判所の門。もと王宮だけに立派です。

裁判所の建物。
 

この最高裁判所の中庭にあるサント・シャペルは、ルイ9世(敬謙なキリスト教徒で、後にカトリック教会から列聖され、聖ルイ王とも呼ばれている)によって、王宮の礼拝堂として13世紀中頃に建設されました。

裁判所と同じ敷地内にあるからなのか、入り口でボディーチェックと荷物の検査がありました。

教会は2階建てになっていて、
1階部分はこんなにかわいいデザイン。宮殿の使用人の為の教会として使われました。

正面には、教会を建てたルイ9世(聖ルイ王)の像があります。



そして、2階部分。こちらは王の為の教会(礼拝堂)
ぬぁんと!ご覧のとおり修復中!?ガクリ 
  
なので、幕の部分を避けて写真撮影すると、どうしてもこういう角度になります。(正面から写真を撮りたかったのに~

光の角度によって、ステンドグラスの色が様々に変化します。キラキラ常に煌いている様子が伝わればよいのですが・・・。
 
教会内は薄暗いので、ステンドグラスの色が映えます。しかし、上手く写真に収めるのが難しい!

バラ窓も大きくて素敵。

さすが「宝石・宝石箱」と呼ばれるだけあります。内部はほとんどステンドグラスですが、派手な印象が全くありません。サント・シャペル(Sainte Chapelle=「聖なる礼拝堂」)、その名にふさわしい美しさは必見です


このサント・シャペルには、聖遺物としてキリストの茨の冠と、キリストが磔になったときの十字架の欠片が納められました。(ルイ9世は、茨の冠を手に入れるのに、サント・シャペルの建築費の3倍以上の対価を支払ったらしいですよ~
見た目だけでなく、実質的にも「宝庫」だったというわけですね。 

いつまでも眺めていたい気分でしたが、次へ向かいます。
 

ノートルダム大聖堂に入ろうにも、上に上ろうにも、すごく混んでいたので、素通りして次へ向かいます。
とても大きいので、これくらい離れないと全体が写真に納まりません。
 


パリの天気はころころ変わります。先ほどまで曇り空だったのに、この頃にはこんな青空が。

パンテオン。ギリシャ語で「全ての神々」という意味。
パリの守護聖人、聖ジュヌヴィエーヴのために建設が始まったものの(1755年)、フランス革命後に完成し(1792年)、最終的にはフランスの偉人たちを祀る墓所として使用されることになりました。

祀られている主な偉人は、キュリー夫妻、『レ・ミゼラブル』のV.ユーゴー『社会契約論』のルソー、 『三銃士』のA.デュマ・ペール、他、政治家等。
 
このパンテオン内では「フーコーの振り子」の実験が行われ、現在も天井から吊り下げられた振り子が展示されているとのことですが、
なんかそれらしい物があったかなぁ・・・、と遠目に見たような見ていないような

振り子がぶら下がっていたのはどこかな~~??


パンテオンの裏にある、サンテティエンヌ・デュモン教会(Église Saint- Etienne du mont)。
ここもステンドグラスがとても美しいと聞いていたのですが、通りかかったときは残念ながら閉まっていました。


この日はルーブル美術館も含め朝からたくさん歩いたので、リュクサンブール公園で休憩。
あ、モンパルナスタワーが見えます。

公園内には市の椅子がたくさんあって、自由に移動させたり向きを変えたりできるのが嬉しい。
日光浴をしている人がたくさんいました。
暑くなく、寒くもなく、とても心地よい陽気の昼下がり、しかもバカンス。椅子に座って目を閉じてウトウト。もう日常には戻りたくなくなります。

人工池(運河かな?)に小さな船を浮かべて遊ぶ人たちの姿も。
 
ノートルダム大聖堂に戻ってきました。夏至はとうに過ぎたとはいえ、まだまだ明るい。
18時前だというのに太陽の位置が高くて、まだ真昼間のようです。ラッキーなことに、数時間前と比べて中に入る為の列が半分になっていました。

 とにかく大きい。 正面の3枚の扉の上部にある彫刻ですが・・・・・、
 

正面の扉には、「最後の審判」。中央の3段に分かれている彫刻は、
審判を行うキリスト(上)、魂の計量と天国へ(中央)、地獄の様子(下)、を表現しています。



右側の扉は、聖アンナの扉。キリストを抱く聖母マリア像が。

 

そして左側の扉は、聖母マリアの扉。聖母マリアが永遠の眠りにつく場面(中央)と戴冠の場面(上)が。



中に入ります。

厳かな雰囲気の中、前方へ歩いていきます。 

どこからともなく聖職者たちが現れて・・・・・ 
 
ミサが始まりました。
薔薇窓バラが美しい。 
オットに、薔薇窓バラの写真ばかり撮っているなぁ、と言われるしまつ 
 
 

この日は朝から本当によく歩きました。
まだパリ2日目ですが、既に充実してきました



<つづく>