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(前回の続きです)
だけど‥なんだろ、
お金が目的の『お金儲け』は微妙にこれらの
体験などと違うと感じるのはなぜだろう‥
いい暮らしがしたいからとお金を稼ぐ豊かさより、
人々の幸せを考えていたらお金が入ってきた、
そういう豊かさに憧れてしまいます。
いい暮らしって何が基準なのかと。それって他人が
基準の考えなのではないかなと。
お金を何故欲しいのか、
お金で何をするのかという目的があってこそのお金。
そこに山があるからじゃないけど、
そこにお金があるから使うというのが目的だとしたら
本末転倒、多分お金が幾らあっても心がむなしい気が
するの。
例えば、
そろそろ新しいパジャマが欲しいと思っていたとき、
たまたま人を助けたり親切なことをした、
そしたらお礼に欲しかったパジャマが貰えた、
それならそのパジャマを買うお金はもう必要ない。
生きるのに必要なお金はそんな感覚に近いのかも。
実際、他人と比べなければむやみに欲しがることも
しなくなるもの。
もし、全世界の人がもれなく全く同じ高級バックを
所持していたら、価値を比べる対象自体消滅する。
通常装備になった時点で、高級という言葉など簡単に
地に落ちる。比較する相手のいない世界では使う必要
すらない言葉に成り下がる。
まわりの価値観なんて時代でいくらでも変わる、
そんなもの。実はかなりいい加減なもの。
そう考えると広告には踊らされなくなるし、
自分に必要ないものって結局必要ないものだったと
だんだんわかってきて無駄買いは少なくなっていく。
広告のプロの手腕につい踊らされてしまうときが全くないと
言いきれないのが実に辛いところですが。特に美容ね。笑
これは多読の経験値からかもだけど、
この世の全ての無駄遣いってやつは、
自分が他人よりよく見られたい欲から起こる
『他人の視線代』や『見栄代』
という考えに行き着きましたね。
僕は服がボロボロ、シミだらけでも人目なんか全く気にしないのさ、
僕は何にも縛られていないからね、と、一切のTPOを気にせず堂々と
する人がいると、まぁそれはそれで微妙ではありますが💦
で、経験の話に戻るのですが、
どんなに頭脳明晰で他人よりお金儲けが上手くても、
取れかかった一つのボタンを付けられないのは
人生の楽しみを味わっていないような
少しもったいないような気がしてしまうのです。
ボタン付けは大学受験や国家試験、英検一級とかより
ずっとハードルが低いし、
ちょっと手を伸ばせば届く場所にあるスキルで、
この形の手指を持つ人間ならではの世界共通で使える
超便利なスキルの一つなのに、と。
ボタン付けだけでなく、美しい花や可愛い動物を
見たとき興味を感じたり、その名前を調べようかとも
思わないような、シマエナガが何かわからないとか、
その類の人間にはなるべくなりたくないなとは思う。
どれほどのカリスマで財力を持っている人物なのだと
しても、その人の中にふと貧しさを見つけてしまい、
少しだけせつなくなってしまうのです。
ただうちの主人もだけど、そのタイプの人は、
“ボタン付けなんてものは、
秘書にでも頼めばいいじゃん”
ってかんじの発想になるんだよね‥
いやはや、
相入れぬ。
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