この、まったく生活感のない家にティーンの子供2人と夫婦が住んでいる。私たちがこちらのリビングとテラスとキッチンでワイワイやってる向こう側にはパーソナルスペースの子供部屋や仕事スペースがあり、ガールフレンドが遊びにきたり。ママがPCの前に座って仕事してたり。
自分の家を、撮影やイベントに時間貸ししているというビジネス。
見せることになんら恥じらいを感じないアメリカならではの副業だな。
自宅を美しく保って、そこを人に見せて貸してお金を稼ぐという一石二鳥、これなら強制的に常に美しい空間を保てる。
ここでもケータリングが大活躍。
サラダとサンドイッチとケーキ。映えるだけでなく、美味しい。
本物の薔薇がケーキにデコレーションされていて🌹気分あがる。
この、「気分があがる」というのは超重要だと思ってる。何をどう生きたって、最終的に死んで土になる。持ち時間は有限、しかも正確な残り時間は教えてもらえない。
ならば眉間にシワを寄せて口角下げてるよりも、気分を上げて笑っている時間を1分でも長くしたい。
サラダって、フルーツを入れると格段にオシャレになりよる。
ここでは、今回のツアーで一番印象に残ったことを1人づつスピーチ。
私は「余裕の大切さについて」
インテリアに、効率と便利さのみを投影するのではく、オブジェだったりデコレーションだったり花だったりコーヒーテーブルブックだったり、そういう無駄なもの=余裕をおくことが、生活を豊かにするな、と思った。
そして人生においても無駄と余裕って大切っていう感想。
旅行なんぞは無駄の極致、やらんでもいいことをやってる。でも、それが私の心の余裕につながっているのだ。(というこの考えさえも、多分私の生きてきた環境によってそう思うように誘導されているのだと思う)
この、プールにしては小さい(泳げない)が、ジャグジーにしては大きい謎のアクアスペース、よくみかけた。
やっぱり水辺の視覚的なリラックス効果は絶大なのよね。それは認める。
午後は、絶賛売り出し中の7.49ミリオン(=11億円)の家を見学↓
オオタニさんの家ほど大きくはないけど(私からしたらものすごい大きいんですけど)、このお値段なのは、エリアが良いからなのかしら?
プール(水辺)がないのは残念という気分になる。
プールがないことが、カリフォルニアではマイナスポイントとなる感じ、滞在4日目でなんとなく理解できるようになってきた。
ほかの家がかなりの確率で備えているものがある場合、その付属物は家に「あるとうれしい」「ないと残念」なものになる。
ぎゃくに、まわりの家にそれがあまり備えられていない場合、珍しい場合、その付属物はそのエリアではそれほど価値があるとはみられない。
カリフォルニアではプールかな。日本ではまったく必要とされないばかりか、嫌がられるかもしれない庭プール。
日本ではウォッシュレットかな。
アメリカでは高級な家でもトイレはまぁ普通の、簡素なものだった。
結局、私たちは周囲の環境で、嗜好さえも決められているということだろう。
自分で選んでいるのではなく、環境に選ばされている。
自分で決めているように見えて、じつは周囲の考えに影響を受けて物事を判断している。
人間は周りに左右される生き物だから、どんな環境で生きるかは、どんな人間になるかだといっても過言ではない。
試しにベッドにごろんとしてみましたが。
とくに何の感慨も浮かばず。
ほう、というかんじ。
今回の旅は、私の好きなものは何なのか?好きな家はどんななのか?を知る良い機会になった。