モンテロトンド、モンテ=山、ロトンド=丸い、
というわけでローマ郊外にある丸い山、丸山ですね。
日本の地名にもありそう。
 
お友だちと焼肉定食でランチをしたエリアは新市街の駅近、
旧市街はイタリアの他の町でもよく見られるように少し離れた場所にありました。
 

 
モンテロトンド旧市街の観光マップです。
とても分かりやすかったので、この通りに歩いてみました。
 
まずは旧市街の入り口、ガリバルディ門をくぐります。
 
 
 
旧市街の形成された当初はサンロッコ門と呼ばれていました。
イタリア統一以降、イタリア中に出現した「ガリバルディ」はここにもあったというアセアセ
 
 
旧市街の目抜き通り、ガリバルディ通り笑い泣き
 
 
わき道はカヴール通りで、これもイタリア統一後の地名変更の弊害ですね。
奥に見えるのはモンテロトンドのドゥオーモ、サンタ・マリア・マッダレーナ大聖堂
 
なかなかステキな通りですね。
反対側には……
 
 
ルネッサンスの建物に囲まれたライオン広場
バルベリーニ家がモンテロトンドを統治していた1845年に建造されました。
4頭のライオンの口から水が出ている噴水で、中心にはコロンナ、柱が建てられています。
当初、ライオン像はテラコッタでしたけど、1927年、現在のような彫刻になったのだそうです。
 
 
所々に脇道が通っています。
建物にくり抜かれたアーチをくぐって向こうへ抜けるスタイル。
 
 
聖母子像が安置されていました。
見ていると前を通るとき、ちょっと立ち止まって十字を切る人もいます。
 
 
時計塔
この向こうに広がるエリアがモンテロトンド旧市街で最も最初に形成されたエリアなんだそうです。
通り過ぎてきたサンロッコ門やライオン広場あたりまでは新しくて、それでも1600年代ポーン
 
モンテロトンドがいちばん最初に文献に登場するのは1012年
1000年以上も昔に形成された街並みってすごいですねぇ。
 
 
時計塔のところで目抜き通りから左に入っていきました。
わき道に潜入です。
 
 
1300~400年代にかけて作られた部分。
とても細い道なのですが、ちょっと上のほうに目をやると
建物の凝った装飾をあちらこちらに見ることができました。
 
 
わき道から出るさらに細い道とか。
 
 
このおうち、窓辺のグリーンがすごかったです。
光りが入ってこない旧市街なのでいっそ緑で埋めてしまおうということかしらん。
 
旧市街の細い道を通り抜けたところに・・・・・
 
 
オルシーニ宮殿がありました。
 
オルシーニといえば、ブラッチャーノのお城の城主です。
前からモンテロトンドって、なんか聞いたことがあるなと思っていたのですが、
それはブラッチャーノの城主が治めていた別の領地の名前だったからだわ。
 
 
建造年は定かではないけど、
1286年オルシーニ家による建物の相続に関する文献が残されているそうです。
なので、それより前ってことですよね。
 
その後、今あるようなスタイルになったのは1400年代
 
1625年、オルシーニ家は財政難につき、モンテロトンドをバルベリーニ家に譲渡。
ブラッチャーノのお城も1696年にオルシーニ家からオデスカルキ家に売り渡されているので時期がかぶりますね……オルシーニ家、財政破綻してたのねチーン
 
 
現在でもオルシーニ宮殿と呼ばれているものの、
バルベリーニ、ボルゲーゼ、デル・グリッロ、ボンコンパーニ、ピオンビーノ家と持ち主が次々と変わります。
紋章がよく分からないのも、そのせいかも滝汗
 
 
オルシーニ宮殿の前に広がる庭園。
もっとも高い場所に位置しているので広々とした眺望を臨めます。
 
 
中心にある噴水の石像が苔むして、何だかよく分かりませんでしたー。
 
 
オルシーニ宮殿から階段を下りて旧市街を出ます。
古い城壁も残っていました。
 
 
サンタ・マリア・マッダレーナ大聖堂を脇から見たところ。
時間があったらゆっくり中を見たいところ、駆け足で旧市街散歩は終わり。
 
 
お友だちお気に入りのバールでカッフェタイム。
 
 
ここはスイーツも今風なものがいっぱいあって美味しそうでした。
 
 
そして、車でさらに郊外へとひた走る。
早い冬の日が今にも暮れそうななか、素晴らしい景色の中をドライブしました。