今朝、ツイッターをチェックしていたら感慨深いニュースが入っていました。
1年前の今日、2020年2月20日、イタリアで初めてのコロナ感染者が発見されたんですよね。
まだ38歳の健康な男性でふだんからスポーツをやるなどアクティブな人だったから、
そんな人でも感染して入院しなきゃいけいほどになるのかと、みんな驚愕したのでした。
ミラノ近郊のコドーニョという小さな町の病院だったのですけど、
でもまぁ、実はこの感染第1号よりもっと前に感染してる人がいっぱいいたのですね。
その翌日、コドーニョで死亡第1号が出て、付近の町でまたさらに2人、3人と亡くなって。
そして、ミラノ近郊でお年寄りばかりが次々と亡くなっていく地獄のようなコロナの世界がイタリアで始まったのでした。
コドーニョはCodognoと書くのですけど、イタリア人でも知らないほど小さな町です。
私も知らなくて、周りのイタリア人に説明するとき最初はどうやって発音するの?って感じでしたもの。
ミラノ近郊ローディ県コドーニョを中心に6人感染だってー!町の公共機関はすべて閉鎖、学校は25日までお休み。みんな外に出ないようにっていま、ニュースでやってる。 pic.twitter.com/rOHKoBOpbN
— YUMI🌞ローマで暮らすなら。。。 (@yumittina) February 21, 2020
もうこの時からテレビつけっぱなしです。
当然、イタリア語の情報しかありません。
未知の脅威に対処するため、辞書を片手に知らない単語をチェック、
でもこの時は私の住むローマにまでは感染が広がっていなかったので、
なんというか、まだちょっとのんびりモードだったんですよね。
なぜだか分からないけど、ミラノを中心に広がっていて、
南イタリアの人たちはちょっと他人事みたいな心持ちでいたと思います。
そうこうしてるうち、北イタリアでさまざまな感染拡大防止措置が取られて行きました。
カーニバルの真っ最中だったのですけどね。
始まったばかりヴェネツィアのカーニバルも23日0時をもって中止になったのでした。
そして翌日から毎日2回のイタリア市民保護局による定時会見がひらかれるように。
コロナ感染第1波のときのイタリアではこの市民保護局主導で感染状況が把握されていたんですよね。
メインで話してるのが市民保護局のボッレリ局長。
なつかしー!毎日見てたのになぁ。
今はどうしてるのかな。
秋以降の会見では表に出てこなくなりました。
毎日この会見をテレビで見て、ヒアリングして書き取りして、
分からない単語を調べて、それでも分からないことは周りの人に聞いて。
この時ほど危機感を持ってイタリア語を勉強したことはないわ(爆。
マジで、間違って理解したら、死ぬレベルですからねっ!!!
この会見が1日に2回も行われ感染者と死者を発表しなきゃいけないほど、事態は刻々と悪化していたと言えます。
でもこの会見によって、確実にイタリア国民の危機感は高まりました。
何よりすべてを明らかにするという姿勢は大切ですよね。
しかし、こんなにテキトーなイタリア人が
毎日毎日こんなにきっちり全国津々浦々の感染状況の数字を把握できてたって、ものすごいと思う。
感心するわ。
まぁ、イタリア人って、やるときはやるんですよね。