チェルヴェーテリのエトルリア博物館のつづき。
キリスト教が広まるに従って、いろいろ何というか厳しくなったヨーロッパ文化。
本来の人間の姿をおう歌するようなものはことごとくNGになってしまったらしい。
その反動でルネッサンスが興ったわけですが。
それでもせいぜいローマ・ギリシャ文化にさかのぼるまでで、
エトルリア時代にまでは至らなかった、というか、
当時はネクロポリスの存在もまだ知られてなかったのですよね。
エトルリア人のこんな大らかな(?)焼きものの存在を知っていたら、
イタリアのルネッサンスの方向性も変わっていっていたかもしれません。
あくまでも発掘品です
しかし、アメブロ規定に引っ掛からないか、ちょっとヒヤヒヤ
これもね、手にしているバトン的なものをよーく見るとビックリします
ワインづくり、ブドウの収穫の様子を描いた焼きものもありました。
ストライプのデザインとか、今でも通用しそうですよね。
これもとっても細かく描かれてます。
ペルシャの香りがしますよねぇ。
エトルリア人は海洋民族だったので、中東方面とも交易があったんです。
これはオリーブの実を収穫してる様子じゃないかと思うんですけど、どうでしょう
こちらもブドウの収穫風景ですね。
チェルヴェーテリからブラッチャーノに向かう途中、
凝灰岩の高台が崩れて谷になったエリアには、
今でも多くのエトルリアのお墓が眠っていると言われています。
上の写真はそのひとつを再現したものです。
扉があって、その奥にエトルリア人のお墓があったよう。
その扉、博物館の入り口に展示、というか放置されてましたー
さすがエトルリア人の末裔、大らかだわぁ