先日、1月30日に父親が急逝しました。
色々ありまして、そのあとはなんだかぼーっとしたりして、どんどん日にちが経ってしまった。
まだまだやることはあるけど。
96歳、大往生でした。
いえ、大往生だったとはいえ、やはり肉体がなくなることは寂しいことです。
魂は永遠・・・と頭でわかっていても、現世ではもう会えないのは本当に辛いこと。
しかも、本当に突然でした。
母が亡くなってから29年間、家事などまめにやってきていた父。
長かっただろうなぁ・・・。
もともと母は病弱だったので、母が生前から父は料理も家事も普通にやっていました。
母を亡くした時、父はもう定年を迎えていて、少しだけパートなど行ったりしていたかな。
それからは、
カラオケ
卓球
油絵
俳句
などなど、色んな老人会のサークルに参加していました。
寂しさを紛らわすためだったのでしょう。
もともと絵は若い頃からやっていましたので、素晴らしい絵が今でもたくさん残っています。
下の2枚は私が頼んで描いてもらった物。
ビビアンリーがカビてる😅
それから一緒に暮らしていた兄に教わってパソコンをやるようになったので、当時パソコン教室のインストラクターをやっていた私が「ブラインドタッチを覚えられるゲーム」を持って行ったら、すっかりマスターしてしまいました!
ここ数年は、ネットゲームにハマっていて、ゲーム内で兄や私、夫と一緒にパーティを組んで狩りに行ったりして楽しんでいました。
3年前の7月、事件がありました。
兄が夜中にふと父を見ると、あぐらをかいた体制でうつ向いていたか?倒れていたとか?
どうやら、トイレに行こうと立ち上がろうとしたらめまいがして、そのままの状態だったようです。
この時、脳梗塞だったみたいなのです。
兄はすぐに頭を中心に光線療法を始めたそうです。
※実家は病院(西洋医学)も使うが、できるだけ民間療法(自然療法)を取り入れていた。
何時間も何時間もかけて、光線治療をしていると意識も戻って動けるようにはなってきたのですが、右半身が麻痺していました。
言葉も出なくなりました。
その日から、さらに兄は光線治療を続けました。
父が倒れた知らせを聞いて、びっくりして飛んで行った時には右半身麻痺で言葉を話せなくなった父がいました。
私も持って行ったテラヘルツ波が出るプラナヒーターという治療器を当てました。
でも、まず初めに兄に
「どうしてすぐ救急車を呼ばなかったの?」
と怒りました。
すると兄は冷静に話し始めました。
「もちろん、救急車を呼ぶことを考えた。
だが、この歳で救急車で運ばれて病院に行ったら、そのまま寝たきりになりぼけてしまうと思った。
入院して至れり尽くせりになると、身体もよけい動けなくなってしまうと思ったから。
そして、きっとそのままずっと入院になっていたよ。」
たしかにそうかも。。。
よくそういう話は聞くから。
そっか、でも命に別状はなくてよかった。
動けるようになってから、かかりつけの病院には毎月行ってるみたいだし。
とりあえず安心して帰りました。
その後も、兄は熱心に光線治療を続けていました。
どのくらい経ったかな。
2カ月かかったかどうか・・・?
次に実家に戻った時には、右側でスプーンを持って食事をしていたし、言葉も少し出るようになっていました。
よたよたしながらも、トイレは自力で行っていたし、洗濯もしていたらしい。
結局、兄が言ってたとおり
病院ではなく家の中で、自分で動かなくてはいけない
という環境が良かったのでした。
そう考えて、兄もあえて手伝ったりしなかったらしいです。
そしてまもなく、右側の麻痺も治り、普通に話せるまで回復してしまったのでした。
3年前のその事件が起こってからは、なるべく実家に顔を出すようにしていました。
行った時には必ずプラナヒーターを持参して当てていました。
今年はお正月と、そのあとにも一回行ってました。
そして、1月30日の夕飯後に気持ち悪くなりトイレに行って吐き、そのまま横になって兄に光線を当ててもらいながら、眠るように亡くなったのでした。
本当に眠っていたと思って、兄は呼吸が止まったことに数分気づかなかったみたいです。
気づいてすぐに救急車を呼んで、私に電話をくれました。
我が家はその日、いつもの晩酌をなぜか控えていました。
ほとんど毎晩ビールを飲んでいたのですが、その日はなんとなく飲みたくなくて。。。
夫に
「本当に抜くの?俺は飲んじゃおうかな?それでもいいの?」
なんて言われても
「うん、今日はいらない」
と言っていました。
いつもなら
「やっぱ、飲んじゃおう」
と言って飲んでいたのですが💦
結局、夫も
「じゃあ、俺も抜こうかな」
と言って飲まなかったのでした。
これも虫の知らせというのでしょうね。
飲んでいたら運転できませんでしたから。。。
そして、23時半頃に電話が鳴って、兄に呼ばれて車で藤沢の病院に行ったのですが間に合いませんでした。
亡くなったあとに、今回は「脳出血」だったとわかりました。
こうして、今、振り返ってみても穏やかに移行したんだろうなと思えます。
3年前に病院に入院していたら、こうはいかなかっただろうな。
父は亡くなるその日まで、普通に洗濯(いまだに二層式ね💦)をやりネットゲームをやっていたそうです。
あっぱれな父です。
これぞ、ぴんぴんコロリ!!
理想的な亡くなり方でした。
耳は遠いし、腰も曲がってたし足も悪くて歩くのはやっとでしたけどね。
内蔵は元気だったようです。
来世でも繋がりたいな。
本当に良い両親でした。
兄と仲良くやっていくからね。
お母さんと安心して見守っていてね。
うちは夫も私も、早くに母を亡くしていましたが
夫の実父も去年亡くなり、今年は私の父。
順番とはいえ、寂しいね。
「お父さん」
「お母さん」
と呼べる人がもういなくなるのは・・・。
お父さん、お母さん
昔から私はこの呼び方、響きが大好きなんです。
待っててね、また会える日まで♪